最近、中国の歴史書「資治通鑑」を読んでいる。
いわゆる大陸が魏呉蜀の三つに分かれていた三国時代のあたりを読んでいるのだが、
あらためて、歴史を学ぶ重要性を痛感している。
後漢王朝末期、董卓が登場、幼い皇帝を廃して献帝を即位させる。
董卓は文字どおり独裁者として都・洛陽に君臨、自身の権力基盤を着々と固める。
政敵の粛清はもとより、今でいう秘密警察のようなものを都のあちこちに放ち、
董卓を批判するものを捕らえていた。
そうした董卓の暴虐に対して反対勢力が立ち上がり、反董卓連合軍が結成される。
しかし、この連合軍、結成当初は威勢が良かったものの、たちまちそれぞれが自分の立場を
主張したり、私利私欲に走る者も現れ、結局、分裂してしまい、董卓を倒すことができなかった。
そして、董卓が倒れたのは、自身の子飼いであった呂布の裏切りによるものだった。
董卓は皇帝を自分の意のままに廃立し、政敵を粛清、都に恐怖政治を布くなど、
自分のやりたい放題のことをしていた。どう考えても道理が通っていなかった。
ならば、どうして道理の無い董卓のようなものの専横が許されたのか。
そして、そんな董卓打倒のために結成された連合軍が、なぜああも簡単に分裂したのか。
人類の歴史のほんの一部に光を当ててみても、そこには大きな教訓がある。
そして、人類の歴史には、こうした不条理な出来事が満ち溢れているように感じるのは、
果たして私一人だろうか?
私たちはこうした歴史の教訓から何かを学ぶべきだ。
なぜ人は、歴史を学ばないのか。
なぜ人は、同じことを繰り返しているのか?
歴史を学ぶ度に、そうして慨嘆している自分がいる。
by兵士シュベイク

