今、若いお母さんは本当にオシャレできれいだ。
ベビーカーを押していても大学生にしか見えないし、
子どもの手を引いていても独身にしか見えない。
何だかんだと言っても豊かになって、普段着がレベルアップしたこともある。
子どもの頃、疲れ果て髪を振り乱している世の母親たちを見て、
絶対にああはなりたくないと思っていたことが嘘のようだ。
母親と子育てをめぐる環境は大きく変わった。
少なくとも物理的には家事も子育ても楽になって、
その分、自分の服装や髪型にも気を遣うことができるようになった。
いや、むしろ若く見えてオシャレでなくてはいけないのである。
子育て中でも気を抜けないのだ。
そのための商品やサービスは山ほどある。
かくして女性は、どんな時も幾つになっても美しくなければならないことになった。
女性にのしかかる美へのプレッシャーは、かつてないほど強まっている。
これは皮肉としか言いようがない現象だ。
大塚英志の言葉を借りると、フェミニズムが市場経済と共犯関係をつくって以来、
一直線に進んできた自己商品化が、来るべきところまで来た感じがする。
先日、神戸でミセス日本コンテストが行なわれた。
30代から50代の、若い頃からそれなりに自信があったらろう女性たちが、
「自分を諦めたくない」「新しいことに挑戦したい」と参加した。
恐らく時間もお金もある専業主婦。
一番お金を落としてくれる層だ。
このコンテスト自体、マーケティングの一環だろう。
意欲的なのも、いつまでも美しくありたいという意志も素晴らしいが、
それが外見への執着だけなのは寂しいし残念だ。
いつかは限界が来るわけで、その日を先延ばしにしているだけの話だ。
経験の蓄積による知恵も、社会を見つめる目も感じられない。
生老病死は人間の運命。
かつて女性はある年齢になると、
源氏物語などを学びながら運命を見つめる心構えをしたものだ。
しかし今や市場経済が暴走する中、
若さと美への執着ばかりがモンスターのように膨張している。
それを私はとても危ういと感じている。
ベビーカーを押していても大学生にしか見えないし、
子どもの手を引いていても独身にしか見えない。
何だかんだと言っても豊かになって、普段着がレベルアップしたこともある。
子どもの頃、疲れ果て髪を振り乱している世の母親たちを見て、
絶対にああはなりたくないと思っていたことが嘘のようだ。
母親と子育てをめぐる環境は大きく変わった。
少なくとも物理的には家事も子育ても楽になって、
その分、自分の服装や髪型にも気を遣うことができるようになった。
いや、むしろ若く見えてオシャレでなくてはいけないのである。
子育て中でも気を抜けないのだ。
そのための商品やサービスは山ほどある。
かくして女性は、どんな時も幾つになっても美しくなければならないことになった。
女性にのしかかる美へのプレッシャーは、かつてないほど強まっている。
これは皮肉としか言いようがない現象だ。
大塚英志の言葉を借りると、フェミニズムが市場経済と共犯関係をつくって以来、
一直線に進んできた自己商品化が、来るべきところまで来た感じがする。
先日、神戸でミセス日本コンテストが行なわれた。
30代から50代の、若い頃からそれなりに自信があったらろう女性たちが、
「自分を諦めたくない」「新しいことに挑戦したい」と参加した。
恐らく時間もお金もある専業主婦。
一番お金を落としてくれる層だ。
このコンテスト自体、マーケティングの一環だろう。
意欲的なのも、いつまでも美しくありたいという意志も素晴らしいが、
それが外見への執着だけなのは寂しいし残念だ。
いつかは限界が来るわけで、その日を先延ばしにしているだけの話だ。
経験の蓄積による知恵も、社会を見つめる目も感じられない。
生老病死は人間の運命。
かつて女性はある年齢になると、
源氏物語などを学びながら運命を見つめる心構えをしたものだ。
しかし今や市場経済が暴走する中、
若さと美への執着ばかりがモンスターのように膨張している。
それを私はとても危ういと感じている。

