世界ランキング4位にまでなった人がこう言ったのだから、私は驚いた。キャンディーズや都はるみと同じような感覚である。12年前、つまり90年代の半ばは不況の真最中。かの雅子さんも結婚退職したし、何を頑張る必要があるのかという雰囲気で、1998年の「厚生白書」はそれを「新専業主婦志向」と書いた。
しかし今回の伊達公子の復帰は、マスコミや厚生省の分析がいかに皮相なものだったか、証明する形になった。あれは、一時的な現象に過ぎなかったのである。専業主婦を成立させてきた構造そのものが、もはや過去のものになっているのだ。
今や専業主婦は、なりたくてもなかなかなれない存在になった。なれたとしても、そういう自分を肯定することが難しくなった。今や生活のために働く必要がなくても、何かやりたいのである。また、何かできる人は何かやっている。何もやっていないと、何もできない人だとみなされかねない感じになっている。
この12年の間に、伊達公子の考えも変わったのだろう。それ以前に社会が変わった。相手探しから始めたから予定より遅く結婚したが、夫はずっと復帰を勧めていたらしい。キッズテニス教室という形で仕事を始め、ボランティア活動にも取り組んでいたようだ。世界の舞台に立った人は、その経験を社会に還元する必要がある。もったいないではないか。
しかし、私は伊達公子に言いたいことがある。引退する時、彼女はこうも言ったのである。「ナブラチロワのように、あんな歳になるまでプレーしていたくない」。ナブラチロワは当時、確か36歳だった。今の彼女と同世代である。
女子テニスはかつて、女子どもの遊びだとバカにされていた。それをキング夫人やナブラチロワのような強い意志を持った選手が、様々な偏見と闘いながら地位を向上させてきたのである。そういう歴史の上に、彼女のテニス人生がある。引退当時、あそこまで言ったことを今、どう思っているのだろうか。

