
かねてから懇意にしていただいた浪速の大詩人、東淵修さんが2月24日、帰らぬ人となりました。
僕は昨年末、大阪、難波へ仕事に出たその足で、東淵師の庵を訪ねました。
師は既に病床にあり・・
といっても、僕は師が病床にあって出会えた人間なのですが・・
その時の師は・・
僕が詩の世界の人間ではないことを知った上で、それでも僕に優しく、暖かでした。
ベッドの上から握ってくれた手のひらは思いの他厚みがあって、暖かでした。
でも、その時の師は「水を飲んだらあかんねや」と言われていました。
師が主催されていた「銀河・詩の手帖」223号にはこんな詩が掲載されています。
「チェッ」
東淵修
よなかもよなか
に
みずをくれ
みずをくれ
というてる じぶんに
め
め が さめる
すると
おおきな め の
がめんに
おおきな かおが
かぶさってきて
だめ
だめ!
というやつが いる
はったおしたろか!
と おもう
ち が のぼる
チェッ
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看護される側の気持ちを見事に表した作品だと思います。
でも、看護する側は「長く生きてほしい」一心です。
決していじめているわけではありません。
その看護する人の気持ちも分かりながらも、看護される気持ちをひらがなの師の独特の文体で纏め上げた名作と言っても良いと僕は思います。
東淵師と言えば、「なにわの大詩人」として、釜が崎や新世界を舞台にした精密極まる描写で広く知られた詩人です。
でも、その一生は決して成功に彩られたものではありません。
むしろ、苦難と不運の連続と言っても良い人生かも知れません。
でも、師はそれを良しとはしなかったにしても、反発することなく受け入れ、自分と同じ空気を吸っている人たちの苦悩を掬い取ってこられました。
釜が崎・新世界は今や、日本の底辺労働者の最後の砦でもあります。
その砦で必死で生きている方々を東淵師は、常に冷静に見つめながら
も、その世界のど真ん中へ分け入っていかれました。
師の最後の作品。
「薄日を背負って」
東淵修
堺港の薄日が投射して
伊東静雄の石碑が
こちらに向かって
一重の文字が
こちらを向いて
たちすくんでいる
その前に
もう一つ
濃く
車椅子が
ゆらゆらと燃えている
燃えつくいた墨色の
投射が
一重になって
さらにまた
濃い色の修が
三重になって
ゆらゆらと
燃え尽きる
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この場所に、この時期に東淵師が実際に行かれたかどうかは僕には分からないです。
でも、この作品を読んだとき、東淵師のある種の覚悟のようなものを感じたのは僕だけではなかったのではないでしょうか。
人生を大阪の下町に賭けてこられた師が、その下町の夕日の中に自分の姿を垣間見ているように僕には感じ取れたのです。
人生には運も不運もあります。
不運な人生もまた、決して捨てられるべきものではなく、不運もまた人生の大きな仕事であるのだと・・
決して運に恵まれているとは言えない師の生き方を思うとき、僕はそう感じてなりません。
否!
東淵師は素晴らしい運を持っておられたのではとも思うのです。
それは師を取り巻く多くの人間模様の中にあって、その人間模様が決して色褪せることのない、豊かな色調に彩られていることで・・
さいごに師の作品中でもっとも好きな作品を掲載させていただきます。
「からくちやな」
おっちゃんよう
ごきげんやなあ
いっしょうびん
りょうてに
ぶらさげてからにい
それ
あまくちか
からくちか
わい
おもうねんけど
おっちゃん
にっこり
わろてるよってに
きっと
からくちやな

