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額に汗して働くこと
 「崖の上のポニョ」などで有名な宮崎駿氏が、外国記者向けの記者会見で、こんなことを述べている。

 「生産者であることと消費者であることは同時でなくてはいけないのに、私たちの社会はほとんどが消費者だけで占められてしまった。生産者も消費者の気分でいるというのが、大きな問題だと思います。
 それは自分たちの職場で感じます。人を楽しませるために自分たちの職業で精いっぱい力を尽くすのではなく、それもやるけど、ほとんどの時間は他人が作ったものを消費することによって楽しもうと思って生きていますね。」

 ここ最近、ビジネスの世界で議論されていることの一つに、「ホワイトカラーの生産性向上」がある。工場などで実際に商品を製造する現場と違って、オフィスでの活動、例えば資料作りや調査、データ分析、企画といった仕事は、かける手間とアウトプットの相関関係が非常に見えにくい。
 
 だからオフィス勤務においては、工場勤務の名残を留めた勤務時間管理そのもの、つまり時間の制約をなくして、より自由に活動できるようにすることにより、オフィス勤務者=ホワイトカラーの生産性を向上させるというものだ。

 だが、上述の宮崎氏の発言を読んで、はたと考えてしまった。ホワイトカラーの生産性向上などを考えること自体が、そもそも不毛の議論なのではないか。

 ホワイトカラーの生産性向上や新たな市場分野で新たな事業を興し、需要を創造する努力を否定するのではないが、これから先、日本という社会とそこに住む人が必要とするのは、日々、自分の手足を動かし、額に汗して働いて、自らの生を維持する糧を得る活動なのではないかと、最近思うようになった。

 完全にそういう生活になれずとも、自分の生活時間の割合を、頭脳作業や消費によって占められている時間を減らし、少しでも手足を動かして働く時間を増やすようにした方が良いように思う。

 やっぱり、そうして働いた後の方が、メシもビールも美味いんだろうなぁ。


※文中の引用元は以下のサイト。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0811/27/news004.html



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IQとIQg

この記事は個人的な自慢話から始まる。

私が株の空売りもできるように信用取引口座を開いたのは2005年10月27日のことだった。

それ以前には、株を長期で保有し、商品先物の空売りでデフレの影響を吸収するというスタイルで通していたのだが、1929年の世界恐慌について調べてみると、商品先物の空売りでは株の下落にうまく対処できないことが分かった。国債を買うということも考えたが、金利が低すぎて、株の下落分を吸収させるには不向きだった。

アメリカの連邦準備制度の資産内訳を眺めると、準備制度が監督範囲の金融機関からいくつかの種類の金融資産を買い取るという形で、量的緩和を始めたのは2007年12月のことである。

危機を察知することについては、情報に恵まれていたグリーンスパン当時議長そして後任のバーナンキ議長と仲間たちより、一個人に過ぎない私の方が2年分ほど賢かったことになる。

私はとある証券大手が開催している運用コンテストに参加している。コンテスト開始時の仮想資産10億円を運用し、実在のファンドと成績を競うものだ。株式市場の状態がどれほど悪かろうと、資産の半分までは株を保有しなければならないというルールがあり、このルールに慣れている実在ファンドのほうが当然有利である。

この運用コンテストでも、実在ファンドよりも私の方が今のところ成績が良い。

自慢話はこれくらいにしておこう。

実は、くだんの運用コンテストで、参加者の過半数が実在ファンドよりも成績が良い。素人の半分以上が、機関投資家をやすやすと打ち負かしているのである。

そういえば、リーマンブラザーズが潰れているというのに、2chではむしろまだまだ儲かっている人が少なくない。世間一般まで拡大して観察しても、安くなった株を買い叩こうという機運が強まっていて、証券会社の個人口座開設数は劇的に増えているらしい。

20年前にも、似たようなことが起こっている。バブル崩壊で機関投資家の成績が非常に悪くなっていった時期に、税引き後でも年率9%の金利を求めて、日本の主婦たちは郵便貯金口座にどんどんお金を入れた。

競争に勝って高い地位についている連邦準備制度理事会議長や機関投資家たちと比べて、孫所其処らにいくらでもいる個人たちは、金融市場についての理解や感覚において、遜色ないどころかむしろ優れている。

この奇妙な現実について、ここ3年ほど考えてきて、私は1つの結論に至った。

高いIQは理解力の高さを示す。IQは頭の良さを計る指標だ。一方、理解を具体的な行動に結び付ける能力は、IQgという指標で測られる。IQgは頭の使い方の巧さを計る指標である。

天才少年たちの多くは高いIQを持っていたが、成長後に社会的に重要な地位についている例はほとんどない。IQ志向の英才教育は、個人の社会的成功に結びついていないという点では、確かに失敗だった。

