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原発をめぐる長崎市議会の現状/唯一の被爆国が原発大国になった理由がわかった!
長崎市議会がこんないひどいとは知りませんでした。
議会を傍聴した市民が語る、長崎市議会の現状です。
危機意識も何もありません。
唯一の被爆国に、54基の原発が建設された理由がわかりましたよ↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日、長崎市議会の一般質問で、社民党の池田章子市議が
脱原発について質問するというので、傍聴に行ってきました。

長崎市議のうち脱原発を訴えているのは池田市議一人だけです。


1時間の質問の内容は素晴らしいものでした。


「ノーモア・ヒバクシャを訴えてきた長崎として脱原発を訴えるべき」
「平和宣言文に脱原発の言葉を入れてほしい」
「内部被ばくをどう考えるか」など。


しかし長崎市長の答弁は
「今の世論でなく長期的視点で考えたい」、
「恐るべき放射能被害だからこそ核兵器廃絶を」
という的を得ていない答えに終始していました。



「100ミリシーベルト以下は安全ですか?」という質問に対しては
、「データに基づいた質問をされていると思います」
って返答になってない!


しかも、一人の男性市議(私の席から誰かわからなかったのですが)が、
質問に対してヤジりまくっていました。


「原爆と原発はちがう!」「市長は学者じゃない!」「じゃまだ!」


「万一のリスクを考えて住民の安全を守るのが行政の長の役目では
ないのですか」という池田市議の言葉に、
「そうは思わんよ」というヤジも飛びました。
傍聴席は騒然。
傍聴席から異論の声が飛びかい、議長から注意されました。



そして、市役所職員の女性が、了解もなく何度も傍聴席をカメラで
バシャバシャと撮っていたのです。10枚くらい撮られたかなあ。

慣例なのか?とあとで市役所職員の知人に尋ねたら、
「普通撮影なんてしない」
という答えでした。



長崎市の平和宣言文起草委員会は、今週の土曜日が3回目で
最終です。

起草委員の最長老の先生は、「脱原発の言葉を入れるべき」と
主張していますが、今年3月で定年した元・長崎市役所の職員が
その方の自宅に電話して「長崎には原発推進派もいる。行政は
公正中立な立場だから脱原発は入れるべきではない」と
40分間話し続けたそうです。


長崎の行政がここまでひどいとは思わなかった・・今日はさすがに
ヘコんでいます。



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この国難の時に、こんな話題で恐縮ですが/AKB総選挙という虚しい騒ぎに見る日本社会
数日前、AKB総選挙というイベントがあった。
少女の商品化がライフワークである秋元康がプロデュースした、秋葉原発の会えるアイドル。そのあざといやり方に驚愕しているうちに、今やアイドルナンバー1の座を確保した・・・ということになっている。つまり、これから下り坂に入るということだが。

最前線で歌う7人を決める年に一度の選挙で、CDに投票権が入っている。
だからファンは応援したいタレント目当てに、大量のCDを買うのだ。
そういう金権不正選挙だとわかっていはいても、大いに話題になり、そのネタにマスコミが群がる。

スポーツ紙に夕刊紙、おじさん週刊誌から何と週刊プレイボーイや大新聞まで、これに便乗している。目先の売上に一喜一憂せざるを得ない出版界は、どこもAKB人気から少なからず利益を得ている。いつもネタを探しているテレビも同じだ。
だから、せっかくの「盛り上がり」に水を差さないでもらいたいというのが、マスコミの本音なのだろう。

金権不正選挙だとわかっていても、「ああでないとCDは売れないしね」「まぁうまいやり方だよね」などと、皆がしたり顔で言うところなど、かつての札束が舞った金権不正選挙と全く同じで笑える。やったもん勝ち、結果が全ての世界だ。

そもそもAKBのファンて、実はそれほどいない。
でもこれほど騒がれると、一応巷の話題にはなる。
誰がいいか、大島と前田のどっちがいいかなどという、罪のない話題を提供してくれるのだ。

今、CMにはAKBと韓流アイドルがあふれている。
恐らく、どちらも安いのである。
そして大手広告代理店が強く押している。
だから、右を向いても左を向いてもAKBと韓流ばかりなのだ。

ま、そういうことはどうでもいいのだが、腑に落ちないのは、このAKB総選挙を真面目に分析する人間がいることだ。それが経済の専門家だったりするから驚く。
そうでなくても、AKB総選挙を暖かく見守るのが大人みたいな、おかしな風潮になっている。

そういう感覚が斬新だという軽薄な風潮は、バブルの頃に生まれて日本の知性を破壊した。
だが未曾有の大震災を経験して、日本人も少しは生き方を変えたのかと思っていた。
まだ発想が変わらない人間がいるらしい。

長女が先日、ぽつりとこう言っていた。
「人間の健康と生命が根本的に脅かされている今、まだアンチエイジングだのシミがどうだのと大騒ぎしている女性が、本当に愚かに見える」と。
同感である。

芸能界は賑やかにネタを提供していればいいのだが、大衆文化はできれば、もっと実のあるものであってもらいたい。後で、あれは何だったんだとしか思えないようなものばかりでは、やはり虚しい。

今問われているのは政治だけではない。
こういう時こそ、実は大衆文化やサブカルチャーの力が必要だ。

少女がきゃぴきゃぴして頑張って泣いて、それが消費されるだけでは空虚だ。
若手にも、小柳ゆきのような実力のあるミュージシャンもいるのに、どこへ行ってしまったのだろうか。今は何をやっても、AKBの勢いに負けてしまうのだろうか。
安室奈美恵や浜崎あゆみの勢いが衰えて、宇多田ヒカルが活動停止宣言をして以来、Jpopは停滞している。

