我が家でも二人の娘が流れる歌と一緒に踊りだし、
まるちゃんたちのおかしさに笑いながら、一生懸命観ている。
ユニークな登場人物ぞろいだが、
その中に、お金持ちの花輪くんがいる。
豪邸に住み、両親は海外暮らし。
英語もペラペラ(らしい)。
ピアノやヴァイオリンも弾ける。
つまり、今でいうバリバリのセレブだ。
まるちゃんたちは、よく花輪くんの家にお邪魔する。
優雅な物腰の運転手で付き人のヒデじいが
ケーキやお菓子、紅茶を用意してくれる。
「いいなぁ、花輪くんは」
まるちゃんたちは、いつもそう言いながら、
ケーキを美味しそうにほおばる。
そんなまるちゃんたちに花輪君は、
「君たち、いつでも来てくれていいよ、ベイビー」
なんて言いながら、前髪をかき上げてみせる。
でも、まるちゃんは花輪くんのようになろうとは思っていない。
まるちゃんにはまるちゃんの家があり、大好きな家族がいる。
いっつもまるちゃんを大事にしてくれるおじいちゃん。
怒ると怖いけど、とっても優しいお母さん。
毎日お酒を飲んで真っ赤な顔をしている、のんべえのお父さん。
クールで世の中のことを分かっているつもりのお姉ちゃん。
そして、物静かなおばあちゃん。
そんな家族が待つ家があるから、
花輪くんみたいな豪邸に住みたいなんて思っていない(だろう、たぶん)。
まるちゃんにはまるちゃんの人生があり、
花輪くんには花輪くんの人生がある。
しかし、いつからだろう。
現実社会では、花輪くんのような生活を夢見て、
本当にそうなろうとする人が増えている。
別にそれは自由だが、
なんだか、まるちゃんのような普通の生活よりも
花輪くんのような生活が人生の目的みたいな風潮が
あっちこっちで見られるような気がする。
まるちゃんのような生き方がしにくくなっている。
花輪くんのような生活とまるちゃんのような生活は、
両立できないのだろうか。
それは言葉を換えて言うと、いろんな価値観が社会にあって、
人はその多くの価値観の中から、
自分の意思で自分に合う価値観を選び、
自分の人生を生きるということだ。
でも、そんなことはもう言ってはいられないのだろう。
そんな悠長なことを言っていては、生きてはいけないから。
明日のご飯さえも食っていけなくなるかもしれないから。
嫌な世の中になっちまったなぁ、まったく。
そんなことを考えながら、
次の日曜夕方6時には、
娘たちと一緒に「ちびまる子ちゃん」を観るんだろうな、たぶん。

