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ベートーヴェンの第九「歓喜の歌」
年末というと、よく耳にするのがベートーベンのいわゆる「歓喜の歌」だ。
年の暮れに「歓喜の歌」を聴くというのは恐らく日本だけだろうが、
間もなく明けようとする新しい年への希望を膨らませるには、
ぴったりの曲だと思う。

ベートーベン 交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付」。
この曲はあらゆる点で「破天荒な作品」だった。

初演の時に大喝采を受けたものの耳の聴こえなかったベートーベンは気づかず、
アルト歌手が彼を聴衆の方に振り向かせたというエピソードが伝わっているが、
この曲はベートーベンの生前には全く評価されなかったらしい。

初演後の論評。

  偉大なる混乱。

  この音楽は逆立ちして頭で立つことを目ざしているのだ。
  終楽章は天が下した断罪の歌であろう。
  全ては完全に耳の聴こえない人間の作ったものなのだ。

翌年のロンドンでの初演後の論評。

  ベートーベンの<第九>はきっかり1時間と5分かかる。
  それはまさに演奏者の筋肉と肺臓と、
  そして聴衆の忍耐を厳しい試練のさなかに置いた恐怖の時であった。
  終楽章のコーラスは場違いだ。
  それがシンフォニーとどう関係するのか、全く理解できない。

第1楽章の冒頭は、楽譜にsotto voce(ささやくように)と記された
弦楽器の刻みから始まる。
この弦楽器の刻みは空5度という、簡単に言うとドミソのミの音が抜けた音階。
長調とも短調とも区別がつかない開始の仕方で、
これは西洋音楽の手法では絶対にしてはいけないこととされていた。
それをベートーベンは冒頭にもってきたわけだ。
冒頭から不安定な弦の刻み。
「これから何が始まるのか」。
そんな不安を駆り立てるように曲は開始される。

終楽章の合唱。
上述の論評のように、この合唱を当時の人々は理解できなかった。
音楽理論的には第1楽章は完璧な作りと評価されているのに対し、
第4楽章は音楽的には不完全と言われている。
しかし、現代の多くの人たちにとって「ベートーベンの第九」といえば、
第4楽章で合唱される「歓喜の歌」だろう。
第4楽章に入り、今までの音楽的に優れている3楽章を全て低弦で否定した後、
オーケストラは沈黙する。
静かにチェロとコントラバスで奏される「歓喜」の旋律。
次にビオラなどを加え、さらにヴァイオリンを含めた全弦楽器。
4回目にはオーケストラ全部で「歓喜」の旋律が奏される。

この繰り返しは、感動的だ。
「これじゃない!」という否定の後で、
「これじゃないのか?」と低弦。
それに応える形で、「そうそう、これだ、これだ」と楽器が増えていく。
共鳴するものが徐々に増えていくような感じだ。

そして、バリトンの独唱から合唱部分が始まる。
「おお、友よ、この調べではない。もっと好ましい喜びに満ちた歌を歌おう」

音楽評論家の金子健志氏の言葉を紹介しよう。

  今になってみれば、ベートーベンの意図は、
  少人数の専門家の合唱による高度な内容の歌を聴衆がしかつめらしく聴く
  といった儀式的な音楽芸術の殻を打ち破ることにあったのだと解る。
  自らの手によるそれまでの3楽章を否定してまで造り上げようとしたのは、
  聴いている側から音楽に参加できる、
  否、参加せずにはいられなくなるような新しい芸術形態だった。
  それには何よりも、
  歌い易く憶え易い旋律と、単純な形式が必要だったのである。

合唱では、当時流行していたトルコ風の行進曲も用いられている。
そして、終曲部分のプレスティッシモでは踊りだしたくなるような熱狂的な音楽となる。

再び、金子氏の評論。

  ベートーベンは自己の到達した高みから人々を見降していても
  いっこうにかわまなかったのである。
  恐らくその方が貴族社会からの理解と指示は得易かったことであろう。
  しかし彼は閉鎖的な精神世界の司祭でいることを善しとせず、
  意を決して扉を開け、雑踏の中に飛び出して行ったのである。
  打楽器は民衆と共に歩む英雄を象徴するかのように力強く打ち鳴らされる。
  さらにコーダのプレスティッシモでは、
  祭りと化した音楽を熱狂的に盛り上げる。
  この、ほとんど狂気に近いとも言えるようなエネルギーの爆発は、
  王侯貴族のサロンから生まれた交響曲が、
  遂に民衆の待つ広場へと凱旋したことを高らかに宣言する
  永遠の証なのである。


今年もいろいろあった。
来年はどうなるだろうか。どんな1年になるだろうか。
願わくば、できるだけ多くの人たちが喜びを感じる1年であってほしいと願う。
シラー作詩の「歓喜の歌」にあるように。

  世の慣わしが厳しくわけ隔つるも
  汝の魔力が再び結びつける
  汝のやさしき羽交(はがい)の下に憩わば
  全ての人人は兄弟となる



※第九のお薦めCDを紹介しておきたい。

 ?フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団(EMI)
   ・1951年7月29日のライブ録音。
   ・いまなお空前絶後と讃えられる名演。
 ?フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィルハーモニー(メロディア)
   ・1942年3月のライブ録音。
   ・戦時中の凄絶な演奏記録。特にティンパニが悪魔的に響く。
 ?フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア(ターラ)
   ・1954年8月22日ルツェツン音楽祭のライブ録音。
   ・フルトヴェングラー指揮のなかでは比較的録音が鮮明。
 ?メンゲルベルク指揮 アムステルダムコンセルトヘボウ(フィリップス)
   ・1940年5月のライブ録音。
   ・第4楽章のコーダ(末尾)、大きくテンポを落とすところが面白い!
 ?朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー(EXTON)
   ・2000年12月30日のライブ録音。
   ・朝比奈最後の第9なので、やはりこれを挙げたい。
 ?宇野功芳指揮 新星日本交響楽団(FIREBIRD)
   ・1992年12月9日のライブ録音。
   ・特に第1楽章が個性的で面白い!

by 兵士シュベイク

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この記事に対するコメント

ベートーベンの第9交響曲は聴衆には喝采されたが、当時の理論家たちには高く評価されなかった。第5交響曲のような古典的形式を評価基準とした透明性が第9には欠けていた。第9は第4楽章からロマン派的な音楽だからだ。

(実は第1楽章の第1モティーフのリズムは、第5楽章のテーマを行進曲風に変装する際に使われていたりする ― タ、ターッタ、ターッタ、ターッタ、タターッタ、ターッタ、ターッタ、タッタター・・ッタ ― のだが、当時としてはそれでも理論的にダメだったんだろう。皮肉なことに、現代ではむしろ、提示、展開、再現の透明性において、ベートーベンほど高く評価されている作曲家は少ない。)
【2007/12/17 13:09】 URL | Lexar #tV7uNBRQ[ 編集]

英雄から、民衆による歓喜へ
ベートーベンには、ナポレオンの解放思想に期待を託し「英雄」を作曲したものの、権力を握るや皇帝の地位を求めるナポレオンの卑属的な面を知って落胆した経験がありますね。

それらが伏線として影響し、彼が慣例を超え、コーラス隊そして聴衆をも巻き込む形での合唱をベースとした交響曲を作ったのかもしれないと、ふと思いました。

英雄に落胆した彼は、民衆に何を求めようとしたのでしょうか。
【2007/12/18 14:17】 URL | 春宵 #-[ 編集]


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