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日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


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通俗のかけらもなし! 女子フィギュアの歴史に残る浅田真央の「鐘」
バンクーバーオリンピックで浅田真央が出てきた瞬間、私は頭を抱えた。
何て似合わないメークと衣装! スタッフは何してる!
この時点で負けを覚悟した。
正直に言うと、むざむざ金メダルを逃すの見たくなかったので、
その後ろくに演技を見なかった。
編集された短い映像をニュースでチラッと見て、やはりねぇと嘆いていたのである。

しかし、今回の世界選手権で初めてじっくりと演技を見て、印象は一変した。
浅田真央が挑もうとしているテーマは、とてつもなく大きかったのだ。
彼女は誰も到達できなかった高みをめざしていた。
あのチャレンジは、金メダルを取るよりも価値があったかもしれない。

実はオリンピックの後、長女のピアノの発表会があった。
社会人4年目、毎日多忙で週末は疲れを取るだけで精一杯。
それなのに発表会に出つづけている。

しかも今回弾くのはドビュッシーの「喜びの島」だ。
難曲である。それだけではない、大衆性が全く無いのである。
もっと楽に弾けて一般受けする曲はいくらでもある。
私と次女は陰で、どうしてわざわざあんな冒険をするのかと嘆きあっていた。

思い切って長女にも言ってみた。
「あなたのやっていることは真央ちゃんと同じよ。
キムヨナのような上手なやり方もあるのに」。
長女の答はこうだった。「私は自分を高めたいの」。
それを聞いて私は諦めた。そういう考えなら仕方がない。

長女のそういう生き方は本人の気性もあるが、先生の影響を強く受けているのである。
中学校への推薦を受ける適性検査という実技試験で、長女は難曲に挑んだ。
だから当然、同級生ほどうまく弾けなくて評価も低く、
あやうく推薦を受けられないところだったのだ。

それを聞いて先生は驚いて、こう言った。
「あのチャレンジを評価しないなんて信じられない」
音楽学校なんてそんなもの。無難にまとめた方が勝ちなのだ。
何しろ、音楽学校の教師は演奏家になれなかった人たちなのである。
現役ピアニストの先生とは視点が違う。

長女の頑ななまでのチャレンジ精神は、その後も変わらない。
当日、社会人としてトリを務める長女の演奏を、次女と私ははらはらしながら聴いた。
出来はちょうど、オリンピックの時の真央ちゃんレベルだった。

まぁ何とかまとめて良かったと胸を撫でおろろしていた時、
先生の後輩のピアニストが近づいてきた。
彼は北京出身の天才棋士,呉清源の息子である。

呉さんは私に向かって、「おめでとうございます!」と言った。
私は一瞬、言葉の意味を理解しかねて「はぁ」と答えた。
すると呉さんはこう言ったのである。
「ドビュッシーの中でも、あれほど力と命を込めなければならない曲はないですからね。
 お嬢さんは立派だ」

その言葉を聞いた時、私は突然涙が出てきた。
わざわざ一番困難な道を往く長女を、私はいつも生き方が下手だと心配している。
実はそれは、長女の中に自分の不器用さを見るからでもある。
だからイライラする。いつも損ばかり。

だが、ピアノおたくで(失礼!)子どものように純粋で心のきれいな呉さんは、
それを真っ直ぐに評価してくれた。
ああ、私はそういう視点を見失っていたと気づいた。

今回、世界選手権で浅田真央の「鐘」をじっくり見て、私は心から感動した。
彼女は恐らく損をしているが、あれこそフィギュアの王道である。
何より、通俗のかけらもないところが私の胸を打った。

芸術を追求するとフィギュアはああなる。
あれはもう、順位や採点という世俗の価値観を超えた世界だ。
真央ちゃんはポピュリズムと無縁のところに立っている。
高みをめざす強い意欲と真摯な姿勢が、全身から滲みでていた。

何よりも芸術性が高い。
私は今まで歴代の女子フィギュアの演技では、カタリーナ・ビットのカルメンが最高だと思っていたが、真央ちゃんはそれを超えたと思う。

日本人があのテーマに果敢に挑んだところが、また素晴らしい。
帝政ロシアにおける抑圧と革命・・・こんなテーマに取り組む選手が他にいるだろうか。
彼女は時代に逆行して、敢えて笑顔とは無縁の世界に挑んだ。
その不器用さと生真面目さを私は評価したい。

