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ど文科系でITオンチの私が考える電子書籍の未来/絶滅危惧種ガラパゴスと生きる日々


原発関連のニュースを見ては、怒ったり嘆いたりする日々を続けること半年あまり・・・。
たまには他のことも考えてみようということで、今日のテーマは「ど文科系IT音痴が考える電子書籍の未来」。
どうもこれまでの議論は、ITジャーナリストや一部の先進者だけが色々言っていたという感が否めない。
大部分の人はまだ関心がないか、様子見を決め込んでいる。

かく言う私は、八月末にたまたま家電量販店の前を通った時、Eモバイル二年間加入という条件付きの大キャンペーンに遭遇。
スマホではなくタブレットにしようと考えていたこと、電子書籍に関心があったことなどから、
これぞ運命の出会いだとばかり、名前が気に入っていたガラパゴスを即買いした。

そうしたら翌日にソニーが、二つ折りフルキーボード搭載のタブレットを発売すると発表。
次にシャープが、ガラパゴスの5インチ型と10インチ型の販売を終了するというニュースが飛び込んできたのである。
さらにAmazonがアメリカで、iPadの半額でタブレットを発売すると発表し、
その後TSUTAYAがシャープとの提携を解消して、電子書籍市場から手を引くという展開になった。

私のガラパゴス即買いはフライングだった・・・
しかし、ど文科系IT音痴がフライングしたからこそわかったこともある。
だから、私が感想を書くこにも意味があるのではないかと思う。

皆さんはiPad上陸前の、あの大騒ぎを覚えているだろうか。
「これからはiPadを使いこなせなけれでばダメだ」「プレゼンの光景が一変する」
「iPadさえあれば他は何も要らない」といった言説が、ネットやマスコミを席巻した。
NHKも、iPadだけで暮らしているアメリカの大学生の様子を流していた。

そして今、IT先進者の間には行き渡ったのかもしれないが、街でiPadを見かけることはあまりない。
先日、珍しく電車内でiPadを使用している女性がいたので覗いてみたら、何とゲームをやっていた。
決して安くないiPadを購入してゲームとは。

しかし、今タブレット端末を持っている人の大半はiPadで、こういう使い方をしているらしい。
iPadが日本市場で優位に立っている最大の理由は、先行者であることに加えて、
ゲームなどのアプリが充実しているからだと言われる。
電子書籍を利用しているという話はあまり聞かない。
その電子書籍も、iPadが発売される時は大騒ぎだったが、いまだ市場に成りえていない。

さて、Amazonのタブレット端末発売を受けて、さるITジャーナリストはこう断言した。
「電子書籍市場のみならず、タブレット端末市場もこれで大勢は決した」。
電子書籍市場は何よりも、コンテンツの質と量と情報の届け方、流通の仕組みを握っているところが勝つ。

つまりAmazonである。
「Amazonに対抗するための仕組みをつくらなかった日本の出版界は、もはやAmazon後の準備をするしかない」そうだ。
確かにAmazonは既に、ネットにおける書籍流通の最大手である上、頻繁に本を買う読書好きの購買傾向など、膨大なデータを有している。
Amazonが日本で安価なタブレット端末を発売した時に初めて、電子書籍市場と言えるものが出現するのだろう。

ちなみに、ど文科系IT音痴の私は、パソコンとOSを揃えるという基本すら気づかなかった。
パソコンはMacだが、購入したガラパゴス7インチ型のOSはgoogleのアンドロイドだ。
常々googleの世界支配に抵抗しようと思っていたのに、OSがアンドロイドであることすら知らなかっただから笑うしかない。
まさに踏んだり蹴ったりである。

でもまぁ、もう仕方がない。
絶滅危惧種ガラパゴスを毎日せっせと撫でている。
そして素人なりに色々なことがわかった。

私が電子書籍に期待する最大の理由は、絶版になった本を入手することだ。
Amazonのマーケットプレイスで買えることもあるが、絶版本は高い。
値段を見て諦めることも多い。
それが電子書籍なら手に入る・・・・
はずなのだが、まだ絶版本が電子書籍になっていないのである。

