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日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


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こんな奴のさばらしといたら、ニッポン妖怪の名折れや ~1968年制作の映画「妖怪大戦争」~
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時は江戸時代。
遥か西方で目覚めた古代バビロニアの吸血妖怪ダイモンが日本に襲来、
伊豆代官を殺害し、代官になりすまして悪行を尽し人々を苦しめる。
異変に気付いた河童や油すまし、ろくろ首たち古来の日本の妖怪たち
がダイモンに挑むが、完膚なきまでに叩きのめされる。

人間の協力を得て再び立ち上がった油すましたちは、日本全土の妖怪
に決起を呼びかけ、無数の妖怪がダイモンに立ち向かい、遂に追い払う
ことに成功した。


随分昔に観た映画をふと思い立ち、レンタル屋で借りてきて観直した
が、これがめちゃくちゃ面白い。

とにかくニッポンの妖怪たちが情けない。
ひょうきん者の河童は頭の皿を柱にこすりつけられ、ほうほうの体で
逃げるし、ろくろ首は長い首を結び付けられる。
挙句の果てに、人間が用意した魔よけの札で逆に壺に閉じ込められて
しまい、身動きがとれなくなってしまう。

それでも妖怪たちは負けない。
リーダー役の油すまし(なぜか関西弁)はニッポン全土の妖怪を呼び
寄せて最終決戦に臨む。

ダイモンを打ち倒した後、妖怪たちはいずこともなく姿を消してしまう。
功を誇ることもなく、喝采を浴びるためにその姿を衆目に晒すこともなく、
「さあ、引き揚げよう」と奥深い森林へと帰っていくのだ。
なんともカッコいいではないか!

映画は時代の子とは言うものの、あくまで映画として楽しめばよい。
政治的な目線で見ることは、返ってその映画を矮小化してしまう。
だが、筆者には吸血妖怪ダイモンとグローバリズムが二重写しになって
しようがないのだ。

過度な競争、自由主義、無責任な自己責任論、混乱の果ての英雄待望
など、日本には今、吸血妖怪ダイモンの如き魑魅魍魎が蠢いている。
人々は身動きがとれなくなっている。

こんな状況に対抗するには、たった一人の英雄などいらない。
日本の大地の底に眠る河童や油すまし、ろくろ首を呼び戻そうでないか。
私たちの中にいるはずの妖怪を呼び覚まそうではないか。

  こんな奴のさばらしといたら、ニッポン妖怪の名折れや

油すましが言い放つその言葉のままに。




さようなら、我が家の冷蔵庫
我が家の冷蔵庫が遂に壊れた。
週末の金曜日、朝起きると床に水が漏れていたのだ。
どうも冷却装置の不具合で霜がおりて結露しているらしい。
11年使ってきたから、そろそろ来るかと身構えていたが、意外に早く来た。
日曜日に某大手家電店で最近グループ再編をした大赤字会社の冷蔵庫を発注した。
次の日には配達してくれるとのことだった。

帰宅してお役御免となった薄いピンク色の冷蔵庫を眺めながら、妻と話をした。
そう言えば結婚した時に購入したのだった。
文字通り我が家の歩みと共にあった訳だ。
よく頑張ってくれたなぁと思わず呟き、妻も頷いた。
振り返って考えてみれば、冷蔵庫は24時間休みなしだ。
雨の日も風の日も、暑い夏の日も凍える冬の日も、文句一つ言わずに働いてくれる。
僕らの食生活のために、大事な食べ物を適度に保存してくれている。

「ええ奴やなぁ。」
そう僕が言うと妻は、「これ、女の子やで」と言った。
笑いながら、折角やからと家族で冷蔵庫と記念写真を撮ろうと言い、カメラを手にした。
激落ちクンで妻が冷蔵庫の表面を丹念に磨き、代わる代わる冷蔵庫を真ん中に写真を撮った。

そして家族四人、冷蔵庫の前に一列に並び、「長い間、ありがとうございました」と深く頭を下げた。
すると横の妻が声を殺して嗚咽し始めた。
妻の涙に誘われてか、二人の娘も泣き出し始めた。
何を泣いとんねん。そう笑う僕も思わず目頭が熱くなった。
長女が言った。
「私らよりも先に家に来たおねえちゃんやもん。」
暫し家族で号泣した後、また皆で笑いながら冷蔵庫を眺めた。

次の日の朝、出勤前に色落ちしたものの磨かれて光沢を帯びている冷蔵庫に最後の別れをした。
「最後のお別れしたん?」
妻の言葉にうんと頷き、家を出た。

残業で遅めに帰宅すると、冷蔵庫は新しいものに代わっていた。



私たちが学校に本当に求めているもの



昨年11月末の大阪知事・市長ダブル選挙以降、
新聞テレビで大阪が出ない日はないほど、大阪の話題にこと欠かない。
その話題の中の一つに“教育基本条例”がある。

内容に関する報道や提案者の言葉を拾ってみると、

  「学校の教育の責任を明確にする」
  「教員の上司は誰か」
  「校長をトップにしたマネジメントを」

という一見、聞こえはいいように感じる文言が並んでいる。
確かに至極ごもっともな主張だ。

  最近の学校は機能していない。
  センセイはまともじゃない。問題をいっぱい起こしている。

そういう報道で満ちている中で条例案に関する報道を聞くと、
まぁセンセイもガッコウもちゃんとせなあかんわなぁと思ってしまう人も多いと思う。

では私たちが学校に求めているものは何だろうか?
ここで言う、求めているものとは、
子供に対するセンセイの態度とか、親同士の関係とか、
PTAでの微妙な力関係とか、
そういう常日頃直面しているものではなく、
もっと本質的なもののことだ。

言葉を換えて言うと、「学校」に関係するもので、
何に心を動かされ、胸揺さぶられ、涙し、笑っているか、ということだ。

例えば学校を舞台にしたドラマなんかどうだろう?

