「OECDの大学別学力調査、日本も参加」私は反対。
OECDの大学別学力調査に日本も参加するそうだが、私は反対だ。
学習成果の把握は他の方法でできる。
結局、フィールドを広げて競争を加速させるだけ。
教育のレベルアップにつながるとは思えない。
先日、上半期だけ行っている大学の新年会に参加したが、
話題はどうやって生き残るかということだけ。
学生のためにどうしたらいい教育ができるかなんて、
全く話題に出なかった。
国立大学ですらこうだから、私立は推して知るべし。
今でさえひどいことになっているのに、
これ以上大学教育が崩壊するのを見たくない。
大学はもはや縮小産業。
生き残りが大変なことはわかるが、
だからと言って大学人たちよ、それでいいいのか。
毎年のように新しい看板を出し、非常勤を使って、
まるでコンビニ弁当の開発競争を見ているようだ。
今、大学はランキングに追われて右往左往。
自由な四年間に無駄なことをして視野を広げるという、
日本独特の大学文化も消えつつある。
かと言って、アメリカ化すればいいわけではない。
私は最近、OECDの存在意義に疑問を感じるようになった。
ある集団の意図を代表していないか。
文化も歴史的背景も違うのに、どうやって比較しているのか。
基準の作り方に意図が感じられる。
長い目で見れば妥当な結果をもたらすかもしれないが、
その間、何十年も混乱するのでは困る。
グローバル経済の緩衝剤として必要な「調整」に取り組む政治家もいないし。
OECDの大学別学力調査 日本も参加
http://www.asahi.com/life/update/0112/TKY200801120233.html
クリスマス商戦が始まった。
昨日ケンタッキーに行ったら、「きっとあなたは来ない〜♪」とか「クリスマスが今年もやってくる〜♪」とか、うるさいぐらいにがんがん流れていた。
長女と二人、「何か感じ悪いね・・・」とつぶやきながらフライドチキンを食べた。
少し前までそうでもなかったのが、ここ数年こういうのがすごく感じ悪いのである。
何がどう感じ悪いのか。
一つには、娘たちも20代になって落ち着いてきたということもあるが、
最大の理由は「はしゃぐような気分じゃない」ということだ。
若者の置かれている状況がとても悪いのである。
社会人の長女は仕事に追いまくられてスパに癒しを求めているし、
難しい職種にこだわる次女はまだ就職活動中。視界不良だ。
何ていうことはない、消費文化の最前線を走らされてきただけ。
自分たちはいい状況にはいないということがわかってきて、すっかり冷めているのだ。
「もう絵空事は充分」という気分らしい。
次女あたりは、「不愉快なのでクリスマスは家で蕎麦を食べる」と言っている。
つくられた非日常はもうたくさんだそうだ。
私は私でミシュラン騒ぎにうんざり。
青山も銀座も老舗ブランドの旗艦店ばかりで、行く気もしない。
無駄な再開発や不要な商業施設の乱立にも不快感しかない。
この前テレビで森ビルの社長が、「新橋を再開発して高層ビルにする」と言っていて、
怒りのあまりティッシュを投げつけてしまった。
かつて「元気の素」という言葉がよく使われたが、今やそんなものはない。
あるのは「せめてもの慰め」で、それは映画や音楽や舞台だ。
一昨日はフランスのステージアート、フィリップ・ジャンティの「世界の涯て」を観てきた。紙やポリ袋といった安い素材を使って、不可思議な世界を見せてくれる。
心が温まった。
で、家に帰ると「新宿御苑で迎撃ミサイルの移動実験をする」とか、
「何としてもアメリカ軍に給油する」とか何とか言っている。
有志連合が分裂する中、日本だけがいつまでもアメリカに寄り添っている。
ああ、やだやだ。
by G2
中国の共産党大会が終わりましたね。
予想通り李克強氏と習近平氏が昇格したようです。
私は今、中国エリートのアメリカ化を心配しています。
杞憂かもしれませんが、アメリカ留学組が国の中核になったら危ないかも。
日本は中国に大勢の友人をつくる必要があります。