ここ数年、真央ちゃんが時代の趨勢や見栄えを無視してまでも芸術性を追求してきたことは、決して無駄にはならないだろう。
若いうちから世間と妥協するより遥かにマシだ。
まだ19歳なのだから。成功が全てじゃない。

彼女の頑固さが、今後大きな成長に通じることを祈る。
トリノの観衆が真央ちゃの演技に寄せた惜しみない拍手と賞讃を力に、さらに前進してほしい。

ピアニストが真央ちゃんの演技と「鐘」について語っているブログ/Risa,s音楽雑記
http://blog.goo.ne.jp/risapiano/e/9d0ab0a13b2f6a905304bba839406502

画家さんが真央ちゃんの演技を賞讃しているブログ/福山知佐子のブログ
http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/index.html#entry-60140472


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世界フィギュアでキムヨナ、驚きのフリー最高得点/不可解なマスコミの伝え方
トリノで行なわれた世界フィギュア、真央ちゃんが優勝した。
それはいいのだが、二位になったキムヨナ。
オリンピックで燃え尽きて、とても滑る状態ではなくショートプログラムでは7位。
昨夜のフリーでは、一回しりもちをついた上にジャンプが不発。

しかもその失敗は後半に集中し、演技を放棄するようなそぶりまで見せた。
普通、これは大きく減点される。
これではさらに順位を下げるのではないかと思ったほどだ。
それなのに最高得点で二位。
さすがにびっくりした。

オリンピックの時も得点のインフレが凄かったが、明らかにキムヨナの方が出来が良かったし、そういう採点基準なのなら仕方ないと思っていた。
でもこれはひどい。
実力のある選手には高い点が出る傾向にはありますが、これはないだろう。

一方、浅田真央はほとんどノーミスでもキムヨナより点が下。
会場が静まりかえった。
キムヨナはしゅんとしていたのに高得点が出て苦笑。
会場からはブーイング。
他の選手もノーミスなのに、キムヨナの得点が基準になったのか軒並み低い点しか出なかった。

まぁ今のフィギュアはこういうものだから仕方ないとしても、不思議なのはマスコミの扱い。一日遅れでフジテレビが放映しているが、ネットで見るのと印象が違う。
ショートプログラムでキムヨナに対して出たブーイングは、テレビ放映では処理されたのか消えていた。
フリーの結果も、女性アナが「キムヨナ、二位にまで巻き返しました!」と叫ぶ始末。

なんか変だなぁと感じていたのだが・・・・
業界にいる知り合いからこういう情報が入ってきた。
オリンピック前から電通のプロデュースで、キムヨナを日本でCMデビューさせ、タレント活動もさせる計画があるそうだ。
今回もトリノにチームが派遣されているとか。

つまり商品価値を高めるだけ高めるために、持ち上げるだけ持ち上げることになっているらしい。そう思って見ると納得のいくことだらけ。
これは仕掛けなのである。
ニュースだけではなく、こういうところまで操作されているとは。
マスコミ不信がますます強まった。

今回は、大勢のフィギュア・ファンがネット中継を見ていたせいで、テレビでの伝え方の不自然さが発覚した。
現地での実況を見ると、キムヨナが転倒してしりもちをついた場面が繰り返し放映され、かなり辛辣に批評されている。
日本では今夜フジテレビで放映されるが、全く違う伝え方になっていると思われる。
皆さんも是非見て、御自分の目で確かめてください。



高校無償化に思う。
高校無償化が決まりそうですね。
良いことのように見えるこの政策ですが、なんとも釈然としません。

日本の義務教育は中学までであり、高校へ行くというのは本人や家族の意思であるはずです。
ただ、向学心があるのに家庭の事情で高校に行けない・・そういう悲劇はこれで避けられるのでしょうか。

問題は教育費ではなく、もっと基本の福祉システムにあるように思うのです。

僕が中学1年の時、6人の子供を残して父が亡くなりました。
一番下の妹は当時1歳で、ほかに小学生が3人、幼児が一人という状況では母は働くこともままならず、加古川市の生活保護を受けることになりました。

