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日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


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NHKの土曜ドラマ「蒼穹の昴」に期待!
NHKの土曜ドラマ、「蒼穹の昴」の予告篇を観ました。
いやぁ面白そうじゃないですか。
西太后に仕える宦官と、科挙にトップで合格した官吏という幼なじみの二人が、
時代の流れの中で敵味方に分かれていくのです。

宦官を演じるのは陳凱歌の近作「梅蘭芳 花の生涯」で、若き日の梅蘭芳を演じた余小群。舞姿がとても美しいので、期待してください。

田中裕子の西太后は貫禄充分!
だてに歳を取っていなかったね、この人。
同世代の私は昔から彼女のファンです。
この配役はやはり、彼女が「おしん」に出ていたからか。

萬朝報の記者役は小沢征悦ですが、この人「篤姫」「坂の上の雲」など注目作に出演しては、いい役ばかり演じてます。
うまくもないのに、親の七光りもいいところです。
私はすっかり小沢征爾に失望しています。
俗人だったのね。

それとこのドラマ、取り合えずBSでしか放映されません。
せっかく、戊戌の変法、戊戌の政変という難しい時期の興味深い物語を、日中合作でつくるのに。

「坂の上の雲」と両方を見比べると、多様な視点で明治を見られるのに、「坂の上の雲」だけ地上波でというのはどうよ!
いえ、うちのTVが古過ぎて(まだ厚型TV)、BSが観られないだけの話ですが。

1月2日、夜10時スタート。
全25回です。
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『SAPIO』の再変節、そして、私たちに必要なこと

 私が政治や経済について考えるようになったきっかけとしては、やはり、雑誌『SAPIO』を読んだことが大きい。私は今も昔も個人主義者 ― いいかえると、権威に抗してでも個人の権利を擁護しようとする者 ― で、1990年代の『SAPIO』は反権威主義的であった。当時掲載されていた小林よしのりの漫画には、権威を蹴飛ばし、実力で自らの道を切り開こうとする反骨の気概があふれていた。


 『SAPIO』が変節し、権威主義方向に流れていくのに合わせてか、小林も一緒にそっち側にいってしまった。実力がないのに地位についている ― と彼が見なす ― 一部の知識人らを批判していた彼が、今や、実力に関係なくその地位についている天皇を崇拝しているのだから、彼について私が覚える幻滅はかなりのものだ。反骨の小林はどこに行ったのだろうか?


 小林よしのりについて、私は「彼は何かに敗れたに違いない」として整理整頓した。しかし、『SAPIO』は私にもその他の個人主義者にも見捨てられなかった。小林を超える反骨精神を漲らせた大前研一が連載を続けていたからだ。国を守るために命を懸けるという発想を、軍事要員たる自衛隊員たちだけではなく、国民全体に対して一般化しようとするかのような論調が目立つ『SAPIO』に連載を続けながら、2005年にhttp://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/04/思い切った提案をするなら、日本の自衛隊を5分の1ぐらいに縮小して、外人部隊として日本がロシア兵士を“傭兵”として雇ったらどうか。間接的にでもクレムリンの目が光っていれば、北朝鮮は絶対に逆らえないし、変な行動には出ない。しかも、ロシアが“友軍”となれば、北の守りについてそれほど気にする必要がなくなると述べる大前は、文句なくかっこよかった。(大前は今でもかっこいい。国や社会に何が起ころうとも、彼はみだりに誰かを責めることなく、事態への対処のために策を練りつづける。ゆるぎないその姿勢には高潔さすら感じられる。)


 アメリカがサブプライムローンでガタガタし始めると、『SAPIO』はロシアの新興富裕層のことを取り上げるなど、グローバルな資本主義観をも展開するようになった。つまり、ある部分では、大前研一的に脱保守化したのだ。
 しかし、サブプライムローン問題の余波で、ロシアも2009年に成長率が?8.7%に落ち込んだ。


 そして2009年12月23日と2010年1月4日の合併号で、『SAPIO』は再び大きく変節した。この変節は一般にそれほど注目されないかもしれないが、個人主義者たちにとってはかつてないほど大きいものだと思う。掲載記事の見出しをいくつか並べてみよう:

【SIMULATION REPORT】織田信長から山本五十六まで 日本史上最強の戦争指揮官は誰か?
〈手書きでなぞる〉はじめての般若心経入門
·日常の自分を気軽に切り替える術/小峰彌彦
·解説「空」――「しあわせ」実感への道/玄侑宗久

