佐藤賢一著「オクシタニア」(集英社文庫)を最近、読んだ。
「オクシタニア」は12世紀から13世紀、カタリ派と呼ばれるキリスト教異端が広まっていたフランス南部を舞台にした小説だ。
既存の教義や聖職者の堕落に嫌気をさし、新しい教義を唱えるカタリ派が人々の間に大きく広まっていく。
その勢力に危惧を抱いた既存勢力は十字軍を結成、最終的にカタリ派は「殲滅」される。
ある意味「宗教改革」ともいえる題材を取り扱った小説なので、小難しい教義的な内容があるかと思えば、さにあらず、伝統教義と異端教義、政治的駆け引きなどを通して人間の感情部分、情念の部分にスポットを当てている小説となっており、とても読みやすい。
特に後半部分の内容が示唆に富んでいる。
カタリ派を支援していたトロサ伯(トゥールーズ伯)ラモンは戦い及ばず、遂にフランス王に屈服せざるを得なくなり、無念にかられる。
そして、こう言う。
フランス王には勝てない。
ルイ九世に増して、この地上を生き抜けるはずがない。
だとしても、これでは惨めにすぎないのではないか。
少なくとも、これでは私は死にきれない。
死んだところで、この痛みが消えてなくなるはずがない。
ずきずきと疼いていたのは、最後の自尊心だった。
ああ、そうかと、その瞬間にラモンは結末を見極めたように思った。
ああ、そうか。人間は生きることも、死ぬことも、
自尊心あるがゆえに望むのだ。自分の尊厳さえ満たされれば、
勝とうが、負けようが、あとの全ては単なる付録でしかないのだ。
更に物語の結末でも。
自分は上等な人間やと思いたい、
それが信仰心の正体というものですやろ。
信仰だけではない。
日々の生活、仕事、
さらにこのブログを書いている自分、
ブログを読みコメントを書き込むあなた。
人間の営み全てが、「自分の自尊心を満たすもの」ではないか。
佐藤賢一氏の問いかけは、あまりに厳しい。
by兵士シュベイク
「オクシタニア」は12世紀から13世紀、カタリ派と呼ばれるキリスト教異端が広まっていたフランス南部を舞台にした小説だ。
既存の教義や聖職者の堕落に嫌気をさし、新しい教義を唱えるカタリ派が人々の間に大きく広まっていく。
その勢力に危惧を抱いた既存勢力は十字軍を結成、最終的にカタリ派は「殲滅」される。
ある意味「宗教改革」ともいえる題材を取り扱った小説なので、小難しい教義的な内容があるかと思えば、さにあらず、伝統教義と異端教義、政治的駆け引きなどを通して人間の感情部分、情念の部分にスポットを当てている小説となっており、とても読みやすい。
特に後半部分の内容が示唆に富んでいる。
カタリ派を支援していたトロサ伯(トゥールーズ伯)ラモンは戦い及ばず、遂にフランス王に屈服せざるを得なくなり、無念にかられる。
そして、こう言う。
フランス王には勝てない。
ルイ九世に増して、この地上を生き抜けるはずがない。
だとしても、これでは惨めにすぎないのではないか。
少なくとも、これでは私は死にきれない。
死んだところで、この痛みが消えてなくなるはずがない。
ずきずきと疼いていたのは、最後の自尊心だった。
ああ、そうかと、その瞬間にラモンは結末を見極めたように思った。
ああ、そうか。人間は生きることも、死ぬことも、
自尊心あるがゆえに望むのだ。自分の尊厳さえ満たされれば、
勝とうが、負けようが、あとの全ては単なる付録でしかないのだ。
更に物語の結末でも。
自分は上等な人間やと思いたい、
それが信仰心の正体というものですやろ。
信仰だけではない。
日々の生活、仕事、
さらにこのブログを書いている自分、
ブログを読みコメントを書き込むあなた。
人間の営み全てが、「自分の自尊心を満たすもの」ではないか。
佐藤賢一氏の問いかけは、あまりに厳しい。
by兵士シュベイク

