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『SAPIO』の再変節、そして、私たちに必要なこと

 私が政治や経済について考えるようになったきっかけとしては、やはり、雑誌『SAPIO』を読んだことが大きい。私は今も昔も個人主義者 ― いいかえると、権威に抗してでも個人の権利を擁護しようとする者 ― で、1990年代の『SAPIO』は反権威主義的であった。当時掲載されていた小林よしのりの漫画には、権威を蹴飛ばし、実力で自らの道を切り開こうとする反骨の気概があふれていた。


 『SAPIO』が変節し、権威主義方向に流れていくのに合わせてか、小林も一緒にそっち側にいってしまった。実力がないのに地位についている ― と彼が見なす ― 一部の知識人らを批判していた彼が、今や、実力に関係なくその地位についている天皇を崇拝しているのだから、彼について私が覚える幻滅はかなりのものだ。反骨の小林はどこに行ったのだろうか?


 小林よしのりについて、私は「彼は何かに敗れたに違いない」として整理整頓した。しかし、『SAPIO』は私にもその他の個人主義者にも見捨てられなかった。小林を超える反骨精神を漲らせた大前研一が連載を続けていたからだ。国を守るために命を懸けるという発想を、軍事要員たる自衛隊員たちだけではなく、国民全体に対して一般化しようとするかのような論調が目立つ『SAPIO』に連載を続けながら、2005年にhttp://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/04/思い切った提案をするなら、日本の自衛隊を5分の1ぐらいに縮小して、外人部隊として日本がロシア兵士を“傭兵”として雇ったらどうか。間接的にでもクレムリンの目が光っていれば、北朝鮮は絶対に逆らえないし、変な行動には出ない。しかも、ロシアが“友軍”となれば、北の守りについてそれほど気にする必要がなくなると述べる大前は、文句なくかっこよかった。(大前は今でもかっこいい。国や社会に何が起ころうとも、彼はみだりに誰かを責めることなく、事態への対処のために策を練りつづける。ゆるぎないその姿勢には高潔さすら感じられる。)


 アメリカがサブプライムローンでガタガタし始めると、『SAPIO』はロシアの新興富裕層のことを取り上げるなど、グローバルな資本主義観をも展開するようになった。つまり、ある部分では、大前研一的に脱保守化したのだ。
 しかし、サブプライムローン問題の余波で、ロシアも2009年に成長率が?8.7%に落ち込んだ。


 そして2009年12月23日と2010年1月4日の合併号で、『SAPIO』は再び大きく変節した。この変節は一般にそれほど注目されないかもしれないが、個人主義者たちにとってはかつてないほど大きいものだと思う。掲載記事の見出しをいくつか並べてみよう:

【SIMULATION REPORT】織田信長から山本五十六まで 日本史上最強の戦争指揮官は誰か?
〈手書きでなぞる〉はじめての般若心経入門
·日常の自分を気軽に切り替える術/小峰彌彦
·解説「空」――「しあわせ」実感への道/玄侑宗久

 「考える紙」だったはずの『SAPIO』から、「考える」という部分が欠落してしまったように読める。
 「最強の戦争指揮官」ランキングというのは、「最強のプロボクサー」ランキングや「最高のオーケストラ指揮者」ランキングと知的活動の水準において大差がない。
 それにも増して、カルチャースクールを連想させる「〈手書きでなぞる〉般若心経入門」は新鮮だ。「なぞる」は「考える」とはほぼ逆で、理屈っぽい般若心経へのアプローチとしては儀式的すぎる。また、仏教の開祖である釈迦は王子でありながら王国を捨てた人物、つまり、反権威主義者の極みにあった人物であり、その教えが『SAPIO』で取り上げられるのは意外な感じがする。
 要するに、『SAPIO』は脱大前研一的に再保守化したのだ。保守化は思考の鈍化を伴う。だから、最近の『SAPIO』には「考える」という雰囲気が希薄になった。
 1990年代初頭にシビックな社会主義側は手詰まりになったが、それから20年もたたないうちに、エスニックな国家主義側も手詰まりになった。内政における鳩山政権の手詰まり感は、政治思想両陣営の手詰まりの反映に他ならない。


 考えてもうまくいかなかったのならば、別の方向に考えてきた人々と話し合うしかない。それぞれに譲れないものはあろうが、前向きに検討できる課題も存在する。私たちに必要なのは対話なのだ。
 『SAPIO』はエスニックな国家主義側の一角に過ぎないが、その再変節は彼らからのあまり自覚されない気恥ずかしさを含んだ招待、対話への招待のように感じられる。その対話が生じるかどうかで、日本が現在の閉塞感を抜け出し、なおかつ、個人の生き方に対してもっと公平になるように社会を再構築できるかどうかが決まると思う。

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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済


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