僕は中学から高校、大学へと進学の意思を持っていましたが、中学卒業時、高校に行くことを許してもらえませんでした。
当時の加古川市の生活保護では、子供が16歳になるとその子供の分の支給額が削られてしまいます。

僕は当時、育英会の奨学金受給生に合格していましたから、高校への学費の心配はなかったのです。
ですが、一人分の生活保護費を削られるうえに、高校生では生活費を工面することなどできず、結果として自分で生きられ、家族に負担を与えない道を選ぶしかなかったのです。
(この状況は高校が無償化・・いずれ自分で返済しなくてはならないにしても・・と近い状況だったわけです)


それが僕が中学を出て養成工となり、夜学=定時制高校に通うようになった理由です。

高校の授業料を無料化すると、向学心のある子供が進学できるというのは単純すぎる発想です。
それよりも、その子供を家族が当てにしないで済むような、あるいはその子供が自ら生活していけるような、そういったシステムの整備こそが肝心であると思うのです。

大学への進学にしても「強い意思があれが出来たはず」という人があります。
加古川から生活しながらどうやって大学の二部に通うのか・・
通信制にしてもスクーリングに仕事が折り合わなければどうにもなりません。

僕は大学進学をあきらめました。

その後、もう一度、チャンスが来ました。
国鉄を退職したとき、僕は専門学校を受験しようとして資料を取り寄せたのです。
学費は何とか工面できました。
でも、母に泣いて頼まれました。
「やめてくれ」

生活費が稼げない期間があるということは家族の崩壊につながるのです。

その結果・・
僕は、実家を出て、自分の分の生活費がかからないようにし、好きな写真の道に方向性を定め、縁あってG先生に弟子入り、まさに現場で働きながら職人の仕事を肌で覚えていきました。
生活・・生きることを第一義に捉えるとほかに選択肢がなかったのです。

あまりに単純すぎる発想の民主党による「高校無償化」・・これでは向学心に燃える子供を救うことにはなりません。
その子供の背景にある家族に焦点を当てなければ問題の解決にならない。

しかし、なぜか報道は「朝鮮学校」を無償化するかどうかという視点でばかりなされ、高校無償化はすでに既定の事実として決まっていたかのような印象を与えました。
これはもしかしたら、朝鮮学校を使った民主党による世論操作ではないのか・・
僕にはそう思えてなりません。


高校無償化、子供手当て、高速無料化・・僕自身は将来に莫大な負担を強いる民主党のさまざまな政策には全面的に反対しています。
      こう@電車おやじ

テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済


バンクーバーオリンピック、浅田真央とキム·ヨナの対決から日本の産業を考える

(この記事は同ブログ内の他の記事と見解が違いますが、同一メディアが複数のコメンテーターの異なる意見を紹介するのは、先進国の多くで普通のことです。)


キム:
 演技点: 71.76
 ジャンプ点: 56.70

浅田:
 演技点: 67.04
 ジャンプ点: 42.38

 演技点での差は小さく、ジャンプでは14.32も差がつきました。
 キムは演技の選手、浅田はジャンプの選手という報道を見聞きすることは少なくなりませんが、それは間違いです。
 浅田の演技そのものは世界に通用しました。キムと大差がありません。
 一方、ジャンプでは負けています。トリプルアクセル + ダブルトウループより、トリプルフリップ + トリプルトウループのほうが基礎点でも有利であるうえに、成功確率も高く、GOE(出来栄え)加点も取りやすい。ジャンプ全体の基礎点で、キムは 44.70なのに対し、浅田は39.66ですから、GOE以前の段階で既に大差があります。


