実は、憲法第9条は平和の理念を条文化したものではない。
1945年8月15日の終戦の玉音放送から程なく、日本軍は各部隊レベルで自主解散した。9月2日にGHQが日本軍に解散命令を出したときに、日本軍はもう存在していなかった。憲法第9条ができる以前に、日本は軍隊を持たない国になっていた。
憲法第9条で日本が軍隊のない国になったのではなく、軍隊のない国になった日本を憲法第9条が追認したのである。
日本国憲法の成立過程で、国会において憲法第9条に反対の意を示したのは日本共産党だけだった。
さて、平和運動寄りの人間としては稀なことだが、軍隊のみが国家主権を保証できる、と私は考えている。日本には軍隊がない。軍法会議や軍事裁判所を持たず、条件によっては隊員の脱走を効果的に防げない自衛隊は軍隊とは呼べない。自衛隊が命懸けで戦うことができることを期待できるのは、日本が侵略を受けた場合のみだ。
自衛隊の存在は日本の国家主権を主張しているが、保証はしていない。
国家主権を保証できないのは良くない、と考えていた高校生の頃、私は改憲論者だった。
ところが、成長と共にいろいろなものが見えるようになった。
軍隊を持っている国の方が、軍事的な理由で死ぬ国民の数が多い。
先進国を考えると、2001年9月11日に、世界最強軍隊を持つアメリカではテロ攻撃で数千人が死んだ。しかし、軍隊を持たない日本ではイスラム教徒のテロ攻撃がまだ起こっていない。
発展途上国が多い中米は長らく戦火が絶えなかったが、1949年以降軍隊を持たないコスタリカは例外的に平和だった。
アメリカが日本を守ってくれているということを否定はしない。それも軍隊をもたない日本の現実の一部だ。しかし、アメリカ軍は韓国にもいる。そして、軍隊を持つ韓国での北朝鮮による拉致問題は、日本のそれよりも遥かに深刻で、人数も多い。
仮に日本が軍隊を持つようなれば、日本に対する敵意も増すことになる。軍事も外交も相手があることなので、日本が一方的にウヨク化しても、日本の軍事的な安全確保は改善されない。
デーン・アーチャーとローズマリー・ガートナーは、『暴力と殺人の国際比較』(日本評論社、1996年)で、戦争を遂行する国の犯罪率が一般に上昇することをつまびらかにしている。日本を平和主義の国にしている憲法第9条は、日本の治安維持にも貢献している。




