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脱原発の思想/情報から思想へ転換し、自然と共存してきた日本人の知恵を取り戻そう
5日の夜、教育テレビで放映されたETV特集は、亡き梅棹忠夫の未完の草稿を読み解きつつ、脱原発の思想を探る試みだった。梅棹忠夫は未刊に終わった「人類の未来」で、科学に基づいた文明は破綻すると警告するつもりだったそうだ。
なぜならば、科学文明はみずからの発達によって墓穴を掘るからである。

こういう指摘自体は以前からしばしばなされていた。
でも最近はすっかり忘れられていた。
IT社会になってから、文明の発達によって何かが破綻するという声は、ほとんどかき消されるようになってしまった。
一つには思想が衰退して全てが情報になり、知性の在り方が変わってしまったからだろう。

で、梅棹の指摘はここから冴えてくる。
「科学は人間の業のようなものだ。その根源は、人間が知的生命体であるということにある。」「人間はどうしても真理を追究し、論理を構築し、知識を蓄積し、新しい技術を生み出そうとする存在なのである」

全くその通りだと思う。
私はそもそも知性至上主義に反対だ。
薄っぺらなのに、頭の回転だけは早いような人間がもてはやされるのはおかしい。
別に頭の回転が速いことが知性ではないが、そう思われている。

私は一連の経過を見ていて、専門家というものがいかに怪しいか痛感させられたが、特に原子力安全委員会の班目委員長という人間に注目した。
ひことで言えば、中身スカスカの受験秀才の成れの果てなのだが、何を聞かれてもへらへらしていて責任感のひとかけらもないのに、プライドだけは高くて、それが傷つけられると烈火の如く怒る。あれが位人臣を極めた人間なのだから、頭の良さとは何なのかと考えさせられる。

話は戻るが、梅棹は「人間はみずからの業を自覚しなければならない」と言う。
今、未曾有の原発災害を目前にして、私たちが本当に考えなければならないのはこれだろう。この事態が人間に突きつけているのは、知的生命体が宿命的に持つ驕りへの反省である。原発の発明から始まって、強引な推進、災害が起きてからの不適切な対応など、全てに人間の驕りが感じられる。

この番組には、宗教学者の山折哲雄も出てきて、梅棹の思想を語っていた。
実は少し前に山折が雑誌のインタビューに答えて、こう問いかけていて興味深く読んだ。
「海外でフクシマ50が賞讃されているが、あれは少数の犠牲を出して多数が生き残る文化。だから英雄を必要とする。日本もそういう生き方をするのか」

それに関連して、山折は番組でこう述べる。
「一神教は犠牲を前提に生き残り戦略を考える。ノアの方舟だ。しかし例えば法華経では、三車火宅の譬えに見られるように、全員が助かる。日本人は明治以降、西洋文明をどんどん取り入れて、頭の中ではそういう発想を理解してきた。だが首から下の身体には、違う発想を残している」。
私が新自由主義に反感を感じるのも、恐らくそのせいだろう。格差を広げてもエリートを輩出するという発想には反対だ。
成功もしていないし。

山折は続ける。「それにしても日本人はかつて、自然を支配しようとは考えなかった。いつからそうなったのだろうか」
原発という仕組みの根源にある発想は、自然の支配である。原発は元々、日本列島における生活の在り方に合わない。日本人が災害と共に生きていくる中から蓄積してきた、知恵の否定である。日本には日本の、気候風土に合った暮らし方があるはずだ。科学の力を借りて、地球上どこでも同じ生活をすること自体に無理がある。

私は原発問題が、科学や数字のレベルでのみ語られることに強い違和感を感じてきた。
この問題はもっと広い、文明史的視野で考えるべき問題だ。
そして、脱原発の思想というべきものを構築していく必要がある。

日本人が今なお脱原発へ明確な転換ができないのは、不安だからである。
それは電気が足りなくなるという以上に、依って立つ思想的基盤を持てないからではないか。つまり信念が持てないのである。
ここ20年ほど、アカデミズムとマスコミが共闘して破壊した「思想」の復権が、今こそ必要な時はない。

梅棹忠夫は、敗戦後みんなが打ちひしがれている時に明るかったという。
「最悪の事態にはなったが、だからこそ過去のしがらみを断ち切って、新しい社会をつくることができる」と。また「思想は使うものである。西洋かぶれのプロが担うものではなく、アマチュアが生み出すものである」という言葉も残している。

日本人はこれから、新しい社会を生み出していくことができる。
政治は迷走しているが、既成の仕組みを維持しようとしている人間に、何を期待しても無駄である。普通の市民一人ひとりが、生活しながら自分なりに考えていくことが、必ず大きなうねりになっていく。
情報から思想へ、スイッチを切り替えよう。
情報を追いかけ、振り回される生活はやめないといけない。

魯迅は言った。
「希望とは道のようなものである。それはあるものとも言えないし、ないものとも言えない。大勢の人間が歩けば、そこに道ができるのである」

なお「現代思想」5月号が「東日本大震災」を特集している。
7月号は「震災以後を生きるための50冊」だ。
参考になる。

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新大久保で韓流スター
行ってきましたよ「聖地」
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ROTIやONCEの生ライブ
ずーっと叫びっぱなしで
楽しかったです!
http://www.lucky-7.jp
【2011/07/26 11:18】 URL | 朝夏 #HdXTMQ3I[ 編集]


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