 かつては浅田真央の背中を追いかけ、トリプルアクセルを習得しようと努力を重ねてもそれを実現できなかったことが、現在のキム·ヨナの強みにつながっています。キム·ヨナはトリプルアクセル以外のトリプルを安定して跳べるのに対し、浅田真央のサルコウとルッツには成功率に難があります。フリップの踏み切りには問題があり、使いどころが難しい。ループはコンビネーションでは回転不足になりやすい。
 つまり、キムが大きな失敗をしない限り、浅田がキムに勝てるはずもなかったのです。
 伊藤みどり、中野ゆかりのように、トリプルアクセルを主力武器に善戦してきた先例があるので、トリプルアクセルにこだわりすぎたことが、浅田の敗因です。現行の評価システムでは、例えば、トリプルフリップ + トリプルループのほうが評価が高いのですから、アクセル以外のトリプル + エッジ系トリプルを主力にすべきでした。
 浅田陣営は選手の才能を十分に生かせなかった。


 女子フィギュアスケート対決での浅田陣営の躓きは、日本の産業全体が抱えている大きな問題の縮図のようにも見えます。
 高い技術力を持ちながら、国際規格への対応が十分ではないため、日本の産業は例えば以下の分野で大きく後れを取っています:

·パソコン
·携帯電話
·ポータブルオーディオプレーヤー
·コンピュータゲーム
·デジタルテレビ放送
·カーナビゲーションシステム
·電子マネー

 カーナビゲーションと電子マネーを除けば、日本が技術力で最先端を走っているうちに、世界が別の方向に歩いて行ってしまった分野です。そう遠くない将来に、このように"ガラパゴス化"した分野のリストに自動車まで加わる危険性を私は懸念しています。


 (ところで、テレビの報道番組にも、実は、日本特有の番組フォーマットがあります。典型的なのは、男性メインキャスターがいて、女性サブキャスターはいわば同意者の存在を示すだけのうなずき嬢にすぎない、という形を取っています。男性と女性が対等のコメンテーターで、意見をぶつけ合うような番組を観てみたいものです。)

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済


キム・ヨナと浅田真央は、インチョン国際空港と関西国際空港!
オリンピックも終わって皆さん日常に戻っているのに、私はまだキム真央問題を考えている。なぜか。それは、真央ちゃん問題に日本の弱点の全てが出ていたからだ。
まさに戦艦大和爆沈を見る思いだったのである(ちょっと大袈裟だが)

技術では世界一と自負しながら、あっけなく沈んだ大和。
知っての通り、もうああいう戦艦の出番は無くなっていたのである。
何しろ舞台は太平洋。
大切なのは航空機の性能であって、技術の粋を集めて戦艦をつくっていること自体、時代遅れだったのだ。

既に武蔵が沈んだ時点で、結果は見えていたのである。
しかし、日本人はその現実を直視しなかった。
何しろ連合艦隊には、日本海海戦の輝かしい歴史がある。
日本人は40年前の成功体験から抜け出せなかった。
NHKで放映中の「坂の上の雲」は、その日本海海戦をこれから描くのである・・・

で、真央ちゃんである。
過去、日本女子フィギュアでメダルを取ったのは伊藤みどり、ただ一人。美しさはまったく無かったが、ただただジャンプだけで銀メダルを取った。
これが「ジャンプの日本」の原点だ。

荒川静香は利口な女性で、時代の流れを肌で感じ、大会直前にコーチを換えてまで自分を通した。そして演技の美しさにこだわり、イナバウアーを取り入れて金メダルを取った。
人々が求めているものを提供したという点でも、優れた戦略だった。
今回のキム・ヨナの演技にその影響を見たのは、私一人だろうか。
チーム「キム・ヨナ」は、戦略でも学習能力でも遥かに上をいっていたということだ。

今、ネット右翼の皆さんが「技術では勝っていた」「八百長だ、買収だ」と言っているのを見ていて、敗戦後の日本人が長く、「技術では勝っていた」と言い続けたことを思い出した。
だが、ではなぜ負けたのかという検証は深くはなされなかった。
なぜなら、現実を直視すると「気持ち」が救われないからだ。
大切なのは気持ちなのである。

メダルを取ったことのない男子は、自由に模索して表現力を磨いた。
しかし女子はなまじ成功体験がある上に、真央ちゃんには技術力がある。
だからジャンプに固執して、安定性や表現力を軽視することになった。

私は二人の演技を見ていて、思わず仁川国際空港と関西国際空港を対比させてしまった。
最初から入念な計画と戦略の下に、アジアのハブをめざして作られた仁川と、うまくいけばうまくいくだろうという、甘い見通しと願望でスタートした関空。
で、関空はそこそこ(笑)。ハブなんてとんでもないという位置だが。