また、読んでもいいが買うほどでもないという本、一度読んだら終わりになりそうな本も、電子書籍なら買いたい。
例えば最近多い、中身の薄い新書。
買う程ではないが立ち読みでは物足りないし、一度なら読んでもいいという新書も、電子書籍なら手軽に読めそうだ。

だが、これは廉価であることが前提である。
紙の半額以ぐらいが妥当ではないだろうか。
ところが見てみると、紙の本とほとんど変わらない値段なのである。
これでは無理だ。

それでは雑誌はどうか。
特にすぐに話題が古くなってしまう週刊誌は、電子書籍に向いているような気がするではないか。
私もそう思っていた。だが実際に買うとなると考える。
電子書籍版の雑誌に400円出すとなると、考えるのである。

そもそも週刊誌は既に、立ち読みスタイルが定着している。
私も気になった記事が二つまでなら立ち読みする。
三つあれば買うこともあるが。

立ち読みされると週刊誌は売れない。
コンビニで週刊誌を立ち読みするのは私の楽しみの一つだったが、最近一斉にそれが出来なくなった。
読めないようにゴムをかけたり、パッケージされるようになったのだ。

出版社の気持ちは分かるが、私のコンビニ滞留時間は短くなった。
何となく入って週刊誌を立ち読みして、ついでに買わなくてもいいお菓子を買うという、ニッチな時間の使い方が出来なくなった。
ちょっと残念だ。

最寄りの駅ビル内にある書店は、わざわざ立ち読み用の椅子を置いていて、いつも賑わっている。
最近、椅子の数が倍になった。
それで結局、ふらりと立ち寄る人が絶えないのである。
そうしていれば数回に一度は何か買う。

その週刊誌だが、電子書籍でも丸ごと買うことには変わりないから、やはり売れるとは思えない。
少なくとも私は買わない。
実は「Newsweek」デジタル版を読むのを楽しみにしていたのだが、
値段があまり変わらないし、紙の方がいいような気がしてやめた。
だが、見逃したバックナンバーがすぐ手に入るのは便利だ。

では月刊誌はどうかというと、特に「pen」や「BRUTUS」「クーリエ」などの好きな雑誌は、
時々パラパラめくって読むのが楽しいから、紙でなくては意味がない。
というわけで、これも買わない。

では雑誌の場合、どういうものなら買うか。
恐らく、気になる記事だけバラ売りすれば買うと思う。
つまり立ち読みの電子版である。
でもこれでは、ブログと大して変わらない。

しかも、こういう売り方買い方には懸念がある。
将来、一冊の本が章ごとにバラ売りされるのではないかという懸念である。
著者は全体を一つの作品に仕上げているのだから、これが始まると本はただの情報になりかねない。

いや、そもそも電子書籍自体が本の情報化なのである。       
もはやデジタル化は避けられない時代の流れなのだろうが、電子機器を通すと知識は情報になる。
これはこれで意味があるし有用だろうが、情報というのは右から左に抜けて定着しないので
(というより、元々速報性が命なので定着する必要がないのだろうが)、
人間の頭の中まで軽くなること請け合いである。

今でさえ、ITジャーナリストが知識人扱いされるという奇妙な現象が起きている。
Twitterに詳しいというだけで文化人になっている。
しかし、英語ができるからといって仕事ができるわけではない。
ITに関しても同じだ。

思うに、遅さと人間の思考力は関係がある。
9.19「さようなら原発」集会&デモで演説した大江健三郎の手描きの原稿は、私に忘れかけていたことを思い出させてくれた。
デジタル化は下流化を促進する面がある。
教育現場のデジタル化なんて、とんでもない話だ。
ひことで言えば愚民化政策である。
そんなことをすればそのうち、まともな教育はエリート校でしか出来なくなるだろう。

しかし、章ごとのバラ売りを止めることはできないかもしれない。
そういうニーズも出てくるだろうし。
そもそも、全体を通して何かを訴えるような本は必要なくなるかもしれない。
誰でも電子書籍で本が出せる時代、そういう著者は必要ないという考えも出てくるだろう。
出版のTwitter化である。

