参照: http://myp2004.blog66.fc2.com/blog-entry-5.html //
小泉構造改革の間、道路公団の藤井当時総裁とライブドアの堀江社長がそれぞれ、代表責任者の地位を失った。
藤井はLawful Egoistの典型であり、堀江はChaotic Egoistの典型だった。
藤井は道路公団に巨額の赤字を負わせたこと、堀江は粉飾決算で株主に割高な株を買わせたことが問題視されているようだ。
それらの問題は容認されるべきではない。しかし、社会を構造という観点から捉えるならば、「わがままな彼ら」にも社会で果たした役割があった。
藤井が躓いたことで、官僚主導の政治を改革し、体制を縮小しようとする小泉純一郎にはより一層の支持が集まった。体制の肥大化に歯止めがかかった。
堀江が躓いたことで、行きすぎた規制緩和に社会は懸念を示すようになった。経済製作における過度な放任主義に歯止めがかかった。
社会で様々なアラインメントがそれぞれある程度の力を持ち、それらの力の均衡で社会全体が中道にある時、それぞれのアラインメントが社会の発展と繁栄に貢献する。「わがままな彼ら」もまた例外ではない。
戦前戦中の日本、ドイツ、イタリアが国際社会の鼻つまみ者であったこと、恐怖政治時代のソビエト連邦と文化大革命時代の中国がそうであったこと、そして現在の北朝鮮がそうであることには、アラインメント均衡の崩壊という共通点が見られる。
アラインメントの均衡が崩れた社会は、アラインメント均衡を取り戻すか、体制を壊して立ち直るか、戦争を始めるか、いずれかの道を辿ることになる。
主権者としての国民が平和維持を望むならば、まずは自国の、そして次に周辺国や同盟国のアラインメントの均衡や不均衡を意識するべきだ。アラインメント均衡に導く国内政策や外交政策は実りが大きい。
また、全体が中道にあるときでも、Neutralsが強すぎることによる中道は危うい。厚すぎる無党派層が現在の日本の懸念材料だ。政治家、市民運動家、そして一部の報道関係者には、自らが社会においてどのようなアラインメントやクラスを代表するのか、という政治の原点を見つめなおし、無党派層をこつこつとどこかに吸収して欲しい。
by Lexar, also known as Leoneed
(今回の一連のアラインメント論はこの記事で終わりとなる。Lawful-Chaotic軸、Altruist-Egoist軸しか詳しく取り上げなかったが、アラインメント軸にはPan-Pongo軸やCommunist-Capitalist軸など、他にも多数存在する。)

