競争社会は最近始まったのではなく、日本はそれ自体が競争社会であるし、そして、国際競争にもさらされている。これを認めよう。
200万超の小中学生に全国統一の学力テストを受けさせるのは、いうまでもなく、教育において競争を重視するという姿勢の表れだが、これについて考えてみる。
現在、世界最高水準の義務教育を実現しているフィンランドには、全国学力テストが存在しない。授業時間数は日本よりも少ない。現場の教師に授業内容を決定する権限を大きく委譲していて、さらに、教師は宿題の大部分について、履行を生徒の意思に大きく委ねている。そのため、宿題はめったに押し付けられず、「もっと勉強したい人はこの問題をやってみたら?」という提案として投げかけられる。国家の計画よりも教師の裁量が優先され、教師の裁量よりもさらに生徒の意志が重視されている。驚くべきことに、フィンランドの中学生は自らの意志で留年を選択することすらある。
教育の現実として、競争は避けられない。競争が不足する事態はあり得ない。日本でも、フィンランドでも、高校や大学への進学に受験を突破することは必要だ。
経済の現実として、競争に大敗する会社は消える。競争に勝ち続ける会社は残る。しかし、大きく成長して名門会社となるのは、少なくと創業からある程度の期間に渡り、競争をうまく避けて独走する会社である。
競争はある種の癖として心に沁みついてしまいやすい。競争を煽れば事態はさらに悪化し、競争社会で大きな成功をつかむのに必要な独走を阻んでしまう。
生徒は直観的に状況を見抜いていると思う。全員が競争を続けるだけでは成功できないし、幸福なるのも難しい。
競争のための教育ではなく、成功と幸福のための教育へと方向転換しなければ、グローバルな競争の中で日本人は疲れ果て、日本経済は総体的に沈むことになる。

