とにかく、真面目な人が受難の時代だ。
交通法規を遵守し、法定速度内で走行していても、
暴走する別車両の起こす事故の巻き添えになる。
交差点で信号待ちをしている歩行者が、
曲がりきれずに横転するトレーラーの下敷きになる。
青信号を渡っていた親子連れが、暴走してきた車に轢かれる。
特に問題視したいのが、歩行者の安全だ。
歩行者は弱い。
あの鉄の塊である車両とまともにぶつかって勝てるわけがない。
では、いかにして歩行者の安全を守るか。
否、歩行者はどう事故を回避すべきか。
いささか刺激的だが、「信号無視」をすることをお勧めしたい。
と言っても、別に交通法規を破れと言っているのではない。
兵士シュベイク流の解釈をここで加えると、
信号とは、交差点の交通整理のためにある。
だから、車の交通がなくなった段階で、信号の存在意義はなくなる。
全く交通のない深夜の交差点で、横断歩道の前で信号機が青に変わるのを
じっと待つほどバカらしいことはない。
安全を確認できれば、さっさと渡れば良いのだ。
逆に、交通量が多い時に、青信号だからと何も考えずに渡って良いものか。
バカな運転手が前方確認を怠ったり、飲酒運転をする不届き者の運転する車が
交差点に侵入してこないとも限らない。
私の言いたいことは、こうだ。
安全であるか否か、渡るべきか否か、それは自分自身で決めると言うことだ。
信号はあくまでもそのための手段に過ぎない。安全に目的地まで行き着くため、
安全であるかどうかを評価する判断基準のひとつに過ぎないのだ。
自身の安全という大切な事を、信号機という自分の外にあるものに委ねてはならない。
自分の運命は、自分で決めるものなのだ。

交通事故の話だけですか
真面目な人受難の時代って、
別に今になって始まったことではないでしょう。
信号無視も自動車なら、論外です。
歩行者でも、信号を守った方がいいですよ。
単に交通安全の話だけですよ。
車が来るかこないかを判断して歩行する。
私は、邪魔くさいので待ちます。
ごくせん | URL | 2006年09月25日(Mon)00:46 [EDIT]
私の経験談
当然、免許書を持って、自動車を運転していました。
兵士さんは自動車の運転はしないと思います。
夜、信号が青になりました。
只、右折をしようとする自動車がありました。
可能性として、自動車は歩行者を見えていないと思いました。
それでも、横断しようとすると、車が来たので、急にストップ、自動車も急ブレーキで止まりました。
青信号だと安心して渡るのは危険だという話です。
交通事故を減らすために、免許書を持つのがいいという話です。
ごくせん | URL | 2006年09月25日(Mon)00:54 [EDIT]
交通安全のためなら
「信号を無視しろ」はやめてもらいたいです。
子供がいるとします、親なら「赤信号で止まる」という習慣を覚えさせるべきです。
交通事故で2人の幼児が亡くなりました。
いっそのこと、宇沢弘文みたいに、
「自動車に乗るな」と主張されるべきだと思いますよ。
宇沢さんなら自動車産業を批判するかな。
私は、保育園の遠足を批判します。
園児が歩いている道路は、大人が見ても危険らしい。
交通事故を無くす、画期的なアイデア、
自動車の走行を禁止すること。
憲法9条の世界ですね。
兵器を無くせば、戦争が無くなる。
ごくせん | URL | 2006年09月26日(Tue)00:57 [EDIT]
何が保育園児を殺したのか
テレビで見たけど、赤信号で待つのは嫌だから、通らない道をスピード違反で進入。
結果、二人が殺された。
そもそも、自動車には反対で、リベラルな宇沢氏の意見に、賛成するところが多い。
歩道と車道をきちんとわける。
歩道橋を見て、あれほど交通行政の貧困を
と、宇沢氏みたいに思わないが。
急いで、安全確認して深夜に赤信号で渡るのは、歩行者の勝手だが、確認が不十分で、自動車に殺される可能性もお忘れ無く。
100キロを出すドライバーがいるだろうから。
ごくせん | URL | 2006年09月27日(Wed)00:45 [EDIT]
交通事故を減らすには
交通事故死に「殺人罪」を適用するべきだと思う。
今度の園児を殺した運転手は死刑にする。
そうすれば、交通事故は減る。
信号無視しても交通事故は増えるだけ。
ごくせん | URL | 2006年09月27日(Wed)01:04 [EDIT]
交通事故予防のために手っ取り早いのは、60km/h以上の速度が出ない自動車を作ることだ。60km/hで自動的にブレーキがかかればいい。
もちろん、高速道路では特別な信号電波を出し続け、その装置による制限速度を100km/hにすればいい。
Lexar | URL | 2006年09月27日(Wed)09:26 [EDIT]
どうしたら、そんな技術ができるのでしょうか。
最高速度を制限した自動車を作るべきだと言った人がいました。
宇沢さんでないと思います。
そんな自動車は売れません。
レクサーさんも免許書を持っていませんね。
免許書を持ってないのに、交通問題を語るとは。
宇沢さんは米国で免許を取ったとか。
道路整備である程度事故は減らせます。
業務上過失致死(自動車運転の刑罰)。
ドライブのどこが業務。
とりあえず、憲法より、道路交通法で、
自動車の運転者に重い刑罰をかけるのです。
「人はインセンティブに反応する」。
これが経済学の教えです。
ごくせん | URL | 2006年09月28日(Thu)00:20 [EDIT]
今回の保育園児の殺人
やはり、業務上過失致死で済むの?