中国も日本も、アメリカ資本主義の後追いをしてはいけません。
今日、紀伊国屋ホールで「孫文と梅屋庄吉」を観てきました。
正直「退屈な舞台かも」と思っていたのですが、とんでもない。
テンポ良く、時にユーモアを交えて辛亥革命をめぐる複雑な日中関係を見せ、
最後は感動的な終わり方でした。
一緒に観た長女は「中国とは戦争をしたというイメージしかなかった。
その前に、こんな深い交流があったなんて」と驚いていました。
そう、かつて共にアジアの近代化を語り合った仲なのです。
11月には中国で公演し、その後に宇部、下関、山口、岩国、福岡、
そして長崎で上演します。
お近くの方は是非どうぞ。
詳細はこちらで
http://www.tokyo-gingado.com/details/sonbun.html
テレビ朝日が二夜連続で、黒沢作品のリメイクを放送した。
いい度胸である。
でも出演者は豪華だし、どんな感じかなと一話目の「天国と地獄」を観た。
期待した方が無理だった。
冒頭の5分で飽きてしまった。
テレビというメディアの日常性も、緊迫感を薄めてしまう要因の一つだろう。
しかし暫く観ているうちに、私が感じる違和感の大きな理由がわかってきた。
主人公、権藤の夫人を演じる鈴木京香が美し過ぎるのである。
鈴木京香は絶妙な色香を漂わせていて、同性が見てもうっとりするほど美しい。
だからそれはそれで目の保養になってとてもいいのだが、
どうもファッションがちぐはぐなのだ。
間違って誘拐されてしまった運転手の子どもを思いやり、身代金を出すよう夫に訴える。
そのためには全財産を失ってもいいという、お嬢さん育ちの優しい女性だ。
そういう女性が、今からパーティーにでも行きそうなドレスを着て、
胸の谷間を見せているのがヘンなのである。
生き方とファッションが合わないのだ。
テレビなんだから仕方がないとも言えるが、
今やこれは街中でも普通のことになっている。
ファッションからTPOが消え、知的職業についている女性が平気で肌を見せている。
それを「おかしい」という方がおかしく見えるほどだ。
カンヌ映画祭で賞を取った、河瀬直美監督のとんちんかんなファッションもその一例。
あんな賢そうな女性が、あんなファッションで公の場に現れるとは。
こういう状況で、いきなり「女性の品格」を語っても無理である。
その前にコモンセンスを語らないと。
女性のファッションがいかに重要か、改めて痛感した。
女性にとっても重要だが、社会にとっても重要なのだ。
なぜなら、社会の雰囲気を大きく左右するからである。
60年代から70年代にかけて、ミニスカートは女性の解放を強く印象づけた。
私はうきうきした。
しかしことしの夏に大量に現れた、ショートパンツにキャミソール、
ピンヒールで前屈みに歩く女性たちの姿からは、何も前向きのメッセージは感じられなかった。
日本の女性は美しくなった。
でも、ファッションが女性を支えた時代は終わったのではないか。
意味を失うとはそういうことである。
ファッションはもう、女性に何ももたらさないのではないかという気がする。
「安倍政権、惨敗にもかかわらず続投宣言。閣議で了承」?!
国民をナメるなと言いたい。
逃げ切ろうとしても、そうはいかない。
ここは落とし前を付けてもらわないと。
当初は、その国家主義的右傾思想に腹を立てていた私だが、
最近はそのピンぼけぶりに呆れている。
格差、ワーキングプア、年金問題等で国民が不安に襲われている時に、
「美しい国」だの「成長」だのと、およそ時代の焦点とズレたことを言っている。
とことんズレた人だ。
どうしてこんなにピントがはずれているのか。
やはり子どもの頃から特権に守られて、
世間の風に当たったことがないからではないか。
苦労知らずなのである。
就職の苦労も何もなかったのだろう。
世の中のほとんどの人がする苦労を全く知らない。
それに加えて、元満州国官僚の祖父を尊敬していて、
まとまな歴史感覚を持てなかった。
何から何まで時代錯誤の人なのである。
早々と退場してもらわないと困る。