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日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


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ヒーローはいつも少数派
ヒーローはいつも少数派だ
時に陥れられ、
時に抗議の声をあげ、
また時には否応なしに巻き込まれ、
ヒーローは世の悪との戦いに臨む

ヒーローが多数を握ることは、ない
否、多数派となった時点で、
彼はヒーローとしての資格を失う
絶対的な力や圧倒的多数、あるいは奸智に長けた存在を向うに回し、
徒手空拳で戦う者こそ、ヒーローの名に値する

自分は一体、何と戦うのか
悪とは何か
真摯なヒーローは常に自問する
その自問の果てに、彼が見出すのは、
挙って世が悪に染まりきっている様だ
そして自身もその悪の中で生きていたという事実だ
自分もその悪の世を作ることに手を貸していたという
目を背けたくなる、恐ろしい事実だ

だが我らのヒーローは、怯まない
たとえ自分がその悪の一端を担っていたとしても、
いやそうであるからこそ、
その落とし前をつけるために、
敢然と悪との戦いに臨む

世のほとんどの人は彼の真実の心を知らない
それどころか、彼の行動を奇として
石もて追い払う
出て行け、と
人々は自分が悪に染まっているという事実に
向き合いたくない
だから、自身の悪を自覚したヒーローの存在が目障りなのだ
そんなことを言うな、と

それでもヒーローは戦う
彼を衝き動かす理由は単純だ、
このままでいいはずがない、という止むに止まれぬ思い
悪を見過ごしてきたことへの慙愧の念
そして、もうこんなことはやめよう、という願い
ただそれだけだ
正義を執行するのではない
悪いことはもうやめよう
こんなこと、もうたくさんだ
ただそれだけのことだ

テレビや映画で無数のヒーローが活躍してきた
彼らはたとえ困難に直面しようとも、全身全霊をもて戦い
最後は必ず勝利を収める

だが我らのヒーローは?
果たして我らのヒーローには、
光彩陸離たる勝利の太陽が輝きわたるのだろうか

いや違う
彼は勝利を求めているのではない
ヒーローはただ
前を向いて
歩き続けるだけなのだ


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ブータン国王夫妻の振る舞いが示唆する日本外交の未来/「普通」でない国の持つ魅力と存在感
ブータン国王夫妻のパフォーマンスは見事だった。
民族衣装を次々に替え、国会で日本人の心をくすぐる演説をして被災地を訪問。
京都では紋付袴と和服姿を披露した。
帰国時はイメージをガラッと変えてスーツだった。

弱小国で、国王が一番のエリート。
英語を流暢に話し人前で夫人をハグし、手を繋いで歩き、
結婚前から一緒に暮らしていて中身は西洋的なのだが、
それをアジアの美でくるんでいるところが絶妙。
夫人の、つくり込んでいない自然体の美しさも新鮮だった。

見事なイメージ戦略である。
コンサルタントが付いているのかと思ったほどだ。
多くの日本人がしばし現実を忘れ、その慎ましさと品格に熱狂した。

ここまで友好的な振る舞いをするには、何か理由がありそうだが、
ともかく生活文化がアジアから離れ過ぎてしまった日本人に、
色々考えさせるきっかけになったことは確かである。

派手に行動するだけが能ではない。
日本人が気にする国際的存在感も、自分らしさを失わないところから生まれるはずだ。
アメリカの真似をし中国と張り合うことで、日本の国際的存在感が生まれるだろうか。

憲法九条を無視して「普通の国」になることが、真の大国への道だろうか。
日本人は今回、普通でないブータンの在り方に感心したはずだ。

自衛隊が先日、中国の沖縄侵攻を想定した大規模な軍事訓練を行なったが、
ふだんなら子どもたちが遊んでいる公園を、迷彩服の自衛隊員が走り回る様子は悲しかった。
外交がしっかりしていれば、そんな事態を想定する必要はないからである。

国王の微笑みだけで一国を魅了してしまった、ブータンの外交に学ぶべきだ。
戦争は外交の破綻でしかない。
無能をさらけ出すようなことはやめてもらいたい。

西洋のいいところを取り入れ、でも自国の独自性を失わない。
極東の島国という恵まれた地理的条件を活かして、独自の平和外交をする。
その唯一無比の姿勢こそ、日本を輝かせるのではないだろうか。

山の中の小さな国が「アジアの大国」日本を魅了した事実から、
世界の中の日本について、もう一度考えてみるべきだろう。





大阪府知事・市長W選~予想される最悪の結果~

大阪の知事と市長のいわゆるダブル選挙は既に告示され、数日が経過した。
大阪維新の会とそれに対抗する形で知事選挙に前池田市長の倉田氏、
市長選挙に現職の平松邦夫氏が立候補、
見事な対立構造としてマスコミの格好のネタとなっている。

