5月から縁あって大阪、中之島で仕事をすることになりました。
中之島は今、地下鉄工事の真っ最中です。
これは淀屋橋まで来ていた京阪電車を、その二つ前の天満橋から分岐させ、中之島の北側、堂島川に沿ったところを中之島のずっと西まで延長している工事です。
大阪のど真ん中と言う印象の強い中之島ですが、大阪市役所近く、土佐堀川の南、島の外にある淀屋橋駅から西側半分は、ある意味では陸の孤島に近いイメージもある鉄道空白地帯でもあるのです。
中之島の西半分は、大阪を支えるビジネス街のひとつであり、会議場や格式の高いホテルもここにあります。
この中之島での仕事を終えて帰る道すがら、眺める夜景はまさに大都市のそれであり、都会を流れる川にしては幅の広く、水量の豊かな堂島川に映るビル街の、残業中なのか目いっぱいについた明かりの美しさは我を忘れるほどです。
さて・・
僕はその中之島に人間の温もりを見出すことは、当然のことながら出来ないのです。
人々はせわしく歩き、通勤の行きかえり、自分なりに早足で歩く僕は何人ものビジネスマンやOLに追いぬかれてしまいます。
神戸の町では歩くのが早いほうだと思う僕の足は、大阪のど真ん中ではまったりとした邪魔者でしかないようでもあります。
少なくても万札が何枚か財布に入っているか、あるいは数十万円は自由に使うことの出来るカードでも持ってない限り、入ることすらためらわれるホテルの、ビジネスライクな雰囲気もまた僕の経験したことのない世界でもあります。
(かつて同じ大阪のOBPにある高級ホテルで働いていたこともある僕がそう感じてしまうのです)
僕の経験したことのない世界と言えば、昨年から僕が足繁く通う同じ大阪の「新世界」で行われた小さなイベント・・
かの釜が崎を謳う大詩人「東淵修」さんの主催する「詩のいえ」で小さいけれども、びっくりするイベントが行われたのです。
これは5月16日、夕方・・
通天閣とフェスティバルゲートに挟まれた一角、小さな2階建ての住宅の1階を改造した20条ほどのホール、「銀河・詩のいえ」で行われたイベントです。
集まったのは東淵さんの仲間であり現代詩の第一人者である方々と、世界的に活動する大詩人であり、深く東淵師を尊敬しておられる「吉増剛三」さんとその仲間達・・
そして、大阪で活躍する庶民的な芸術家たちや、東淵さんを取材しつづけるテレビや新聞の記者達・・
そして、「銀河・詩のいえ」の同人達や近隣の古くからの住民達・・
僅か20畳ほどのホールは足の踏み場もないほどの人で埋まりました。
東淵さんが半生を賭けてきた師の作品を、同人達が謳い上げていきます。
そして、数分の休憩と準備の後、始まったのはまさに驚天動地の世界でした。
暗く落とされた照明・・
ちいさな、か細い声で吉増氏が話を始めます。
会場は物音一つなく、聴衆はすべて吉増氏の口元を見ています。
床に置いた生活用品をマイクに近づけ、詩のイメージをどんどん膨らませて行く吉増氏。
そして、フランスを代表する前衛ギターリストのジャン・フランソワ・ボーヴロスさんの奏でるシュールな音色、
吉増氏の奥様で素晴らしいヴォーカリストのマリリアさん・・
この3人が見事な呼吸で吉増氏の詩の世界を膨らませていきます。
これは最早、詩の朗読会などというものではなく、まさに「詩のライブ」です。
およそ1時間、僕も含めた聴衆は身動きもせず、恐ろしく、シュールで、優しく、感情溢れる言葉と音と光の世界の只中にいました。
吉増氏は尊敬する詩人達の魂までもその場に招待し、人々はその魂と触れる事で自分の心を研ぎ澄ましていきます。
「みんなここにいるんだよ」
優しく、そう宙に向かって語り掛ける吉増氏の言葉をマリリアさんの深くも情感たっぷりの声が、ボーヴロスさんの神をも動かしそうなギターの音色が支えていきます。
そして、そこには紛れもなく人間がありました。
一人一人が呼吸をし、一人一人が心臓を鼓動させる人間の世界がありました。
外に出ると、そこは夜の新世界。
通天閣や「づぼらや」のライトアップは美しく、まさに大阪にいる実感を感じさせますが、中之島の方々のようなせわしい歩き方をする人間はどこにも存在しません。
リヤカーを引く初老の男性。
手をつなぐカップル。
串カツ屋に群がる普段着の人たち。
芝居小屋の隣にはピンク映画の看板・・
そのまん前で寝そべるおやじさんや、道端で座りこむ若い女性。
さして高いとも思えない通天閣の、派手なライトアップや宣伝のネオンサイン・・
大阪は今、東京になろうとしている様に思えてなりません。
その象徴があの、中之島なのではないでしょうか。
無機質で、忙しく、レジャーや余暇までもが何かの管理下に置かれてしまう世界。
美しい夜景と、目を見張る昼間の景色を持ち、巨億の資本を持つもののみがその世界に君臨できる社会。
もちろん、資本主義の世の中にあって、経済を最優先させることに異議を唱えるつもりはありません。
けれども、少なくとも中之島が捨ててきた生身の大阪が、新世界には今もわずかながら残っていて・・
そして、その新世界では中之島近くの豪壮なホールで行われる派手なコンサートの何倍もの魂を揺さぶられる芸術が今もどこかで繰り広げられている。
あるいは、哲学や宗教と言った、本来人間が必要としているものが今も、その本来の人間臭さの中で生きていると言う風に僕には思えてしまうのです。
