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戦争という狂気
先日、33ヶ国共同制作の「民主主義」の「米国?闇へ」が放送されていた。
9・11以後、アフガニスタンで捕えられた無実のアフガン人に対する拷問の問題を軸に、
アメリカの民主主義を考察した映画だ。

拷問を実行した兵士が登場する一方、
戦争という状況を作り出す意思決定を行った者たちがその責を問われないことに、
何とも言えない気持ちになった。
と同時に、日本で今なお問題となっている「従軍慰安婦」や沖縄の集団自決のことをふと考えた。

「従軍慰安婦」や沖縄の集団自決の問題については、
国や軍部の関与があったか否かという点で様々論争が展開されているようだが、
「その事象がいかなる状況下において発生したのか」という点について、
もっと論及されても良いのではないだろうか。

作家の隆慶一郎は、自著の中でこんな言葉を述べている。

 戦争はそれ自体が巨大な狂気である。
 狂気の中にあって生き永らえるには、己れ自身も狂気になるしかない。
 人が生き永らえたことを責めるのは苛酷に過ぎるだろう。
 戦場帰りの男たちは、一度も戦闘を戦わず、従って人を殺すこともなかった者でさえ、
 例外なくそうした優しさを持っていた。
 自分が人を殺さずにすんだのは、単なる偶然にすぎず、
 その場にぶつかれば必ずや殺したであろうことを実感として知っていたからである。
                   (「かくれさと苦界行」より)

丸山眞男は戦時中、日本軍に身を置いた経験を踏まえて、
その状況を「抑圧の委譲」と指摘している。
最上位に天皇陛下の威光。その威光を受けた上官の命令には絶対服従である。
そうして、上官から下士官へ、その下士官からさらにその下の兵卒へと、
抑圧関係が委譲していく。
そうやって天皇以下、数多の上官の抑圧を受けた兵卒たちの圧迫感たるや、
恐らく現代に生きる僕の想像を遥かに超えているだろう。
彼らの、人間にとって根本に近い本能的な欲求のはけ口は、どこに向かっていったのか。
それは彼らをしてどんな行動へと駆り立てていったのか。
「従軍慰安婦」という事象は、こういう状況下において発生しているのだ。

戦後60年、現代のある程度安定した社会の中で生きている僕が、
仮にあの戦時中の状況下に放り込まれた時、
果たして今の自分の倫理感を保てるかどうか、僕には自信がない。
見たことも経験したこともない戦争という狂気の恐ろしさが、そこにあると思う。
なまなかな人間の意志や決意なんか、簡単に吹き飛ばすくらいの恐ろしさがそこにあると思う。

そう考えると、
少なくとも戦時中の状況下においてあのような行為をした兵卒たちを責める気には、
僕はなれない。
本当に責めるべきは、その狂気の場に自らの身を置かずして
戦争という狂気の場を作り出す意思決定をした存在だ。

戦争とは、国や組織など、人間の構成する集団の保有する外交の一手段だろう。
「談判破裂して暴力の出る幕」として、外交で解決できなかった問題に対して、
戦争という暴力の手段に訴えるわけだ。
日本国憲法によれば、日本国はそうした「国権の発動としての武力の行使」を放棄した。
これは、「戦争という狂気の場を作りだすことはしない」という宣言ととらえることはできないか。

そう考えると、従軍慰安婦の方々に対して、
国家としての意思を明確に表明し、補償をすべきだと思う。
それは従軍慰安婦の方々への償いという意味合いももちろんあるが、
戦争という狂気の場を作り出すようなことは今後一切しない、
という未来へ向けての国家としての意思の表明にもなるのだ。
そして、これは沖縄の集団自決の問題についても言えることだと思う。

軍の関与の有無をさかんに研究なされている御仁たちへ、次の言葉を贈ろう。

 お前は戦争がどんなものかを知らない。
          映画「CASSHERN」より

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この記事に対するコメント

オマエモナー(=゚ω゚)つ)゚∀゚)グァ
【2008/03/10 07:40】 URL | 天才テレビ君 #-[ 編集]

