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「聖杯」信仰

「投機」は「時機」を「狙い撃ち」する行為です。英語では、「speculation」であり、この単語もまた「狙い撃ち」を意味します。

サブプライムローンは投機的ではなかった。

サブプライムローンの売り手も買い手も、危機から素早く逃れる手段を用意していなかった。サブプライムローンの成功率は2003年?2006年に非常に高かったため、彼らは時機を全く考えていなかった。不動産価格が低い時に契約数を増やし、不動産価格が高い時にサブプライムローンの契約数を減らすような、投機家の発想でごく当たり前のことすらやらなかった。

サブプライムローンビジネスの参加者は、刻々と変化する市場で最良の時機を狙い撃ちするという苦労の多い仕事の代わりに、市場の変動率について自己中心的な想定を行い、その範囲内で美しく機能する数式に運命を委ねてしまいました。これは投機家の発想ではありません。

「投資」はお金の運用を誰かに任せる行為です。

サブプライムローンの買いは投資でもなかった。

サブプライムローンの買い手が出したお金は運用されていないし、買い手が借り手の返済能力に強く期待をしていたということもない。

サブプライムローンを買った人は、金融工学とそれにより導き出されたモデルを信じ込んでいました。買う時機も、任せる相手も考えなくて済む夢のようなお金儲け手段がある、と彼らは大真面目に信じ込んでいました。

信じて従うだけで儲けさせてくれる運用モデルのことを、業界ではしばしば「聖杯」と呼びます。景気が最高潮をちょっと過ぎたころの微妙な時期に、「聖杯」がたくさん並べられ、お金が余っている人を誘います。

サブプライムローンビジネスの本質は、いうなれば、ある種の信仰に他ならなかった。そして、彼らが信じた「聖杯」は本物ではなかった。

少なくともここ2000年の間、誰も本物の聖杯を発見していない。

どんな時も利益を上げつつけている大富豪ウォーレン・バフェットは、9歳から清涼飲料水の売買で稼いでいた根っからの商人です。ジョージ・ソロスはナチスの手を逃れて父親とヨーロッパをさまよい、アメリカで極貧生活から身を立てた人です。ITバブル崩壊を予想して時代の寵児になったスーザン・カラはもともと技術者で、金融の仕事をするようになっても、中古通信機器を売買する店に毎日足を運んで価格調査をしていました。

涼しい顔で危機を乗り越える人々は現場を知っています。

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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済


この記事に対するコメント
言われてみれば
言われてみれば、極めて常識的な話ですね。
つまり、皆で常識を忘れていたということか。
【2008/10/19 14:51】 URL | G2 #-[ 編集]

賭博にも色々あるように
信仰というほどの大それたものであろうか。
単なる「甘え」ではなかったか。

単に信じたからといって「聖杯」とはまた大それた……。
「金の卵」ほどのものではなかろうか。

賭博にイカサマがなければ、
カードやサイコロは確率に重きがあり、
競馬・競輪・オートレースなどは出走者のコンディションや相性などが結果に絡むと予想しうる。

投機家にとってサブプライムローン問題は、
賭博における後者のような分析不在であったのでしょうか。

然し賭博も投機も所詮はアブク銭です。
ところが皆々が利率の高さを求めますから、
実経済も投機で支えられているところもあり、
賭博で失敗するよりも投機で失敗したほうが同情を受け易く。
【2008/10/20 20:56】 URL | ガ~ン #agFkpVbw[ 編集]


投資銀行の彼らは工学を少なくとも6年ほどは学び、実務経験も積んで、サブプライムローン関連商品を開発していたのです。それでも失敗しました。これが「甘え」なら、医師が手術で失敗しても「甘え」ということになります。問題の原因を「甘え」と断定してしまえば、そこから先に再発予防への道は開かれない。

医師が手術で失敗したならば、その原因をもっと具体的に突き止めたほうがいい。経験の不足や、支援体制の不備など、失敗の本当の理由は「甘え」以外にもいろいろ考えられます。

サブプライムローンビジネスの失敗にも、本当に理由はあるでしょう。

投機家から見れば、サブプライムローンの最大の問題点は、開かれた市場が存在しなかったことです。これでは、雲行きが怪しくなっても逃げられない。

行動経済学の観点からは、べき分布と不確実性についての理解が、金融工学に決定的に欠けていたことが指摘できるでしょう。危険性は予測可能ですが、不確実性はそうではない。

人生哲学からも考えていい。確固たる信念なき人は事をなしえないが、時に人はその信念の強さゆえに破滅することもあります。
【2008/10/21 00:03】 URL | Lexar #tV7uNBRQ[ 編集]

反論は「甘え」にだけですか?
「甘え」という言葉を「惰性」と言い換えてもよい。
すくなくとも「信仰」の名には値しないといいたい。

アブク銭に「工学」という理数系的な名称を用いるのも、
用いたがるのも、怪しい。
数式を多用する経済学もまた、
理数系的な説得性を装うペテンです。

本来、経済(経世済民)学は貧困をなくすための学問です。
【2008/10/21 08:19】 URL | ガ~ン #agFkpVbw[ 編集]