いやぁ、我ながら面白い視点だわ。
強いリ?ダ?シップの下、国家プロジェクトを動かしていく戦略とパワーは、日本には無いものである。
私は最近、小倉紀蔵京大大学院教授の「日中韓はひとつになれない」という本を読んだが、その中にもそういう指摘がある。

日本人にはその辺に危機感がある。
実は今回、私がネットのあちこちにこういうことを書いていたら、ネット右翼の方から仲間に入らないかという誘いが来た。
それで初めてわかったのだが、彼らは彼らなりに、戦略的志向を欠いているためにやられっぱなしで無為無策の日本を、何とかしたいという危機感と正義感があるらしい。
例えばマンガやアニメビジネスにしても、海外では損ばかりしている。

問題は以後、日本も何事につけ強いリ?ダ?の下で、明確な国家戦略を立てていくべきなのかどうかだ。
結論から言えば、それは難しいのではないかと思う。
かの十五年戦争の時も、日本の指導者たちはてんでばらばらに戦争を拡大した。
そういう意味では、A級戦犯という概念が成り立つのかどうか疑問である。
少なくともドイツのようなファシズム体制ではなかった。

トヨタの社長が涙を見せて弱いと批判されているが、あそこで言い返すような人物では、国内ではうまくいかないだろう。
民主党の支持率は落ちているようだが、鳩山首相に対する一般国民の印象は悪くない。
押しが強くないからだ。
上下の意識が希薄な日本社会では、周囲に支えられるトップは悪く言われない。
しかし、これはかなり世界とズレている。

こう考えてくると、国家間競争における日本の立場は弱い。
そこで「沈む日本」というイメージが出てくるわけだ。
しかし多くの人は、もはや諦めに近い気持ちでいるのではないか。
日本人はもう競争から降りているのである。

女子フイギュアにしても、問題は国の威信ではない。
真央ちゃんの頑張りが報われるかどうかなのだ。
だから真央ちゃんが泣いたのが悲しく、笑顔が戻ったのが嬉しかったのである。
真央ちゃんの親は娘に夢を賭けたのではなく、娘の夢を応援した。
背負っているものが違うと言われているが、余計なものは背負わない方が楽である。

日本はそういう社会になったのであり、これは悪いことではないと思う。
ある意味、理想的ではないだろうか。
後は社会の活力と、破滅しない程度に経済活動を維持できればいい。

そのためにはもう一度、ここでモチベーションを作り直す必要がある。
皆で知恵を出しあおう。
「地味、正直、生真面目」という三大美徳を生かせる道を考えるしかない。

日本人はずっとこれを弱点だと思って克服しようと努力してきたが、無理はいけない。
普通の国になったら長所まで消えてしまう。
強いリ?ダ?シップより全員のレベルを上げて、落ちこぼれを出さないことである。
パシュ?ト(スピードスケート団体追い抜き)路線がいい。

話がはなはだしくズレたが、真央ちゃんはジャンプを磨いてソチを目指すそうだ。
私は思わず天を仰いでしまった。
彼女の努力が報われることを祈るのみ。
ま、流れが変わるかもしれないしね。
相当に有能なプロデューサーがつかないと、難しいとは思うが・・・。

なお前回の記事にも書いたが、競技開始前は「ジャンプが成功すれば浅田真央は勝てる」とばかり言っていたマスコミ(主にテレビ)が一転、キム・ヨナの妖艶さと表現力ばかり絶賛しているのはどうなのか。

キム・ヨナの演技が素晴らしかったことに異論はないが、冷静な批評的視点が全くないのもおかしい。特に美意識の在り方について、突っ込んだ分析があっていいはずだ。
私は自他共に認める韓国びいきである。
多くの日本人がキム・ヨナを受け入れ、誉めているのを嬉しく思う。

だからこそ、違う美意識の持ち方もあったのではないかという疑問が残るのである。
アジアの女性はどういう時に一番美しく輝くのか。
この大テーマを、隣国の人々と一緒に考えていきたい。

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