byこう@電車おやじ

中之島は今、地下鉄工事の真っ最中です。
これは淀屋橋まで来ていた京阪電車を、その二つ前の天満橋から分岐させ、中之島の北側、堂島川に沿ったところを中之島のずっと西まで延長している工事です。
大阪のど真ん中と言う印象の強い中之島ですが、大阪市役所近く、土佐堀川の南、島の外にある淀屋橋駅から西側半分は、ある意味では陸の孤島に近いイメージもある鉄道空白地帯でもあるのです。
中之島の西半分は、大阪を支えるビジネス街のひとつであり、会議場や格式の高いホテルもここにあります。
この中之島での仕事を終えて帰る道すがら、眺める夜景はまさに大都市のそれであり、都会を流れる川にしては幅の広く、水量の豊かな堂島川に映るビル街の、残業中なのか目いっぱいについた明かりの美しさは我を忘れるほどです。
さて・・
僕はその中之島に人間の温もりを見出すことは、当然のことながら出来ないのです。
人々はせわしく歩き、通勤の行きかえり、自分なりに早足で歩く僕は何人ものビジネスマンやOLに追いぬかれてしまいます。
神戸の町では歩くのが早いほうだと思う僕の足は、大阪のど真ん中ではまったりとした邪魔者でしかないようでもあります。
少なくても万札が何枚か財布に入っているか、あるいは数十万円は自由に使うことの出来るカードでも持ってない限り、入ることすらためらわれるホテルの、ビジネスライクな雰囲気もまた僕の経験したことのない世界でもあります。
(かつて同じ大阪のOBPにある高級ホテルで働いていたこともある僕がそう感じてしまうのです)
僕の経験したことのない世界と言えば、昨年から僕が足繁く通う同じ大阪の「新世界」で行われた小さなイベント・・
かの釜が崎を謳う大詩人「東淵修」さんの主催する「詩のいえ」で小さいけれども、びっくりするイベントが行われたのです。
これは5月16日、夕方・・
通天閣とフェスティバルゲートに挟まれた一角、小さな2階建ての住宅の1階を改造した20条ほどのホール、「銀河・詩のいえ」で行われたイベントです。
集まったのは東淵さんの仲間であり現代詩の第一人者である方々と、世界的に活動する大詩人であり、深く東淵師を尊敬しておられる「吉増剛三」さんとその仲間達・・
そして、大阪で活躍する庶民的な芸術家たちや、東淵さんを取材しつづけるテレビや新聞の記者達・・
そして、「銀河・詩のいえ」の同人達や近隣の古くからの住民達・・
僅か20畳ほどのホールは足の踏み場もないほどの人で埋まりました。
東淵さんが半生を賭けてきた師の作品を、同人達が謳い上げていきます。
そして、数分の休憩と準備の後、始まったのはまさに驚天動地の世界でした。
暗く落とされた照明・・
ちいさな、か細い声で吉増氏が話を始めます。
会場は物音一つなく、聴衆はすべて吉増氏の口元を見ています。
床に置いた生活用品をマイクに近づけ、詩のイメージをどんどん膨らませて行く吉増氏。
そして、フランスを代表する前衛ギターリストのジャン・フランソワ・ボーヴロスさんの奏でるシュールな音色、
吉増氏の奥様で素晴らしいヴォーカリストのマリリアさん・・
この3人が見事な呼吸で吉増氏の詩の世界を膨らませていきます。
これは最早、詩の朗読会などというものではなく、まさに「詩のライブ」です。
およそ1時間、僕も含めた聴衆は身動きもせず、恐ろしく、シュールで、優しく、感情溢れる言葉と音と光の世界の只中にいました。
吉増氏は尊敬する詩人達の魂までもその場に招待し、人々はその魂と触れる事で自分の心を研ぎ澄ましていきます。
「みんなここにいるんだよ」
優しく、そう宙に向かって語り掛ける吉増氏の言葉をマリリアさんの深くも情感たっぷりの声が、ボーヴロスさんの神をも動かしそうなギターの音色が支えていきます。
そして、そこには紛れもなく人間がありました。
一人一人が呼吸をし、一人一人が心臓を鼓動させる人間の世界がありました。
外に出ると、そこは夜の新世界。
通天閣や「づぼらや」のライトアップは美しく、まさに大阪にいる実感を感じさせますが、中之島の方々のようなせわしい歩き方をする人間はどこにも存在しません。
リヤカーを引く初老の男性。
手をつなぐカップル。
串カツ屋に群がる普段着の人たち。
芝居小屋の隣にはピンク映画の看板・・
そのまん前で寝そべるおやじさんや、道端で座りこむ若い女性。
さして高いとも思えない通天閣の、派手なライトアップや宣伝のネオンサイン・・
大阪は今、東京になろうとしている様に思えてなりません。
その象徴があの、中之島なのではないでしょうか。
無機質で、忙しく、レジャーや余暇までもが何かの管理下に置かれてしまう世界。
美しい夜景と、目を見張る昼間の景色を持ち、巨億の資本を持つもののみがその世界に君臨できる社会。
もちろん、資本主義の世の中にあって、経済を最優先させることに異議を唱えるつもりはありません。
けれども、少なくとも中之島が捨ててきた生身の大阪が、新世界には今もわずかながら残っていて・・
そして、その新世界では中之島近くの豪壮なホールで行われる派手なコンサートの何倍もの魂を揺さぶられる芸術が今もどこかで繰り広げられている。
あるいは、哲学や宗教と言った、本来人間が必要としているものが今も、その本来の人間臭さの中で生きていると言う風に僕には思えてしまうのです。
byこう@電車おやじ


