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尖閣ビデオ流出は文民統制違反/背景に不穏な動き
日本人にとって中国問題は常に「躓きの石」だ。
ここで歴史的判断を間違えるのである。
これが日本の近代史だ。
そういう歴史的視点を持たないと、正確な現状認識が持てない。

海保職員がとった行動は文民統制違反だ。
それなのに政府がだらしないせいで、英雄扱いになっている。

昭和の初めに青年将校たちが、後先考えずに取った行動と同じだ。
その結果、日本は破滅に向かってひた走ることになった。
人々が喝采を送っている構図も同じである。
おお、この道はいつか来た道。

経済のグローバル化で生活が追い詰められている点も同じ。
社会には閉塞感が漂い、人々は弱腰外交にいらついている。
だめな政府に怒りを感じていただけに、「よくやってくれた」と爽快感を感じているのである。

こういう気分が危ないのだ。
こういう心情に流されるとろくなことはないというのが、歴史の教訓である。
日本人よ、冷静になろう。
自分で自分の首を絞めることになる。

大局に立って見なければいけない。
中国に怒りを向けても何の解決にもならない。
日本経済をここまで追い詰めたのは、過度のグローバル経済と対米追随外交である。
こんなことで溜飲を下げていると、後で後悔することになる。

それに肝心な部分になると供述が曖昧なのはおかしい。
本当に一人でやったのか。
陰であやつっている人間がいないか。

日テレが独占取材して、読売がスクープしている点も奇妙だ。
総じて何か不穏なものを感じる。

一方、中国政府はむしろビデオの全面公開を求めているという。
二時間以上あるというビデオを最初から終わりまで詳細に見なければ、本当のところはわからない。
最初から公開すれば良かったのだ。
その判断を誤ったもが致命的だった。


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尖閣衝突事件に思う/中国に民主化を要求する日本人の民主主義観
最近、中国をめぐる日本人の言説を聞いていて思い出したことがある。
70年代ぐらいまで日本人は、民主化するためにはどうしたらいいかと、盛んに議論していた。

日本はまだ民主国家じゃないという意識があったのである。
アメリカ化しただけという意識もあった。
実際、まだひどい社会だった。

あれから日本社会はすごく変わったので、誰もが日本は法治国家で民主国家だと思っている。中国を見るにつけ、日本人はさらにそういう思いを深くするのである。

だが私には、大学時代に聞いた教授の言葉が忘れられない。
「民主主義は永久革命のプロセスで、未完のプロジェクト。人類の夢だ。
 そのプロセスそのものの中に、民主主義があるのである」

つまり、民主主義社会をめざす不断の努力こそ、民主主義の実体なのである。
私はこれを当然の前提だと思ってきたが、そう思っている人は少ないらしい。

マスコミに出ている各種専門家さえ、こういう認識がない。
政治家にも弁護士にもあまりない。

完成された民主主義国家というものは存在しない。
どの国も途上でしかないのだ。
だから他国に民主主義を教えてやるとか、自分の国を見習えなどいうことはできない。
アメリカの根本的勘違いはここにある。

全ては比較の問題でしかないからである。
何より歴史的背景が違う。

ヨーロッパの先進国は、比較的民主化が進んでいると思うが、それでも色々と問題がある。
資本主義の母国イギリスはその弊害をよく知っていて、暴走しないように歯止めをかけているし、フェアトレードにも熱心だが、それでも色々ある。
北欧の福祉国家は日本の目標でもあり、選挙が生活に密着していて感心することが多いが、それでも問題を抱えている。

「うちの国もまだまだだ。もっと努力しなくては」という姿勢の中に、民主主義は存在する。社会全体でこういう意識を共有する必要があるが、どこでそう教えたらいいのか。
高校の社会の授業かな。

でも教えられる教師があまりいない。
社会の授業は軽んじられているし。
これがいけないんだね。

尖閣衝突ビデオ流出問題と「国民の物語」
尖閣諸島における衝突事件を撮影したビデオの流出で、上を下への大騒ぎになっている。
正確に言えばマスコミが大騒ぎをしている。

マスコミはこういう時、理性を失ったようになる。
衝撃的なニュースほど売れる商品はない。
中国のマスコミも商業化によって、そういう傾向を強めているらしい。
マスコミが営利企業である限り、こういう騒ぎは止まらない。

ビデオの中身について言えば、撮影している海保側の興奮ぶりに違和感がある。
警笛が鳴り怒号が飛び交い、まるで戦場からのレポートのようだ。
その割には中国漁船に乗っている船員の様子がのどかで、落差がある。
「挑発的です」というナレーションが入っていたが、そうは見えない。

