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舞子海岸の孫文記念館
のんびりと時間のできた休日、思い立って舞子海岸にある「孫文記念館」に行ってみることにしました。
僕の自宅から路線バスで10数分、舞子駅にほど近い海岸にその建物はあります。
実は、孫文記念館は世界中にありますが日本ではここが唯一です。
孫文記念館

建物自体も大正時代の名建築で、国の重要文化財に指定されていますが、明石海峡大橋建築の際、工事の支障になることからいったん解体され、改めて海峡大橋完成後に元あった場所よりやや南寄りに移築、復元されたものです。
明石海峡大橋と孫文記念館

舞子の人たちの間では記念館東側の八角形の建物、移情閣は「六角堂」と呼ばれて親しまれています。
なぜ八角形なのに六角堂かというと、どこから見ても・・六角形に見えるからなのだそうです。


この建物はもとは神戸在住の華僑で実業家、呉錦堂氏の建設で、同氏の別荘とされていました。
この人物は華僑の活動を補佐する団体を作ったほか、セメントなどの日本の事業も起こしたり、関西の様々な企業の設立にも参加した神戸の有力者でした。

呉氏は神戸でも新田を開発し、村を起こすなどしましたが、晩年は中国に帰り、より巨大な彼の理想とする村を作ったそうです。

さて、この別荘が孫文記念館となったのには、この別荘が孫文とかかわりがあるからですが、その関わりとは・・
1913年、孫文が神戸に来たときに、神戸の政財界が彼を歓迎する昼食会をここで開いたことから始まるそうです。
ただし、その時はまだ「六角堂」はできておらず、今も残る別荘で祝宴がはられていたようです。

孫文の理想とする世界は「三民主義」と呼ばれていて、「民族主義」・・これはたんに自民族だけに固執するのではなく、各民族が協和して国家の安泰を築こうというもの。
そして「民権主義」・・これは民衆に主権がある共和制そのもので、彼は3権分立にさらに2権を加え、5権憲法による民主主義を説いていました。
最後の「民生主義」は民衆の福祉の充実のためにある程度国家の介入によって土地や富を分配する・・いわば社会民主主義の方向に向いているといえるでしょうか。

孫文は世界を回ったが、活動の拠点は日本においていました。
日本に来た際には必ず神戸に立ち寄り、そのときもまたこの呉氏の別荘に滞在していたと思われるが、そこのところは正確にはわからないのです。

不思議なのは革命の闘士たる孫文が滞在したこの別荘と、明治・大正の天皇初め多くの皇族方が訪れた「有栖川別邸」(今の舞子ビラ)は国道2号を挟んで向かいに位置し、ある意味では不思議な歴史の出会いともいえるでしょうか。
今も、この二つの施設は舞子のイメージとなって市民に親しまれています。

さて、孫文記念館では驚くほど充実した展示内容に、時間を忘れるほどです。
まずは「民族主義」の原稿です。
孫文民族主義原稿


そして人柄を感じさせる名前だけの名刺。
孫文名刺

さらに、孫文の書。
孫文自筆

孫文を神戸において支援した呉氏もまた私財を民衆のために使おうとした革命家でありました。
孫文は偉大な革命家で、しかも決して清貧に閉じこもるような人物ではなさそうです。

孫文を支えた日本人の展示・・

渋沢栄一や南方熊楠、犬養毅といった幅広い交流は彼が如何に日本で高く評価されていたかの表れでしょうし、彼を歓待する明治・大正の日本人もまた、懐の大きな人物が多かったのかもしれません。
孫文を支えた日本人

しかし、袁世凱と敵対してからの彼を当時の政府は快く受け入れず、それでも彼を尊敬する多くの政財界人の必死の説得で彼をまた日本に上陸させることに成功したそうです。
政治の世界では理想よりも現実・・なのでしょうか。

さらに、当時の日本はアジア侵略へ向かっていました。
朝鮮併合や中国への干渉に孫文もよい感情は抱いてなかったようですが、それでも、彼を支えてくれた多くの日本人に配慮してか、日本を責める口調は影をひそめていたといいます。
「朝鮮のことは今日は語りたくない」
新聞記者に質問され、そう答えたとされる彼の心情はいかばかりであったでしょうか。

神戸第一高等女学校で、彼は「大アジア主義」という講演をしました。
革命未だ成らず・・
そして文明が進むほどに意固地になってくる国家というものを彼は悲しく見つめていたのではないでしょうか。

この講演が孫文の最後の講演になり、彼は翌年、北京で亡くなったそうです。


最後に六角堂の見事な内部の写真を見ていただきましょう。移情閣内部


追記:
孫文記念館はJR舞子駅、山陽(阪神から直通)舞子公園駅から徒歩5分程度。
明石海峡大橋アンカレッジのすぐそばです。
月曜休館(月曜が祝日の場合は開館して翌日休館)
10時から17時まで(入館は16時30分まで)
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テーマ:兵庫県 - ジャンル:地域情報


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