水谷豊の「熱中時代」。
武田鉄也の「金八先生」。
「スクールウォーズ」なんてのもあった。
古いところでは「二十四の瞳」もその部類か。
学校を舞台にした物語の嚆矢とも言える夏目漱石の「坊っちゃん」なんかどうだろう。

これらに共通しているのは、
子供や親、教師間、学校というシステムの中で頻発する問題に対し、
ちょっと型破りで、おっちょこちょいなところもある主人公の
全身全霊でぶつかっていう姿が描かれているというところだ。

彼らはいつも「一人」だ。
その一人を動かしめているのは、
子供への愛情だったり、単なる純朴さであったり、
不正を許せない正義感だったりするわけだ。

そんな「一人」の姿に、
私たちは拍手喝采し、
感動の涙で目頭を熱くさせているのではないだろうか。

そこには「校長をトップにしたマネジメント」はない。




橋下徹はカオナシである


大阪市長に就任した橋下氏が就任から一週間、精力的に動いている。
「マラソンを400M走の勢いで走っている」と評した人がいたが、
いきなりこんなに飛ばしてあと4年も走り続けられるのか、
大阪市民の一人として豊中市民の大阪市長橋下氏の健康を心から心配申し上げる次第だ。

彼はあの滾々と涸れることを知らぬが如きエネルギーを、どこから得ているのだろうか。
これは非常に興味のあるテーマである。

不思議なことに、筆者の周囲には熱烈な橋下支持者がいない。
支持すると言う人はまず異口同音に、
「なんかええやん。めっちゃ変えてくれそうやし。大体、今の大阪はあかんねん」
とやや期待感がありながら、どことなく現状への得も言われぬ「不満感」を湛えた言辞で
彼に支持を与えているに過ぎない。

一方で非常に目立つのは「橋下ぎらい」だ。
これ、結構厄介なのである。
「坊主憎けりゃ袈裟までナントカ」と言うとおり、
その言葉の端々には、信号が赤いのも橋下のせい、郵便ポストが赤いのも橋下のせい、
とでも言わんばかりの「怨念」のようなものが見えている。

とここまで思い至ってハタと膝を打った。
そう、この「不満」と「怨念」が橋下氏を読み解くキーワードなのだ。

人々の何となくの「不満」、うまく行きそうでいかない「もどかしさ」、
それに対してうまく立ち回って得をしてる奴がいるはずだという「疑念」、
こんな私に誰がしたという「怨念」。
そういうネガティブな人間の感情を、橋下氏は見事に自分のエネルギーにしているのだ。

ここまで来て、賢明なる読者諸氏は「千と千尋の神隠し」のカオナシを思い浮かべることだろう。
目の前の人にウソモノの「金」を見せて次々にパクリと飲み込み大きくなっていく。
周囲はそんなカオナシに気をつかい、煽て上げ、おべっかを使い、食べ物を与え続ける。
だがカオナシは食べても食べても満たされない。腹が膨れない。満足しない。

カオナシを止めるのはただ一つ、静かで穏やかに「いらない」と言う千の澄んだ眼だ。
そうして始めて、カオナシは自分が飲み込んだものを吐き出し、苦しみながらも解脱するのだ。

そうだ。
橋下氏も救いを求めているのだ。
「誰か、僕を止めてくれ」と。

彼を止めるのは、反対者の怒りではない。
千のような「いらない」という澄んだ瞳と心なのだ。


ヒーローはいつも少数派
ヒーローはいつも少数派だ
時に陥れられ、
時に抗議の声をあげ、
また時には否応なしに巻き込まれ、
ヒーローは世の悪との戦いに臨む

ヒーローが多数を握ることは、ない
否、多数派となった時点で、
彼はヒーローとしての資格を失う
絶対的な力や圧倒的多数、あるいは奸智に長けた存在を向うに回し、
徒手空拳で戦う者こそ、ヒーローの名に値する

自分は一体、何と戦うのか
悪とは何か
真摯なヒーローは常に自問する
その自問の果てに、彼が見出すのは、
挙って世が悪に染まりきっている様だ
そして自身もその悪の中で生きていたという事実だ
自分もその悪の世を作ることに手を貸していたという
目を背けたくなる、恐ろしい事実だ

だが我らのヒーローは、怯まない
たとえ自分がその悪の一端を担っていたとしても、
いやそうであるからこそ、
その落とし前をつけるために、
敢然と悪との戦いに臨む

世のほとんどの人は彼の真実の心を知らない
それどころか、彼の行動を奇として
石もて追い払う
出て行け、と
人々は自分が悪に染まっているという事実に
向き合いたくない
だから、自身の悪を自覚したヒーローの存在が目障りなのだ
そんなことを言うな、と

それでもヒーローは戦う
彼を衝き動かす理由は単純だ、
このままでいいはずがない、という止むに止まれぬ思い
悪を見過ごしてきたことへの慙愧の念
そして、もうこんなことはやめよう、という願い
ただそれだけだ
正義を執行するのではない
悪いことはもうやめよう
こんなこと、もうたくさんだ
ただそれだけのことだ

テレビや映画で無数のヒーローが活躍してきた
彼らはたとえ困難に直面しようとも、全身全霊をもて戦い
最後は必ず勝利を収める

だが我らのヒーローは?
果たして我らのヒーローには、
光彩陸離たる勝利の太陽が輝きわたるのだろうか

いや違う
彼は勝利を求めているのではない
ヒーローはただ
前を向いて
歩き続けるだけなのだ





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