 「考える紙」だったはずの『SAPIO』から、「考える」という部分が欠落してしまったように読める。
 「最強の戦争指揮官」ランキングというのは、「最強のプロボクサー」ランキングや「最高のオーケストラ指揮者」ランキングと知的活動の水準において大差がない。
 それにも増して、カルチャースクールを連想させる「〈手書きでなぞる〉般若心経入門」は新鮮だ。「なぞる」は「考える」とはほぼ逆で、理屈っぽい般若心経へのアプローチとしては儀式的すぎる。また、仏教の開祖である釈迦は王子でありながら王国を捨てた人物、つまり、反権威主義者の極みにあった人物であり、その教えが『SAPIO』で取り上げられるのは意外な感じがする。
 要するに、『SAPIO』は脱大前研一的に再保守化したのだ。保守化は思考の鈍化を伴う。だから、最近の『SAPIO』には「考える」という雰囲気が希薄になった。
 1990年代初頭にシビックな社会主義側は手詰まりになったが、それから20年もたたないうちに、エスニックな国家主義側も手詰まりになった。内政における鳩山政権の手詰まり感は、政治思想両陣営の手詰まりの反映に他ならない。


 考えてもうまくいかなかったのならば、別の方向に考えてきた人々と話し合うしかない。それぞれに譲れないものはあろうが、前向きに検討できる課題も存在する。私たちに必要なのは対話なのだ。
 『SAPIO』はエスニックな国家主義側の一角に過ぎないが、その再変節は彼らからのあまり自覚されない気恥ずかしさを含んだ招待、対話への招待のように感じられる。その対話が生じるかどうかで、日本が現在の閉塞感を抜け出し、なおかつ、個人の生き方に対してもっと公平になるように社会を再構築できるかどうかが決まると思う。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済


政治権力の逃げ場がある国
中国の次期指導者と目される習近平国家副主席が天皇陛下との会見を「1ヶ月ルール」を破る形で実現したことで、世間の声がいろいろ喧しい。
ルールと言うものがある以上、それに従うべきではないかと思うのだが、会見の内容は非常に穏やかで、新しい両国関係を示唆する有意義なものであると感じただけに、マスコミなどのもう少し、肝心な会見の内容について精査するような報道が欲しかったと僕は感じている。

しかし、この国・・つまりは我が日本国ではあるけれど・・の政治権力と言うものは一種独特の形をもっているのだなということを改めて実感した出来事でもあったなと・・思う。
そして、中国はそれをを充分理解していて、今回の要請になったのではないか。

天皇が政治の実権を握って政治家であったと言う歴史は・・この国の長い歴史の中においても、そう多くはない。
特に幕府なるものができ、政治権力と皇室の権威が分かれてからはより一層、天皇が政治家である必要がなくなったということか。

中国では皇帝の座も安泰ではなかった。
歴史上、数多くの国家が変遷し、皇帝であってもその地位を確保できる保障はなく、常に、外敵や内部の敵の脅威にさらされ続けてきた。

これに対し、日本では政治権力は天皇の下に存在し、天皇を崇めることを宣言しながら変遷した来たと言うことだ。
だから、源平でも戦国時代でも、誰も天皇の上に立とうとはしなかったし、天皇に成り代わろうともしなかった。
もっとも、哀れなのはその時々の天皇や皇室の面面で、安徳天皇のように政治権力に利用されてその看板となるべく連れられていく途中で戦によって命を落としたと言うような歴史もまたあるわけだが。

本気で天皇に成り代わろう・・あるいは、天皇の上に立とう・・
そう考えた可能性があるのは、かの織田信長だけだったのではないか。

信長は日本の旧来の風習を片端から打ち壊した人物だが、安土城に「御幸の間」を設け、ここに天皇を呼ぼうとしたのか・・
自らを「生き神」だと宣言し、正月に、自らに向かって賽銭を投げよと家来や住人に触れを出し、それを現実にやってのけた彼にとって「御幸の間」は、そこに自らが座るためのものだったかもしれない。

話が逸れた。

日本の政治権力はそれぞれの権力の上に天皇の権威をおき、つまるところ、「天皇のために」「天皇陛下への忠義を示す」として政治を司ってきた。
その形は近代国家になっても変らない。
明治時代にあっても、いや、今現在の時代にあっても、政治権力は常にその「逃げ場」を皇室にもっているわけだ。
だから太平洋戦争も国体の護持のためであったし、いまだに天皇陛下を国事行事の主役にするのだと・・僕は思っている。

