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日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


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日本人にとって南京事件とは
南京事件に関して。
虐殺そのものは歴代の王朝によって、もっと大規模に繰り返されてきたのだろうが。
日本人とって南京事件が重要なのは、そこに日中戦争の全てが凝縮されているからだ。
詳細を知れば知るほど、日本が陥った闇の深さがわかる。
南京事件当時の東亜局長、石射猪太郎の回顧録から当該部分を書き出してみる。

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南京は暮れの13日に陥落した。
我が軍の後を追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告が我々を憤慨させた。
南京入城の日本軍の、中国人に対する略奪、強姦、放火、虐殺の情報である。
憲兵はいても少数で用をなさない。
制止を試みたがために、福井領事の身辺が危ないとさえ報ぜられた。

1938(昭和13)年の日記にいう。
上海からの来信、南京における我が軍の暴状を詳報し来たる。
略奪、強姦、目も当てられぬ惨状とある。
嗚呼、これが皇軍か。
日本国民民心の退廃であろう。
大きな社会問題だ。

南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、
元弁護士の某応召中尉であった。
部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼のごとく振る舞った。
何か言えばすぐ銃剣をちゃらつかせるので、危なくて近寄れないらしかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

民心の退廃。
これこそ日中戦争の本質だったのだ。


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日中国交正常化40年の親善大使がAKBなんて、恥ずかしい!
日中国交正常化40周年の広報大使にAKBが選ばれて、
北京でミニライブを行なったそうだ。

他にいいミュージシャンがたくさんいるのに、どうしてAKB?
それも二軍だから、歌が下手なだけでなく見た目も本当にパッとしない。
こう言っては何ですが、足も短くて太くて曲がっていて鑑賞に耐え得ない。

これが日本の代表なんて全く恥ずかしい。
外務省の能無しめ!

秋元康も稼ぎまくり。
自殺防止キャンペーンまでするつもりだったのだ。
実現するはずないのを知っていて、オリンピック招致委員会にも入って。
すごい人間だわ。

最近、「美術手帖」までAKBと提携したのである。
日刊スポーツも週一回、AKB新聞と韓流新聞を出している。
苦しいのはわかるけれど、もうおしまいだ。

どこもかしもこもジャニーズばかりだと嘆いてたのに、AKBと韓流まで加わって、まさに空洞化。
こんなにアイドルグループがあふれている国って無いのではないか。
もうメディアではまともな歌は聴けない。
かくして音楽ファンは、地味なライブへ流れている。





張作霖爆殺は関東軍の仕業と知る/石射猪太郎「外交官の一生」が面白い
石射猪太郎の回顧録「外交官の一生」を読んでいる。
文庫本で500ページ余り。
この人、東亜同文書院の出身なのだ。
何と1908(明治41)年の卒業である。

今日やっと1949(昭和4)年の所まで来た。
ロンドン軍縮会議の前年である。
7月、浜口内閣成立の翌日に、赴任先のロンドンから帰国の途につく。

パリ、ベルリン、モスクワを経由してチタに付くと、
折しも東支鉄道問題で張学良軍とソ連軍が撃ち合っていて満州里には行けず。
ウラジオストックから敦賀を経由して東京着。

そしてすぐに吉林に赴任する。
途中、奉天総領事からの内輪話で、張作霖爆殺が関東軍の仕業だと知った。
東南に松花江を臨む吉林には当時、千人あまりの日本人居留民がいた。
その主流は木材業者で、敦化方面の奥地から木材を切り出してきて、
満鉄に売っていたのだ。
松江日報という日刊紙が発行されていて、芸者置屋も数件あった。

これから満州事変の話になる。
続きを読むのが楽しみだ。





「故郷」の歌を聴いて考えた愛国心/2.11脱原発デモ体験記
デモ

昨年秋の新宿デモで、目の前で次々に参加者が逮捕されていくのを見て衝撃を受け、
以後は家でTwitterを眺めながら、ああだこうだと煩悶していた私。
原子力村の猛烈な巻き返しを見て、座視していられないと立ち上がり再度のデモ参加を敢行した。