日中の近代史を振り返ってみると、真相のわからない小競り合いを大げさに報道しては、マスコミに煽られた人々が激昂するということの繰り返しだった。
歴史に学べば、こういう時に冷静になることが何より大切なのだ。

今回の場合、ビデオを観た人の多くは「何だ。この程度か」と思ったのではないだろうか。
だがそういう実感を、マスコミやネットの激しい論調が押し流している。
世の中には発言しない人の方が多いから、過激な言論が幅を効かせてしまう。
これが危ない。

流出させた人間は非公開方針に不満があったのだろうが、海保内部の人間だとすると、最近の海保における奇妙なヒロイズム、高揚感が関係しているのかもしれない。
それが英雄視されるのも困ったものだ。

ところで今、五夜連続で「99年の愛 Japanese Americans」というドラマを、TBSで放映中だ。84歳になった橋田壽賀子が遺言のつもりで、四年かけて書き下ろした日系アメリカ人の歴史ドラマである。

貧しい生活から抜け出したいとアメリカに移住して、差別を受けながら働き、やっと生活できるようになったと思ったら日米開戦。
砂漠の中につくられた収容所に入れられてしまう。
そして若者たちはアメリカに忠誠を誓うかどうか試されるのだ。
当時、アメリカ生まれの日系二世は平均年齢二十歳だった。

一方、敢えて帰国させた娘たちも、軍国主義一色の日本で差別を受けた上、アメリカ軍の猛攻で悲惨な運命に遭う。
二つの国家の間で翻弄され続けるのである。

四夜目の今夜、息子たちはアメリカへの忠誠心を証明するため、収容所から志願してヨーロッパの最激戦地に向かう。
日系人部隊442連隊は激戦を戦い、ナチに包囲された部隊を救出し、史上最多の勲章を獲得する。だが多くの犠牲を出した。

近々ドキュメンタリー映画も公開される。
「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」13日から新宿のK,scinemaで。
http://www.442film.com/

これは素晴らしい歴史だと語られることもあるが、私には悲しい歴史に思える。
小柄な彼らがアメリカ陸軍の軍服を着ているのである。
そこまでしなければ、彼らはアメリカ社会に受け入れられなかった。
特攻隊に志願した、日本統治下の朝鮮人のことを思わずにはいられない。
同胞がアメリカでされていることを、日本は植民地朝鮮で行なっていたわけだ。

尖閣衝突ビデオ流出で大騒ぎになっている中でこのドラマを観ていると、国家というものの本質について考えさせられる。
国家体制はそれ自体が意志を持っているかのごとく、存続のために個人を踏みにじる。

それを支えているのは「国民の物語」だ。
戦争というのは「国民の物語」同士の衝突である。
「国民の物語」が排他的で独善的で偏狭である時、それは常に敵を探し続ける。

今マスコミが煽っているのも「国民の物語」だ。
ドラマ「99年の愛 Japanease Amerikanns」は、そういう国民の物語に疑問を呈している。絶妙なタイミングになった。

日本人はこうだ、中国人はこうだと人間を集団でしか見ない「国民の物語」は時代とずれてきているのだが、それに変わる物語が生まれない以上、力を持ち続ける。

日本人であることの精神的根拠は何か。
よく言われる「日本人の誇り」とは何だろう。

日本社会は、日清戦争の勝利によって生まれた「毅然としたアジアの盟主」という物語から、なかなか抜け出せない。
戦前は軍事で、戦後は経済で実際にそういう立場にあったから、そこから脱却することが難しいのである。
敗戦時に過去を検証できれば良かったのだが、それができずに実質アメリカの属国となってしまった。だがこのままでは、日本はこれ以上先に進めない。

明治維新以来の近代日本の物語を、日本人は再構築する時に来ている。
日本人であることを支える「国民の物語」を、個人の尊重と平和への努力、人に優しい社会づくりへと再構築した時、日本社会は新たな力を得て再び前進することができるだろう。

公共放送が今さら日本海海戦の勝利を再現したり防衛論議ばかりしたり、中国と角突き合わせているようでは未来は暗い。






中国非難の大合唱で、日本外交は歴史的孤立へ
今の日本は中国批判の大合唱だ。
中国を批判せずんば日本人に非ずといった勢いである。

だがその影で、日本外交は歴史的孤立に向かっている。
それは間もなくAPECの場で明らかになるだろう。
そしてそれをまた中国のせいにして溜飲を下げているうちに、日本の歴史的孤立は決定的になるのだ。

その様子は昭和の初め、1930年代の日本外交を思わせるものがある。
歴史は繰り返す。
昭和の初め、日本は中国に対して挑発を繰り返した。
それに中国が対応すると、「日本をバカにするな」「侮日だ」と激昂した。