サンデー毎日最新号の特集によれば、知事選挙は倉田氏がリード、
一方の市長選挙は前知事が現職の平松邦夫氏をリードしているようだ。

投票日まであと10日余りだが、この調査のとおりになれば、
選挙はまさに最悪の結果になる。

大阪府議会は維新の会が過半数を占めているが、
そこに対抗する倉田氏が知事となれば、知事と議会が対立する。
大阪市議会は公明・自民・民主が優勢で維新の会は過半数を獲得しておらず、
維新の会候補が当選すれば、これも市長対市議会で対立構図となる。

つまり四つ巴で、あらゆる議題が何も決まらない、決められない
二重三重のねじれの構図が現出するわけだ。

ここから予想されるのは二つ。

一つは大阪市長選挙の維新候補者が、
「大阪都構想は有権者の支持を得られなかった」
として旗を降ろし、選挙後に全く新たな政策で市政運営に入ること。
もう一つは大阪市議会を新たな敵として設定し、
市議会リコール活動を開始することだ。

前者は当然のことながら市議会各派の理解を得られないだろう。
そもそも自分が掲げた政策を当選後に降ろすとは、
投票した有権者無視の極めて失礼で節操のない姿として
ますます市議会との対立を深めることになる。
彼のこれまでの言動を見るにつけ、その可能性は高い。
後者は、彼の常に自分を攻撃する側に置くという生き様から、
十分に予想される。
関係者と協議し、意見を交わしながら落とし所を探ると言う
民主主義の本来のあり方を、彼は取ることはできないだろう。

どちらに転んだとしても市政、府政ともほぼ全面ストップ、
府民、市民とも置き去りの政争が大阪で展開されることとなる。

つまり、このW選挙は全くの不毛で無用の混乱を大阪に巻き起こしたことになる。
騒いでいるのは騒ぎを起こした当の本人・橋下徹という男、
それと書くネタにありついた大手マスコミのサラリーマン記者たちだけだ。
平松邦夫氏はとんでもない火の粉が振りかかって大迷惑というのが
正直な実感ではないだろうか。

大阪W選挙は無用の混乱だ。
そしてそのことに気づいているのは少ない。
多くの府民や市民は無関心か、
「彼なら大きく変えてくれそう」
という実体のないイメージでしかとらえていない。

まさか大阪でこんなバカバカしいことが起こるとは、夢想だにしていなかった。


実は深刻な問題/「おしん」のようなドラマをつくれなくなったNHKの劣化→国際的存在感の低下へ
原発やTPP問題に比べたらどうでもいいような話だが、
これはこれで別の意味で深刻なのが、NHKドラマのレベル低下である。
今年の大河ドラマ「江」ももう少しで終わるが、大河史上最悪の脚本として記憶に残るだろう。

当初から、「のだめ」そのものの上野樹里の演技に唖然としたが、
本能寺の変で信長が絶命する前、江の幻影が現われたのには驚愕した。
以後もマンガのような展開が続く。
脚本家は「篤姫」で成功した田渕久美子。
史実通りに描けば充分に面白い話になるはずが、どうして?

夏あたりにはマスコミでも話題になる程の迷走ぶりで、
ネットでは「篤姫の脚本は、実は兄が書いていた」という説も飛び交っていた。
普段そういう情報は信じない私も、その可能性は高いと考えるようになった。

明らかな配分のミスで、クライマックスになるはずの大阪冬の陣、夏の陣は二週であっけなく終わり。
盛り上がるべきところでも盛り上がらないまま、ジ・エンド。
幾ら何でも脚本の力不足ではなかろうか。
歴史の勉強を、事前に全くしなかったことは確実である。

「大河ドラマなんかどうでもいいではないか」という御意見もあるだろうが、
かつてアジアを席巻した「おしん」ブームを思い出してもらいたいのである。
「おしん」はアジアの人々の心を強く捉えた。
日本のイメージ向上にも貢献したのである。

そういう力をNHKのドラマは失ったということだ。
今後はもう、「おしん」のようなコンテンツを生み出せないだろう。
なぜなら今のNHKは悪しく民放化して、視聴率向上に血道を上げているからだ。

朝の情報番組では、女性アナがが朝っぱらから「セックス、セックス」と連呼し、
夜は際どいシーンが呼び物の「セカンドバージン」などという、
タイトルを聞いただけで恥ずかしくなるドラマを放映、サラリーマン週刊誌で取り上げられて喜んでいた。