集合場所は代々木公園である。
出発前に集会があり、大江健三郎が登壇。
いい話をしていたようなのだが、マイクの音量が小さくてよく聞き取れず。
がっかりしたが以後はマイクの音量も上がり、その後に登場した福島の人の切実な声も、
山本太郎や藤波心の言葉もよく聞き取れた。

山本太郎の情熱的な呼びかけが良かった。
「今日は建国記念日ですが、ここにいる人たちこそ本当に国を愛する人々ですよね」
そうだ、そうだ。
続いて登場した藤波心、15歳とは思えないしっかりした言葉で語る。
そして「故郷」を歌った。

これがすごく良くて、会場にじわっと感動が広がった。
「山は青き故郷 水は清き故郷・・・」
山紫水明の地と日本人が言ってきた故郷の風景が、原発事故で奪われてしまった。
怒れ、民族派! 怒れ、日本人!
これで怒らなかったら世界から笑われる。

デモには色々な人が参加していた。
JR労組や自治労などの昔からの組合の旗に混じって、
「法政大学卒業生 九条の会」とか「日大全共闘」といった旗がなびく。
「日大全共闘」ですよ、皆さん。
でも新しい旗だから、定年退職後また旗を掲げてデモに復帰したということか。

革マル派もいた。
この人たちはどこにでもいる。
そして、横断幕を掲げてアジ演説をしてビラを配っている。
叫び方はともかく、訴えの内容はまともだ。
帽子の上に赤い鉢巻き。
娘は「革マル派だって!」と驚きの声を上げ、ビラを受け取りに行った。
「実録・連合赤軍 浅間山荘への道程」を観て以来、そっち方面に関心が高いらしい。

で、私と娘は一般市民のグループに入って歩いた。
若者や女性、家族連れも目立つ。
ここは音楽入りのサウンドデモである。
太鼓の他、アコーディオンや尺八も参加している。
尺八がデモに合うのは発見だった。
デモにも和の文化が進出か。

「故郷」の歌は、拉致被害者連絡会の集会でも常に歌われているそうだ。
愛郷心や愛国心について考えさせられる。
愛国心はずっと右翼の専売特許だった。

左翼やリベラルは冷めた人たちの集団・・・というより日本嫌いの集団だった。
厳密に言えば体制嫌いなのだが、結果として日本嫌いになっていた。
この辺が、愛国心と民族主義とは異なる韓国との違いか。

だが大震災と原発事故は、そういう在り方を過去のものにしたと思う。
いや、過去のものにしなければならないと思う。
15歳の少女が歌う「故郷」は本当に感動的だった。

経済のグローバル化がもたらした新自由主義に歯止めがかからなかったのは、
それが元々リベラルの主張だったからである。
国境を超えることを批判するのは保守の思想で、笑うべきものだった。
だがそれは間違っていたと思う。

テレビで木村太郎が、「ソニーの新社長はスティーブ・ジョブズになれるかどうか。
なれなかったら日本の家電は終わりでしょう」と平然と言い放っていた。
元々冴えない人間だと思っていたが、その冷酷な言い方には驚いた。
この男は勝ち組で、いつでも日本を脱出できる財力と人脈がある(と思っている)のだろう。
愛国心ゼロである。
こういう人間と一緒になっていてはいけない。

さて、一般市民の多いサウンドデモは表現のスタイルも多様で、
プラカードにはマンガや気の利いた言葉があふれていた。
「ただいま被曝中」なんて、実にいいキャッチコピーではないか。

ゲバラの写真と和歌を記した、手作りの素晴らしい幟を立てている人もいた。
真っ白い旗に見事な筆で「脱原発」と書いた人もいた。
その写真が撮れなかったのが残念だが。
手作りの小さな反原発バッジを売っている女性もいて、かわいいので幾つか購入した。
若いカップルも買っていた。

