この話は以前どこかで引き合いに出したころもあるけど、ここにもう一度紹介する。
数年前、カシオの工場がアメリカのフレクストロニクスに買収されたことがある。買収されたカシオの工場の生産体制が時代遅れなものだったためか、フレクストロニクスから技術指導のために技術者が派遣された。彼らはブラジル人だった。工場の従業員たちは、ベルトコンベアを従業員の団結の象徴だからとかいう理由で残したがったが、ブラジル人技術者にあっさりと却下された。ライン上にのろまな作業員が1人いれば、全員が生産ペースを落とさなければいけないので、ベルトコンベア方式はもう極めて非合理なのだ。
世界に冠たるはずだった日本の技術の少なくとも一部は、いつのまにか、ブラジル人に追い越されていた。
競争のための土台は、かつての途上国にも出来上がってきている。だから、今、国境を越えるのは商人たちだけではない。金融ビッグバンに相当する大変革は、他の分野にも起こってくる。
中国人労働力が日本人労働力よりはるかに安い間は、日本企業が日本人を解雇し、中国人を雇用するのは合理的だ。当然、日本国内拠点で正規従業員の数は減り、派遣従業員の数が増える。
師士業だって、いつまでのんびりしていられるのかわからない。もしもアメリカの医師が日本国内で仕事をすることを認められるようになると、技術水準の差で倒産する医院が続出することになる可能性がある。
労働力が流動化するということは、労働者が商人に似た特性を帯び始めることを意味する。派遣社員は企業間を渡り歩き、技能と労働力を売る。医療ビッグバンがすでに始まっているイギリスやアメリカには、発展途上国から看護士と少数ながら医師も流入している。
海外に進出する企業を批判しても何も変わらない。より良い製品やサービスをより安く手に入れたいと思っているのは消費者で、商人たちはその要望に応えているにすぎない。自動車メーカーが中国人を雇用するのは、あなたがディーラーと値切り交渉をするからだ。
競争を拒み続けても、いずれは被る痛みを避けられない。
アメリカのマサチューセッツ工科大は独創的な発想を重視することで、型にはまったインド工科大の教育では生み出せないタイプの技術者を育てている。イギリスのハンター医学スクールでは、看護士を再教育し、医師として再出発させる試みを始めている。
競争は全員で同じ方向に走ることに限定されない。
後進国と同じ方向に走り続ければ、いずれは追いつかれて大いに苦しむことになる。画一的な制度から抜け出し、別の方向を模索することでしか、先進国は競争の痛みを和らげることができない。
平和運動を行っている人々は、競争肯定論を拒む傾向にあるようだ。しかし、日本人が現実の競争での大敗をなんとか回避し、心に余裕を持つころは、少なくとも東アジアの平和維持に貢献する。
大負けすれば、民も政治家も突っ張るしかなくなる。

