やむにやまれないが自分ではどうしようもないことがある時には、
古典を読むにしくはない。
かつて自分以上に大きな問題に直面し、呻吟しながらも、
懸命に生きた人たちの想いがそこにあるからだ。
その古典を手に取り、その世界に浸るだけで生きる勇気が湧いてくる。
最近、中国の「詩経」を手に取った。
「詩経」は紀元前の中国古代の人々の様々な哀歓が書き綴られたものだ。
恋愛の喜び。
失敗した結婚、男に捨てられた女性の悲しみ。
収穫の楽しみ。
出征した夫の帰りを待ち焦がれる妻の悲痛な祈り。
私腹を肥やす為政者への痛烈な風刺。
一つひとつの詩篇を読むとよく分かるが、
これらは決して「昔々、あるところに・・・」と言った昔話ではない。
まさに今、私たちの生活上の実感と似た感情がそこにはある。
例えば逢瀬を楽しむ男女の歌「静女」。
上品で器量よしのあの子が、
わたしと城壁の隅で会う約束をした。
それなのに隠れて姿を見せないので、
わたしはじれったさに頭をかきかき行きつもどりつする。
あの子はほんとに上品で美しい。
わたしに赤い管をくれた。
赤い管も赤くてきれいだが、
それをくれたそなたの美しさがもっと嬉しい。
郊外の野原から摘んできたツバナを贈ってくれた。
ほんとに美しくて珍しい。
ツバナが美しいというわけではない。
美しい彼女の贈りものだから。
出征した夫を想う妻の歌「伯兮」を読むと、胸がつぶれそうな感覚を覚える。
「雨よ降れ降れ、降ってくれ」とわたしは祈っていたのに、
日はカンカン照るばかり。
いくら祈っても帰ってこないうちの人のことをひたすら思って、
私の胸は苦しく、頭も痛みます。
どこかから忘れ草を捜してきて、
裏庭に植えましょう。
うちの人のことを思いつめて
病気になりそうだから。
額に汗して働きもせずに食う為政者や特権階級を風刺した「伐檀」。
稼(う)えもおさめもせぬ人が
なぜに多くの禾(いね)を取る
狩猟(かり)にもゆかぬその人が
なぜにムジナを庭につる
あのご身分の殿方は
働きもせず食えるのか
外には秋の風が吹いている。
秋の夜長、仕事で疲れた心でもって、古代の人々の哀歓を想うことにしよう。
※訳文は「中国名詩選(上)」松枝茂夫編(岩波文庫)、「詩経」目加田誠(講談社学術文庫)を参照した。