僕は基本的に天皇家が日本の象徴であると言う現憲法の理念は理解できる。
ただ、だからと言って国事行事にいつまでも天皇の出席を仰いで良いものだろうか。

政治への不満も、権力への不満もある意味、皇室の存在があることで和らげられる。
そこに、政治権力が天皇を利用する最大の値打ちがあるのだろう。

結果的に、鎌倉幕府から・・・いやいや、関白摂政の時代から日本という国の政治システムは基本的な部分では何も変っていないのではないか・・
それは、政治権力を見る立場の国民だって同じようなことなのかもしれない。

BYこう@電車おやじ

テーマ:天皇陛下・皇室 - ジャンル:政治・経済


リクルートと日経BP社 悪の二強
大学のブランドイメージ調査なるものの結果が発表された。
調査したのは日経BP社である。ああ、またかという感じだ。
大学のブランドイメージねぇ・・・。
こういうものでに振り回される人はあまりいないだろうが、
問題は大学が振り回されることである。

何しろ大学は今、生き残りに必死だ。
大学進学者は、十年前のほぼ半分になっている。
イメージを良くし、受験生を確保し、就職実績を上げることに、
日夜邁進しているのである。

こういう数字の発表は要するに、大学の不安を煽るためのものなのだ。
そしてビジネスを生み出す。
かつて日経BP社は、大学のホームページのイメージランキングを発表し、
大学を慌てさせてビジネスに結び付けることに成功した。
どうやら味をしめたらしい。

一方、日本の情報産業自体を作り上げたとも言うべきリクルートは、
就職活動のシステムを完璧に確立。
不動の地位を築いている。
就職を望む学生はほべ全員、取り合えずリクナビに登録する。
リクルートに個人情報を提供するところから、就職活動が始まるのだ。

そしてリクルートは学生に企業の情報を流し、企業に学生の情報を流し、
巨大な口入れ屋となって就職市場を取り仕切っている。
就職には多様なアプローチが必要になっているのに、時代錯誤の一括採用システムが様々な問題を生み続けている。だがリクルートが作り上げたシステムを壊さない限り、何も変わらない。

多くの企業が採用しているSPIテスト自体、リクルートが作り上げたものだから、どうしようもないのである。
そして多くの大学や専門学校が、このSPI対策に追われている。
この状態は異常だ。


習近平副主席と天皇との会見騒動        宮内庁はなぜ縮小されないのか 
習近平副主席と天皇との会談を、中国が強く求めていたことが明らかになった。
これは私の推測に過ぎないが、小沢代表団が胡錦濤主席と会って破格の扱いを受けたのに、習副主席が天皇に会えないのではバランスが取れない・・・
つまり国民に対して面子が立たないということではないだろうか。
あるいは、習副主席の今後と関係しているのかもしれない。

宮内庁長官は次官経験者がなるのだが、日本で最も奇怪な人間の一人である。
雅子さんがやっと愛子ちゃんを生んだ時、当時の長官がこう言った。
「これでは国民が納得しないだろう。秋篠宮家に第三子を期待したい」。
普通、そういうことを言うか?

天皇が忙しくて体調を崩すのは、どうでもいい公務が多過ぎるからだ。
植樹祭にしろ国体にしろ、別に天皇が行く必要はない。
そもそも、そういう行事自体果たして必要なのかどうか。

だが最大の問題は宮中祭祀である。
聞くところによると、反日・・・じゃなかった、半日祈り続けることもあるらしい。
しかものその間中、宮内庁楽部の人が背後で演奏をしているのだという。
天皇も演奏者もふらふらになるそうだ。

そんな、国民の誰も望んでいないことを続けることに意味があるのか。
だいたい宮中祭祀とは何なのか。
そういう議論すらできないのである。

それにしても、宮内庁の縮小がなぜ論議されないのか。
皇族の世話をするだけのために、どうしてあれほどの組織が必要なのか。
しかしここは聖域らしく、一度もメスを入れられたことはない。
この問題で、宮内庁自体が抱える問題がクローズアップされるといいのだが。

話はそれるが、ついでに言うと皇族が三人子どもをつくるのは止めてもらいたい。
多くの国民は今、二人育てるのがやっとなのである。
また次男や三男が結婚した時に、宮家を新設するのも止めるべきだ。
高円宮家も秋篠宮家も必要なかった。
国民の総意に基づくはずの皇室が、勝手なことをされたら困る。




テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記




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