久しぶりにアニメ作品の話。
«機動戦士ガンダム»初代は1979年の放送開始当初に視聴率が上がらず短縮打ち切りを被ったが、1982年の再放送では25.7%の視聴率を叩きだした。«機動戦士ガンダム»がロボットアニメだったのは、スポンサーだった玩具メーカーからの絶対条件だったためで、この作品の本当の面白さは人間ドラマにあり、そのため、ロボットアニメにしては異例な女性ファン層を形成し、さらには経営学においても寓話的なものとして言及されることがある。
«機動戦士ガンダム00»は«ガンダム»シリーズの最新作で、ある意味異色の作品でもある。«00»の舞台、EUがアフリカを含むまでに拡大したAEU、アジアを中心とする人類革新連盟、アメリカ合衆国を盟主とするユニオンの3つの巨大体制が睨み合う未来である。加えて、国連もまだ残っている。
戦争根絶を掲げて世界各地に武力介入する軍事NGO ソレスタルビーイング の職員と戦闘員が一応主人公たちといえるのだが、暗躍する国連幹部や巨大体制間に挟まれて苦悩する小国家の王族などの政治家から紛争地域で兵役を強いられる少年兵たちまで、戦時の最上層と最下層を含んで描いている。
«00»は深刻な戦争と戦場の物語と並行して、平和に暮らす市民2人の日常も描写している。国際政治や戦争に何ら影響力を持たないこの2人の存在が、«00»を異色なものにしている。幸福な2人の生活を、物語の後半で戦争が蹂躙する。
«00»の第1期の終盤は凄惨なものになっている。戦闘員は次々に死ぬ。ある男は女をかばって死ぬが、女も結局死んでしまう。宗教も思想も、勇気も矜持も、傑出した才能も、高度に進歩した科学技術の独占すらも、彼らを救えない。
«00»の戦争観は複雑で、一言でうまくまとめられない。
同じように、現実の我々が聞き及ぶ紛争や戦争だって、やはり複雑だ。単純な解決策はない。政治家は紛争につながる危険性のある火種を見つめながら、あるいは、進行中の紛争や戦争に悩みながら、政策を実行していくしかない。政治家がその重圧に耐え、こつこつと慎重な政策を実行している間だけ、民は平和の中に生きることができることもある。

