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イギリスの暴動を見て考えた、OECDが大人の学力調査を始めなければならない理由/経済成長が終わった社会と教育
ノルウェーの事件に続き、今度はイギリスで暴動が発生した。
当初、参加者はアフリカ系やアジア系の若者たちとされていたが、実際には白人もいて最年少は11歳。少女も混じっていたという。

日本社会が目標にしてきた北欧、落ち着いた生活が羨望の目で見られてきたイギリスで、驚くような事件が起きている。
数年前にはフランスで、イスラム系の若者たちが大暴動を起こした。
その内情をよく見てみると、それが日本人にとっても他人事ではないことがわかる。

キーワードはグローバル化、格差、新自由主義だ。
こういった時代の流れに、ヨーロッパはどう向き合ったらいいのか。
OECD経済協力開発機構が、大人の学力調査を行なおうとしている理由の一つがここにある。

先月末、OECD事務総長の教育政策特別顧問、アンドレア・シュライヒャー氏が来日し、講演した。テーマは「PISAから見た21世紀の教育」。
PISAというのは、毎回結果が出る度に大騒ぎになる、例の国際学習到達度調査である。
私は常々この騒ぎを不快に思っていたので、文句の一つも言ってやろうという気分で出かけた。
ちなみに日本ではピサと読まれているが、ヨーロッパではフランス式にピザと読むそうだ。

シュライヒャー氏は背が高く、目も髪も色が薄い、これぞドイツ人という風貌だ。
来日後、被災地を見て回ったとのことで、深い憂慮の念を表明。
その言い方に誠意が感じられて、私の反感は少し薄らいだ。

まず驚いたのは、そのビジネスライクに洗練された講演のスタイル。
ほとんどビジネスマンのプレゼンテーションである。
「不都合な真実」のゴアを連想させた。
BGM入りのインタビューフィルムまで駆使して、澱みなくテンポよく展開する。
とても、こういう立場の人間の講演とは思えなかった。
色々考えさせられるものがある。 

で、とにかくわかったのは、PIZAは学力を測るものではないということだ。
シュライヒャー氏はこれを繰り返し強調した。
PIZAは制度のパフォーマンスを測るための、一つの基準だと。

実はPIZAの設計自体、手探りで行なわれているらしい。
実施は三年毎だが、次回は一層、社会的関係における知識の応用を問うものになる。
さらにその次の段階として初めて、グループ内での問題処理能力を問うものにする予定だそうだ。

そして講演は次のような言葉で締めくくられた。
競争に参加できない人間を抱えているのは、社会のコストだ。
デジタル化し、知識を共有する社会の中で、誰もが能力を伸ばすことができるようにする必要がある。全ての生徒が高い教育を受け、成功すべきなのだ。

う~む・・・人間をコストだ何だと表現するのは感心しないが、この人自体は感じのいい人ではある。だから、講演後の休憩時間にコーヒーコーナーで鉢合わせした時、思わずダンケシェーンと言ってしまった。
Oウムラートがうまく発音できずに無念。

終了後、一緒に聴いていた大学教員たちと夕食を摂りながら、意見交換した。
中にPIZAに詳しく、フィンランドにも視察に行った人がいて、補足説明をしてくれた。

元々PIZAは、レーガン政権時代にアメリカがOECDに対し、実施を要求してきたものだという。受け入れないと金を出さんよという態度だったらしい。
そこでOECDは、受け入れる代わりにアメリカの世界支配に対抗すべく、違う方向を模索するという判断をしだそうだ。

つまりPIZAは、経済成長が終わったヨーロッパ先進国が、21世紀にどういう社会を築いていったらいいのかを、教育レベルで考えるものとして始まったわけだ。

それが国家間の競争に巻き込まれ、特に東アジアが猛烈に頑張っていることに戸惑っているのである。だから東アジアからお呼びがかかると、フットワークも軽くやってきて、こうしてプレゼンテーションしているのではないか、というのである。

前回2009年の調査では、数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーの三分野で上海がトップ。その他、韓国や香港、台湾が上位に入った。
デジタル読解力では韓国が一番だった。

肝心のヨーロッパでは唯一、フィンランドが健闘しているのみ。
日本はそれぞれ、9位、8位、5位である。
アメリカもフランスもイギリスもドイツも、ベスト10には入っていない。
いわゆる先進国の中で、日本が上位であることがわかる。

中国が、上海という都市単位で参加したのは意図的だし、韓国の躍進も手放しで讃嘆できない。韓国の青少年の幸福度は、同じOECDの調査で最下位である。
それに韓国は高校入試を全廃し、大学入試をPIZA向けに変えたのだそうだ。
そういう中国や韓国と、日本が競争するべきなのだろうか。

ちなみにシュライヒャー氏が言うには、フィンランドは教員に対する社会的評価が非常に高く、最も優秀な学生が教員を目指すそうだ。
ビジネスマンが教員を見下しているような社会とは違う。

教育を対費用効果で測る風潮もないのだろう。
報酬も高いし、定期的に大学に戻って研究して資質の向上を図るという。
要は、ビジネスの論理と新自由主義に振り回されていないということではないだろうか

私はイギリスの暴動を見て、「競争に参加できない人間を抱えているのは、社会のコスト」という言葉を思い出した。
サッチャー政権時代、イギリスはいち早く新自由主義を受け入れた。
その後、EU統合が進展するにつれて様々な問題が起きてきた。
そして今、社会の荒廃と分断は私たちの想像を超えている。

低所得者住宅に住む子どもたちの中には、テストの問題も読むことができない子もいるらしい。
今回の暴動には、そういう若者たちが多数参加していた。
イギリスの現状は他人事ではない。
夜の10時頃、塾に子どもを迎えにくる熱心な親がいる一方で、もはや教育を放棄したような親子もいる。

一方で、学校は「デジタル化が遅れている」おいしい市場として狙われている。
触っただけで三角形や台数が描けて、ゲーム感覚で学べるデジタル黒板やデジタルノートで、果たして知性は育つだろうか。

経済成長というモチベーションが消えた社会で、学校はどういう存在であるべきか。
教育は子どもや若者に何を提供するのか。
私たちの社会はこれから、何を目指してどういう道をいったらいいのだろうか。

本当に考えなくてはいけないのはこれだろう。
教育が国家間競争の手段になっている現状は虚しい。
いや、教育自体がいつまでも競争の手段では、未来は危うい。
そもそも雇用を不安定にしておいて、平等な教育も何もあったものではない。

OECDが大人の学力調査を始めざるを得ないのは、状況が逼迫しているからだと思う。
多くの人間が不安定な状況に置かれているからだ。
しかし、大人の学力調査など始めたら、リクルートやベネッセあたりに利用されるのは目に見えている。
新自由主義が蔓延している限り、OECDの意図がどうであれ、教育も社会も荒廃するだけだ。

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