金融で大失敗する人は、みんな何かを頑なに信じておるのですよ。その気持ちの強さたるや、宗教家に劣らない。「甘え」「惰性」という言葉は、彼らの気持ちの強さをうまく表現できないので、問題の本質から人の目をそらせてしまいます。

金融工学のある部分は宗教です。その教義の中心には、世界は 正規分布的 である、という大前提があります。平均が最多数で、極端な乖離は稀である、と彼らは信じています。

一方、行動経済学には、世界は べき分布的 である、という考えがあります。

実際、平均は最多数ではない。例えば、日本でGDPを労働年齢人口で割ると、1人当たり900万円近くになります。夫婦なら、合わせて1800万円ほどです。これが平均ですが、最多数ではない。経済はべき分布的であり、最多数はもっと貧しい。

貧困から人々を救おうとすることは、べき分布的な経済を正規分布的な経済に変えるべく努力するということに他ならない。正規分布的な経済の上では、サブプライムローンビジネスも破綻しない。
【2008/10/21 11:09】 URL | Lexar #tV7uNBRQ[ 編集]

賭博も投機も大差ないのでは?
ただ、本当の賭博は娯楽という側面があります。
しかし賭博で身を持ち崩した人々が、
賭博を単なる娯楽と認識していたとは思えません。
投機と同様、「うまくいけば“金のなる木”」ではなかったか。

また「宗教家」という譬えも不適当だと思います。
「信念に殉ずる覚悟」のない者は似非宗教家ですので。

平均が多数でないことは当然です。
であるからこそ「最頻値(さいひんち)」という
言葉がとうの昔に発明されたのではないでしょうか。

信仰とか宗教とかというよりも、
日本でかつて使われた「神話」といったほうがいいのではないでしょうか。
「自由」ではなく「放縦」であったのです。
「神々の時代」というと聞こえがいいかもしれませんが、
換言すると「未開の時代」です。

自由は「弱肉強食」の世の中では成立しないのです。
【2008/10/22 00:40】 URL | ガ~ン #agFkpVbw[ 編集]


「信念に殉ずる覚悟」は投資家にも、投機家にも、サブプライムローン事業の設計者にも当然あります。危機に陥った金融機関側が政府に積極的に救済を求めたのではありません。救済を申し出たのは、政府の側なのです。

賢い投資家は国債にも分散していますから、約7年から10年で今回の損失分を取り戻すでしょう。職業投機家の約半数は、今回の騒動でむしろ空売りによる利益を上げたと思います。サブプライムローン事業の直接関係者は大量に失業中ですが、彼らは政府へ対策を要求するデモ行進などしない。

過去を振り返っても、LTCMが破綻した時、経営者は救済を求めず、LTCMが持つ手法を狙った買収が行われました。ニーダホッファー(兄)は暴落中のタイ、日本、アメリカでプット売りを敢行して破産しましたが、政府に救済を求めなかった。タイガーファンドの破綻に際しても、経営陣も出資者も腹をくくりました。

金融業界には明らかに自らが信じる手法に対して信仰心に近い気持ちを持っている人々がいます。だからこそ、「聖杯」という言葉が使われるようになりました。
【2008/10/23 08:15】 URL | Lexar #tV7uNBRQ[ 編集]

「殉ずる」
「救済を求めない」≡「殉ずる」ではない。
「磔刑に処されることさえも厭わない」ことが「殉ずる」である。
例せば桃山・江戸初期の宣教師たちである。

転向もまた、一度は自らの死を目論み、そして、
新たに依り良いもののために活きる決意である。

賭博では当たりが少数であるほど利が大きい。
投機は多数に乗っかり、程良い頃合いで降りるほど利が大きい。

「信仰に近い気持ち」は決して信仰ではありません。
せいぜい「無一文から始める覚悟」程度のものでしかありません。

“「聖杯」という言葉が使われるようになりました”
多数が用いている言葉の請け売りでしたか。
【2008/10/23 12:48】 URL | ガ~ン #agFkpVbw[ 編集]


「磔刑に処されることさえも厭わない」のは宗教家の覚悟ですから、もちろん、商人たちには当てはまらない。そういう死に方は商人にとってはむしろ恥辱なのです。

破産後にやり直しの望みがない場合、商人は自ら死を選ぶことでしょう。商売上の破産が死と同義であったヨーロッパ中世で、多くの破産商人たちはそうしましたし、20世紀に入っても、リバモアはピストル自殺を遂げています。倒産した会社の社長の自殺は、日本でも珍しくない。

ただし、商人たちはしぶといので、簡単には諦めない。
【2008/10/23 18:39】 URL | Lexar #tV7uNBRQ[ 編集]

「諦めない」と「殉ずる」は違います
日本においては商人に人気のあったような宗派がありますが、
灯明台下暗しで、よくわかりません。
(“しぶとさ”の宗教なのかもしれません)

ただ、単なる自殺と「殉ずる」は違います。
単なる自殺は、むしろ「逃避」です。
「殉ずる」は「活かす」方向性です。

前回、転向について述べました。
【2008/10/24 02:35】 URL | ガ~ン #agFkpVbw[ 編集]


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