またニコニコ動画のように、他者のコメントを読みながらの仮想読書会が成り立つかもしれない。
それを上手にビジネスにする人間が出てくるだろう。
そういう人間が、時代の波に乗って成功するんだろうな。 
ただそこでも、思考力低下の問題は常にある。
だが思考力なんてそもそも、個人を絶対と考える近代の産物であって、無くなっても構わないという考えもありうるが。          

こう考えてくると電子書籍も、ただビジネスとしてどう展開するかということだけではなく、
どういう社会をつくっていくのかというのが大きな問題になるわけだ。
しかし、数字に追われている企業にそれを求めても無理だから困ったものだ。

OECDが近々、大人の学力調査を始める。
その中にIT活用能力があるから、もしかしたらまたNHKあたりが、
「電子書籍を読みこなそう」などというキャンペーンを張るかもしれない。

何しろお隣の韓国がIT先進国なのである。
だが韓国はそのために、コンテンツで充分な収益を上げることが難しくなっている。
韓流はアジア各国に進出しているが、ウォン安もあって収益の六割は日本で上げている。
財界の言うように、何でもかんでも韓国のスピード感を取り入れればいいわけではない。
デジタル化は価格破壊でもある。
そもそもネット自体で利益を上げるのは無理ではないか。

またアメリカ人は元々、ベストセラー本などは読み捨てにする。
だからペーパーバックというものがあるのだ。
しかし日本人は、その辺の感覚が違う。

IT先進者は言うことが極端だ。
ニコ動の社長は、「妻も私もテレビを観なくなって久しい」というが、テレビ自体はまだ無くならない。
そういう人間はやはり少数だ。
テレビだって内容はともかく、あればあったでやはり便利だ。

要はメディアが多様化するということなのである。
出版も、これからは紙と電子書籍と両方で出せばいいと思う。
電子書籍で読んでみていいと思えば、私なら改めてまた紙の本を買う。
電子書籍は場所を取らないと言うが、読んだ本は並んでいた方が視覚的にいい。
ITジャーナリストが見落としているのは、この文化性である。
                 
目に見える具体的世界を軽く見てはいけない。
歴史的建造物が消えて街並が変わると人間も変わる。
功利性や利便性、合理性だけで物事を考えてはだめだ。
今の社会はある意味で、理系秀才が支配している。
原発もそうだった。

だから私はここで、敢えて「恐れ」を表明しておきたい。
素人の恐れは案外当たる。
文化は功利性や利便性、合理性の対極にある。
何かの役に立つというものではないからだ。
また勝ち負けでもない。

日本社会がそういう世界から取り残されるのなら、それも悪くはないという気がする。
明治維新にしろ昭和維新にしろ、日本は無理してグローバル化に合わせようとして道を誤った。
日本社会の持つ非合理性をどう考えるか、日本人自身の見識が問われている。

とまぁ色々書いてきたが、電子書籍が便利であることは間違いない。
端末が安く入手できてコンテンツが増えれば、市場もできて生活文化の一つになるだろう。
特に絶版本やバックナンバーなど、一般には入手しにくいものが手に入るのがいい。
新聞もこれからは、紙と二本立てにするのがいいだろう。

私も今、電子書籍を含めてタブレット端末を積極的に使っている。
何しろ通信料金が高い。
持っているだけで料金を払わなくてはならないから、使わないと損だ。
というわけで、追いまくられるように使っている。
ちょっと矛盾を感じる・・・

しかし元々、犬ブログを外で見るのに携帯では画面が小さくて不便だというのも、
タブレットが欲しかった理由の一つだったので、その点では満足している。
だがやはり、いつでもどこでもスマホやタブレットを覗き込んでいるような姿は、
街の風景としてあまりいいとは思えないから、カフェなどに座っている時に限って使うようにしているが。

あと計算外だったのが、意外に重いこと。
男性ならそうではないだろうが、女性にはけっこう負担になる。
重い単行本一冊ぐらいだ。
それで私は外出の度に、水筒を持っていくかガラパゴスを持っていくか選択を迫られている。
結局、料金がかかるから使わなくちゃというわけで、ガラパゴスを持って出かけるのである。





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