調子に乗って映画化までした。
不入りでショックを受けているらしいが、当然である。
誰がわざわざ映画館まで足を運ぶだろうか。
しょせんはキワモノなのである。

NHKは近来ずっと、タレントと韓流に依存してきた。
ジャニーズ、AKB、韓流タレントのオンパレードである。
そして「大物」の和田アキ子、タモリ、松本人志を引っぱってきて話題づくり。
「ついに松本人志が登場!」などと盛んに宣伝している。
その後はどうするつもりだろうか。

日本で唯一の公共放送が、世界に出せるコンテンツをつくれないのである。
これは深刻な問題だ。
これこそ国際的地位の低下そのものだ。
政治家はとかく、国連常任安保理事国入りや自衛隊の派遣で国際的存在感なるものを図っているが、そんなものは一般市民には関係ない。
魅力的なドラマを一つつくる方が、はるかに大切である。

NHKの迷走は実に深刻な問題だ。
難関大学を出たエリートがこのレベルなのだから。
で、来年の大河はなぜか「平清盛」。
松山ケンイチの清盛に、あっと驚く岡田将生の源頼朝だそうで。
だめだ、こりゃ。




とどまることを知らない情報共有と評価の嵐/ネットのオールSNS化
ネットの最大の利点は情報の共有である。
それは非力な一般市民にとって、まさに福音だった。
その流れはTwitterやFacebookの登場によって一気に加速し、システム的に整備された。

どのニュースやブログにもたいてい、TwitterやFacebookに連動できるボタンがついていて、
クリック一つでそれを流し共有できる。
これは本当に便利だ。
私も連日、原発やTPPに関する情報をこれで流している。
今これをせずに新聞ばかり読み、テレビばかり観ていると、かなり損なのではないかと思う。

一方、ネットにおける情報の共有は面倒な事態も引き起こしている。
私は以前、YouTubeでいい動画を見つけると気楽にお気に入りや再生リストに入れていた。
ところが突然、そのためにはチャンネル登録をしなければならなくなったのである。

そしてそれが相互につながる。
お互いに情報を共有し合うのである。
それがFacebookなどに連動している。
どういう動画を好んでいるか、いつの間にか共有されるというか、知らないうちに広がってしまうのだ。

iTunesで曲を買っても、どういう曲を好んでいるか他者に知らせ、共有できる仕組みになっている。
何でもかんでも共有される。
「時代は所有から共有へ」なんて言っていた私も、さすがに疑問を抱くようになってきた。

自分の好みや趣味を何でもリストにして公開し、共有するのである。
それで他者と「つながる」。
「コミュニティをつくる」。
気軽にその仕組みに乗ると、何でも筒抜けになる。

ビジネスベースでの情報共有は、レビューという形で広まっている。
これで最初に成功したのはAmazonだろう。
私も一応目を通すが、勝手なことを書いている人も多い。

ここでも、自分がどういう「欲しいものリスト」をつくっているか公開できるし、
一度レビューを書くと他のレビューも公開されてしまう。
ベストレビュアーという位置づけがあるらしくて、それを目指して書いている人もいるそうだ。

世の中には買い物(ショッピングと言った方がいいのか)が趣味という人もいるらしいが、
私はそれが面倒で、昔から通販を愛用している。
今はネットを使っているが、そのサイトでも最近はレビューの嵐だ。
巨大な口コミである。
さらに、そのレビューに対して拍手がいくつ送られているかまで表示される。
Facebookやmixiの「いいね」機能に刺激されたものだろう。

そう、評価機能がついているのだ。
企業は今、それを活用している。
情報を集め、それを評価する。
これが時流である。
そして情報も評価も、あっという間に広まる。
この機能を利用して大成功を収める人間や企業もいるだろう。

仕組みを上手に使った者に運が転がり込む。
一見、誰にでも成功への扉が開かれているような感じがする。
電子書籍で作家になれると喧伝されているようなものだ。

60年代70年代のカウンターカルチャーを体現していたスティーブン・ジョブズは、国家や大組織による情報の独占を阻み、
誰でもどこからでも情報を発信し、受信できる社会をつくるという強い意志を持っていた。

それは実現した。
カダフィ大佐の最期はスマートフォンによって撮影され、それが世界に流れた。
クリントン長官すら、第一報をスマートフォンによって知ったのである。
我々は素晴らしい仕組みを手に入れた。

だが「ネットのオールSNS化」は正直、煩わしい。
Google+になど入ろうものなら、もう最後だという気がする。
私は全てを晒したいとは思わないし、一々評価されたくない。
放っておいてもらいたいのである。

ネットの利点だけを享受するということは、やはり不可能なのだろうか。
巨大な疑似コミュティに入らなければ、情報の受信はできないのだろうか。
取り敢えず、YouTubeの機能を元に戻してもらえないだろうか。






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