今回の尖閣諸島における衝突問題も同じである。
穏便に済ませられたのに、敢えて大問題に発展させた。
後は中国が度々発した解決のメッセージを無視、あるいは読み違えて事態はどんどんエスカレートした。
満州事変以降、日本は戦火が治まりそうになると何か事を起こしたが、今回も面白いほど似ている。主犯は前原外相である。

前原外相は、真実と違う情報をリークしてはマスコミに流させて、国民を洗脳している。
ハノイにおける日中外相会談だって、中国はやると明言していないのにそう流し、直前にキャンセルされたという印象を広めた。

テレビは繰り返し、「中国側の都合で一方的にキャンセルされた」と伝えている。
そして、アメリカを始めとする国際社会は日本の側についているという希望的観測を、あたかも事実であるかのように流す。

そんなことをしているから、ロシアまで領土問題を持ち出してきた。
日本をめぐる国際情勢は急速に悪化している。
東南アジアが中国を恐れて日本を頼りにしているなんて、笑い話のレベルである。
全てはアメリカに有利に働くのだ。
そしてアメリカは、中国と良好な関係を築きたいと思っている。

全てはAPECの場で明らかになるだろう。
菅直人首相ははAPECの「成功」を心から願っていて、自分の得点にしたいらしい。
だが恐らく、惨めな結果になるはずだ。
中国は参加はするだろうが、主眼はアメリカとの会談。
足下を見て領土問題を持ち出してきたロシアもやりたい放題だ。

こんなひどい状況にあるのに、どうして誰もまともに批判しないのか。
最大の理由は、そういう人間はテレビに出られないからである。
冷静な人も、今は何を言ってもこの流れは止められないと悲観しているのだろう。
下手にマスコミに出たら何を言われるかわからない。

優等生は無駄なことはしない。
だから優等生なのである。

だがそれだけではないと思う。
日本の知識人や大学人の心の中に、「中国のやりかたも悪い」「中国は遅れている」という意識があるのではないか。
このところ、中国を批判できるかどうかが問われるような情勢だった。

中国に問題があるのはわかっているが、今はそれが問題の本質ではない。
大切なのは日本がどういう外交をするかなのだ。
問うべきはこちら側の対応である。

しかしそれ以上に深刻なのは、日中関係の重要性を本当のところはわかっていないのではないかということだ。
中国問題の専門家を別にすると、意外に歴史も知らないのである。
これは私が最近発見した驚くべき事実である。

その背景には80年代以降、ポストモダニズムが跋扈する中で知性や教養の在り方が大きく変わったことがある。
日本は千数百年に渡って、中華文明を土台に独自の文化を築いてきた。
「漢」と「和」のバランスを取りながら知性や教養を磨いてきたのだ。

それは明治維新以降も消えなかった。
実は漢文への情熱は江戸時代より、明治以降の方が盛んになったのだ。
西洋と出会った日本が過去を振り返り、伝統に回帰しようとしたからである。
明治時代は江戸時代より漢字が好まれる社会だった。

しかし80年代以降、新自由主義と民活が拡大する中で「漢」は完全に消える。
旧制高校以来の古いエリート文化だとみなされたのも痛かった。
ちなみに欧米の「欧」も消えた。
ヨーロッパは、明治維新以後の日本に多大な文化的影響を与えたのだが。
残ったのはアメリカ志向だけである。

アメリカが、日本社会を閉鎖的だと決めつけて執拗に求めた市場開放は一面、中華文明を土台に日本人が営々と築いてきた文化の否定だった。
あれが日本人の精神における中国離れを決定づけたと、私は思っている。

日本人は、自分で自分の過去を否定することになった。
これは大きな損失だった。
日本人は大事なものを捨て去った。

中国を見下すことは自分の過去を見下すことなのである。
日本人はこのことに気づかなくてはいけない。
その時に初めて、日清戦争以来歪んでしまったものが何なのかわかるはずだ。
それは自画像なのである。

日本人の知性と教養は痩せ細ってしまった。
それがこの歴史的危機にあって、当然出るべき意見が出ない大きな理由だ。
私はそれを心から残念に思う。

今、日本は歴史的転換点に立っている。
自分の国が歪み、孤立していくのを見るのは気が重い。
なぜなら私は愛国者だからである。

かつてミスター円と呼ばれた榊原英資・青山学院大学教授は、上海万博開幕当時こう述べたことがある。
「中国を恐れてはいけない。
 日本は中国の目で世界を見よ。
 中国の目線で見れば世界が見える」

アメリカコンプレックスのない人間の発想だ。
中国にのみ強硬な今の外交は、実は深い屈折を抱え込んでいる。




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