普通の人間が鬼畜になる時
戦争は、普通の人間を鬼畜にするんですよね。
特に国家神道に支えられた日本軍国主義は、兵士に一切の人格を認めませんでしたから。
日本人は「抑圧の委譲」に陥りやすいから、気をつけないと。
【2008/03/11 00:54】 URL | G2 #-[ 編集]

耳障りのいい言い訳
もともと人間は鬼畜なわけでしょ。近い・遠いはあっても。

「抑圧の委譲」に陥りやすい日本人は、普通の人間にみえて、その実は「鬼畜」なのだ。

「世間様」の目を気にして「世間様」に従順に付き従ってけっして和を乱すまいとする日本人の集団は、だから「鬼畜の集団」なのだ。

>本当に責めるべきは、その狂気の場に自らの身を置かずして
>戦争という狂気の場を作り出す意思決定をした存在だ。

とあなたは言うが、戦争という凶器の場を作り出した「存在」を支えた大多数の善意の人間たにも、責任はある。

つまり、あの戦争は何故おきたのか、日本人一人一人が自らに問いかけ反省すべきものだと思う。世代を超えて。

それがなされていない日本で、日本人が、また同じ歴史を繰り返すのは、不思議なことではない。

元従軍慰安婦の人々に「国家としての意思を明確に表明し、補償を」って、具体的に、どういうことですか?

補償ってなにか、償いってなにか、謝罪ってなにか、そういう大切なところが日本人の思考には抜けているのよ。いっつも。

そういうの、自己満足にすぎないと思う。自分が気分よくなるために、相手を思っているふりをしているに過ぎない。

慰安婦に対しておこなわれた暴力行為についても、今でも各地でおきているレイプについても、それは「本能的な欲求のはけ口」などではないでしょう!ただの暴力でしょう!

>果たして今の自分の倫理感を保てるかどうか、僕には自信がない。

あなたも日本人でしょうから、当然、そんな状況になったら、当時の日本人兵士たちと同じことを繰り返す・・・のは当然かもしれません。正直な告白については評価したいと思います。
【2008/03/11 12:00】 URL | どうでもいい #-[ 編集]


軍には軍法があり、脱走はいうまでもなく、さまざまな命令違反について軍法会議は兵士に重い罰を科す。

軍法は人間の生存本能を無理やり押さえつけ、兵士に戦場で死ぬことを強いることを可能にしてしまう。軍法がある限り、戦場で兵士はしばしば人間性を喪失することになる。

自衛隊には軍法がないので、自衛隊員はアメリカ兵よりもずっと幸福だと思う。
【2008/03/11 23:18】 URL | Lexar #tV7uNBRQ[ 編集]


「国家としての意思を明確に表明し、補償を」ってば、「ごめんなさい」って謝ること・・・ですか。ほ~、簡単だね・・・って、あほらしい、謝って済む問題か?

>あなたが思うほど優しいものじゃないと思うな。

なんだか思い込みで返信してない?上の書き込みの、どこをどう読んだら、戦争状態が優しいものだと解釈できるの?

>「あの人が」っていうような人でもおかしくなるだろう。

だから? シ・カ・タ・ガ・ナ・イ?

誰でも鬼畜に「変身」するから?

「抑圧の委譲」に陥りやすい日本人はもともとみんな「鬼畜」なんだってば。わかんないかなぁ。

でも、あなたの論法でいえば、後でごめんねって一言謝まりさえすれば、何してもいいんだから、簡単だね。

>その自分の行為をちゃんと見つめない奴って多いじゃないですか

と言いつつも、「戦争状態の中で起きた」行為は「その事象が、どんな状態で起きたのか、その周囲の状況を見つめよう」っって、矛盾してるぅ。

きちんと戦争に参加した人々は反省すべきなのか、状況から仕方がなかったから「ごめんなさい」ですませるべきだと主張しているのか、いったいどっちなのよ?

名無しさん?
【2008/03/13 19:01】 URL | どうでもいい #-[ 編集]


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1945年8月15日  

戦争という狂気   67年前の今日、太平洋戦争が終結しました。戦争を体験した人は確実に少なくなって行きます。その証言記録は、戦争の悲惨さを語り継ぐ上になくてはならないも 営業の良識を問う【2012/08/15 20:32】



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