私と娘は相談したわけでもないのに、揃ってマスクに「原発NO!」と書いていた。
そのためか、外国人から写真を摂らせて欲しいと言われた。
次回はもっと工夫しよう。
ここは腕の見せ所だ。

原宿の、おしゃれな店が並ぶ通りを歩いていた時、娘がぼそっと言った。
「私も本当は、こういう所でのんびり買い物をしていたいのに」
娘よ、嘆くでない。
少数者の信念が大切なのだ。
そう言えば、ぐずる小さな子どもに「あなたの未来のためよ」と話していた母親もいた。





ソニーの凋落は、いち早くグローバル化に対応したことが原因
最近発表されたパナソニックの巨額赤字は、日本社会に大きな衝撃を広げた。
一方、ソニーもずっと赤字である。

ソニーの凋落は、グローバル化への対応が遅れたからだと言われている。
しかし私の見方は少し違う。
いち早くグローバル化に対応したことこそ、ソニーが凋落した原因だと思っている。

ちょうど今発売中の「週刊現代」今週号に、「会社がダメになった瞬間」という記事があり、NECと並んでソニーが取り上げられている。
その分析が私の感触と合致しているのだ。

その記事はこう述べている。
ソニーの異変は90年代の半ば、アメリカ式の合理的経営と成果主義を導入した時に始まった。つまり、どこよりも早くグローバル化への対応に乗り出したのだ。
そして出井社長は、ハードからソフトへ主軸を移すと宣言した。

このソニーの「改革」は当時、高く評価された。
アメリカ式の合理的経営と成果主義、そしてソフトへの転換。
それは新しい波だった。
しかし元々ソニーは技術屋の集まりだったのだ。
この「改革」が技術屋集団にどういう影響を及ぼすか、予測できなかったのだろうか。

私の父親の後輩は戦後間もなく、ソニーに入社した。
当時はまだ東京通信工業という名の町工場で、入社の話を聞いた父親は内心、
「どうしてそんな訳のわからないところに入ったのか」と驚いたそうだ。

だがその町工場は発展した。
やがて日本を代表する世界的企業となり、草創期からの社員だった後輩は出世して専務取締役となった。そして高校に進学する時も大学に進学する時も、私の保証人欄にはその人の名前が書かれていたのである。
それは私にとっても父にとっても自慢の種だった。

戦後の焼け野原から出発したソニーは、紛れもない日本企業だった。
日本人はソニーを世界的企業だとばかり思っていて、日本企業という側面を見逃していたと思う。人間と同様、育った過程や背景は非常に重要なのである。
それを無視するような改革は自己否定になる。

案の定その「改革」が始まって間もなく、若手社員に鬱病が多発するようになったそうだ。
それはそうだろう、文化の破壊だったのだから。
異変に気づいた産業医はそれを上層部に報告したが、方針が変更されることはなかった。
そして優秀な社員の退職も相次いだ。
その後ソニーは外国人CEOを投入したり、リストラを繰り返したりしつつ、
技術を流出させた挙げ句に普通のグローバル企業になっていった。

一時世界を席巻していたヨーロッパの老舗ブランドは、もともと手堅い家内工業だったが、
創業者の息子や孫たちがアメリカに留学してMBAを取り、グローバル企業になって魅力が薄れた。成金や新興国の富豪たちの、見栄や物欲を満たす道具と成り果てている。
文化を失ったのである。

人間も企業も、出発点を忘れてはいけないということだ。
国も同じである。戦後日本の出発点は敗戦だった。
この記憶は90年代に入って急速に薄れはじめ、「改革」を叫ぶ勢力が台頭する。
そして普通の国に近づくにつれて、日本の個性は消えていった。

かつて外務省北米一課長として、その後はコンサルタントとして対米従属外交を担ってきた岡本行夫氏は最近、「アメリカにおける日本の存在感が薄れる一方で、日本関連のシンポも開けない」と嘆いているらしいが、誰の責任なのか胸に手を当てて考えてみるべきだろう。






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