知らない道路なら、スピードを落とすのが普通。
60キロでも、この場合は殺人可能です。
安全確認もしないで運転する。
「未必の故意」があるのでは。
よって「殺人罪」を適用するべきです。
レクサーさんの案と私の案なら、
自動車業界は私の意見を取り入れるでしょう。
そんな技術開発しても、何の役にも立ちません。
コストがかかるだけです。
ごくせん | URL | 2006年09月28日(Thu)00:27 [EDIT]
免許書
これは取るべきだと思います。
相手の立場になれるからです。
歩行者の立場、運転者の立場。
どちらも体験できます。
AT限定なら、取得は容易ですよ。
私も限定ですけど。
運転をしていればわかると思いますが、
自動車保険は、危険運転をするのに、
プラスのインセンティブが働きます。
シートベルトも危険運転を逆に招きます。
高速道路の運転者がシートベルトがないなら、スピードが落ちるはずです。
シートベルトで歩行者の死亡が増え、
運転者の死亡が減りました。
シートベルトなんてしなくてよい。
フリードマンの主張ですが、
私は賛成です。
ごくせん | URL | 2006年09月28日(Thu)00:39 [EDIT]
私は運転免許を持っています。MT車を運転して11年になります。
日本の法律では、時速100km/hを超えて走行することは、緊急車両を除けば許されていません。ですから、日本で販売される車の全てに100km/hの速度制限装置がつくことは理にかなっています。
速度を調整することそのものは、既に実現している技術です。
拳銃で発砲することは、日本国内では一般人に許されていません。そして、拳銃の所持も許されていません。麻薬の使用は日本国内では医療目的以外で許されていません。そして、麻薬の所持も許されていません。
日本の治安の伝統的かつ基本的な考えは、違法行為および使用すれば違法行為に直結する手段としての器物や物質の所持を同時に禁じることです。一般人の銃の所持は江戸時代から禁じられてきました。
一般人の自動車が100km/hを超えて走れば、その行為は即座に違法です。100km/hを超える速度での走行性能は、その使用が違法行為に直結しています。
速度制限装置を義務付けることは、経済上の問題にはなりません。全ての自動車に速度制限装置が付いても、人はやはりいずれかの車を買うでしょう。自動車業界は困りません。
さらに、特に優良な運転者に対しては、制限装置解除権を付与するようにすれば、インセンティブになります。例えば、10年間無事故無違反であれば、制限解除にすればいい。
Lexar | URL | 2006年09月28日(Thu)06:15 [EDIT]
私なら、自動車を規制するのでなく、運転者を規制します。
100キロを超えたら、警告をならす自動車がありますが、その程度で十分です。
私は、交通違反の厳罰化で対応すべきだと思います。
レクサーさんは、歩行者が信号無視して良い、
それが事故の減少に繋がると思いますか。
私はトンでもない意見だと思います。
後、今回3人殺した運転手の行動は理解できません。
知らない道路で暴走。
この様な場合は本人が破産するまで保険は使えないなど対応すべきです。
自動車が殺すのでなく、人が殺すのです。
ごくせん | URL | 2006年09月29日(Fri)00:48 [EDIT]
警告も鳴らさないより鳴らす方がいいでしょうが、自動ブレーキの方が優れています。
現状では、交通違反の厳罰化には不賛成です。その理由は、罰する側もまた人間であり、そこに裁量の余地が大きいことです。厳罰化は政体により大きな権限や権力を与えることなのです。
歩行者の信号無視は良くないことです。
Lexar | URL | 2006年09月29日(Fri)08:53 [EDIT]
例えば
この発言自体にも、発言の意図するところにも自分は共感しますけど、例えが悪かったかもしれませんね。
同じ例え話なら、賞味期限は無視しろ、とかの方がいいかも。
結局それというのはヒトと腐敗菌との生存をかけた戦いだから、製造からある時間内であれば大丈夫で、それを過ぎたら一律ダメ、みたいなものでもないだろうと。カオスな存在である人間初めとする生物らのそういう諸々の営みを、全てロジック化して適用することは、やっぱり無理なんでしょう。
だからまあ、自分の身を守るために最後に判断を下すのは自分であるべきで、他の誰かの判断なんてものは目安にしかならない、という話なんですが。
だってハラ壊して痛い目みるのは自分ですからね。
ほとり | URL | 2006年10月02日(Mon)13:40 [EDIT]