小室時代もそうだったが、勢いのある時は誰もがそれに便乗する。
社会の本質はこういうところに出る。
大震災前、原発は向かうところ敵なしの勢いで、就活生は原発産業に群がっていた。
テレビにはオール電化住宅のCMが繰り返し流れていた。




脱原発の思想/情報から思想へ転換し、自然と共存してきた日本人の知恵を取り戻そう
5日の夜、教育テレビで放映されたETV特集は、亡き梅棹忠夫の未完の草稿を読み解きつつ、脱原発の思想を探る試みだった。梅棹忠夫は未刊に終わった「人類の未来」で、科学に基づいた文明は破綻すると警告するつもりだったそうだ。
なぜならば、科学文明はみずからの発達によって墓穴を掘るからである。

こういう指摘自体は以前からしばしばなされていた。
でも最近はすっかり忘れられていた。
IT社会になってから、文明の発達によって何かが破綻するという声は、ほとんどかき消されるようになってしまった。
一つには思想が衰退して全てが情報になり、知性の在り方が変わってしまったからだろう。

で、梅棹の指摘はここから冴えてくる。
「科学は人間の業のようなものだ。その根源は、人間が知的生命体であるということにある。」「人間はどうしても真理を追究し、論理を構築し、知識を蓄積し、新しい技術を生み出そうとする存在なのである」

全くその通りだと思う。
私はそもそも知性至上主義に反対だ。
薄っぺらなのに、頭の回転だけは早いような人間がもてはやされるのはおかしい。
別に頭の回転が速いことが知性ではないが、そう思われている。

私は一連の経過を見ていて、専門家というものがいかに怪しいか痛感させられたが、特に原子力安全委員会の班目委員長という人間に注目した。
ひことで言えば、中身スカスカの受験秀才の成れの果てなのだが、何を聞かれてもへらへらしていて責任感のひとかけらもないのに、プライドだけは高くて、それが傷つけられると烈火の如く怒る。あれが位人臣を極めた人間なのだから、頭の良さとは何なのかと考えさせられる。

話は戻るが、梅棹は「人間はみずからの業を自覚しなければならない」と言う。
今、未曾有の原発災害を目前にして、私たちが本当に考えなければならないのはこれだろう。この事態が人間に突きつけているのは、知的生命体が宿命的に持つ驕りへの反省である。原発の発明から始まって、強引な推進、災害が起きてからの不適切な対応など、全てに人間の驕りが感じられる。

この番組には、宗教学者の山折哲雄も出てきて、梅棹の思想を語っていた。
実は少し前に山折が雑誌のインタビューに答えて、こう問いかけていて興味深く読んだ。
「海外でフクシマ50が賞讃されているが、あれは少数の犠牲を出して多数が生き残る文化。だから英雄を必要とする。日本もそういう生き方をするのか」

それに関連して、山折は番組でこう述べる。
「一神教は犠牲を前提に生き残り戦略を考える。ノアの方舟だ。しかし例えば法華経では、三車火宅の譬えに見られるように、全員が助かる。日本人は明治以降、西洋文明をどんどん取り入れて、頭の中ではそういう発想を理解してきた。だが首から下の身体には、違う発想を残している」。
私が新自由主義に反感を感じるのも、恐らくそのせいだろう。格差を広げてもエリートを輩出するという発想には反対だ。
成功もしていないし。

山折は続ける。「それにしても日本人はかつて、自然を支配しようとは考えなかった。いつからそうなったのだろうか」
原発という仕組みの根源にある発想は、自然の支配である。原発は元々、日本列島における生活の在り方に合わない。日本人が災害と共に生きていくる中から蓄積してきた、知恵の否定である。日本には日本の、気候風土に合った暮らし方があるはずだ。科学の力を借りて、地球上どこでも同じ生活をすること自体に無理がある。

私は原発問題が、科学や数字のレベルでのみ語られることに強い違和感を感じてきた。
この問題はもっと広い、文明史的視野で考えるべき問題だ。
そして、脱原発の思想というべきものを構築していく必要がある。

日本人が今なお脱原発へ明確な転換ができないのは、不安だからである。
それは電気が足りなくなるという以上に、依って立つ思想的基盤を持てないからではないか。つまり信念が持てないのである。
ここ20年ほど、アカデミズムとマスコミが共闘して破壊した「思想」の復権が、今こそ必要な時はない。

梅棹忠夫は、敗戦後みんなが打ちひしがれている時に明るかったという。
「最悪の事態にはなったが、だからこそ過去のしがらみを断ち切って、新しい社会をつくることができる」と。また「思想は使うものである。西洋かぶれのプロが担うものではなく、アマチュアが生み出すものである」という言葉も残している。

日本人はこれから、新しい社会を生み出していくことができる。
政治は迷走しているが、既成の仕組みを維持しようとしている人間に、何を期待しても無駄である。普通の市民一人ひとりが、生活しながら自分なりに考えていくことが、必ず大きなうねりになっていく。
情報から思想へ、スイッチを切り替えよう。
情報を追いかけ、振り回される生活はやめないといけない。

魯迅は言った。
「希望とは道のようなものである。それはあるものとも言えないし、ないものとも言えない。大勢の人間が歩けば、そこに道ができるのである」

なお「現代思想」5月号が「東日本大震災」を特集している。
7月号は「震災以後を生きるための50冊」だ。
参考になる。





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