その後、アメリカは過剰にIQg志向の社会になっていった。

IQが160を超えていて、IQgは200を超えているといわれるビル・ゲイツのような人間は極々稀にしか生まれない。

具体的な成果を即座に求められる競争では、高IQg組が高IQ組を打ち負かしてしまうため、社会の指導者層には、行動力に恵まれているが、理解力では凡庸な人ばかりが残ってしまった。だから、重要な局面で適切な判断ができない。

ブッシュ大統領と(我々一般市民にとって)不愉快な仲間たちがやってきたことを振り返ってみれば、きっとこれを読んでいるあなたにも何らかの実感が生じるに違いない、と私は期待する。

ところで、30年くらい前から、ソフト開発の経験をほとんど問わず、IQの高さを最優先規準にコア従業員を採用してきた会社がある。前述のビル・ゲイツが経営してきたマイクロソフトである。彼ら高IQ組は、ストックオプションで億万長者になった後にも、マイクロソフトを去って引退することも、自分で会社を興すこともほとんどなく、その優れた理解力でマイクロソフトのためにキーボードを叩き、ソフトウェアを作り続けている。

ジャック・ウェルチやスティーヴ・ジョブズの経営法を解説する書籍は少なくないが、ゲイツの経営法についてはそういうものがほとんどない。マイクロソフトという強大な会社は、ほぼ丸ごと経営学の盲点に収まっている。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済


アメリカ発の「金融危機」について
米国発の金融危機が世界のあちこちに波及して大変だ(そうだ)。
まぁ、昨今のいわゆる金融資本主義ってのは胡散臭いもので、
要するに、お金を右から左へ、また左から前へ、それから後ろへと動かすだけで、
価値が上がっていくというもの。

動かすだけで儲かる、別の見方をすれば、儲かるところにお金をもっていく、
そういうものなんだろうな。(いささか大雑把な見方だろうけど)
BRICsとか、少し前ではVISTA(ベトナムとか何とか・・・)と人々を煽りたて、グローバルに儲かるところを作って、そこへお金をつぎ込ませている。

始末の悪い事に、額に汗して一生懸命に生きている人は、
基本的にそんな「儲かる話」とは無縁なのだけど、
「儲かる話」がうまくいかなくなった途端、
そうした普通に生きている人にまでしわ寄せが来てしまう。

ガソリンや穀物の高騰(最近は原油価格が極端に下落傾向)もそうだし、
株価の急落で不安感が広がり、急にお金が回らなくなると、
給与や雇用にまで影響が出てきそうな気配となっている。

いっぱいお金を動かし、たくさん消費させることで成り立っているのが
現今の社会で、その網の目から抜け出すのがとても難しい。

ところで最近、こんな言葉を目にした。

  銀あるいは金は、さとりに導かないし、静寂にも導かない
  これは人をして貪らしめるもの、酔わせるもの、迷わせるもの、
  塵を増大させるものであり、疑惑をともない、多くの苦労を生ずるものである。
  そこには堅固さも安定性も存在しない。
  多くの人はこれを楽しみ、恣(ほしいまま)になって、心が汚れて、
  互いに反抗しあい、争論する。
  殺害、捕縛、苦痛、苦難、損失、悲しみを歎き、
  もろもろの欲望に耽った人々には、多大の禍の起こることが見られる。

これは2000年以上も前のインド、かのブッダと共に生きていたある女性の言葉。
現在でも十分に通用する言葉だと思う。

お金は必要ない、ということを言いたいのではない。
お金は必要だ。服を着て、メシを食って、寝泊りするには、お金は必要だ。
お金は必要ない、という清貧な生き方を個人でするのは大いに結構だが、
そういう個人の信条が社会の隅々にいきわたっている社会は、とても息苦しいだろう。
そんな窒息するような社会で生きたいとは思わない。

お金は必要ない、ということではなくて、
いっぱいお金を回し、たくさん消費させることが支配的な考え方になり、
一方でその考え方に対抗する考え方が見当たらないことが問題なのだと思う。

人間でも社会でも何でもそうなのだが、、価値観はある程度いくつかあった方がよい。
それぞれの価値観が対抗し、葛藤している方が人間も精神的に安定するし、
社会も安定する。

かの辻井喬こと元セゾングループの堤清二は、最近の著書でこんなことを述べている。

  私がいま感じている危機意識の実態は何かと申しますと、
  世界が産業社会の終末を迎えているということです。
  日本市場のスケールの縮小と、経営者の堕落は相当なスピードで進んでいる。
  ですから日本の市場経済もどこかに対抗軸をつくっておかないと、
  止めどなく堕落するだろうと思っています。

今は、消費を促す価値観が幅を利かせている一方、それに対する対抗軸がない。
一体何が、対抗軸となり得るだろうか。


※文中の引用元
  「尼僧の告白 テーリーガーター」中村元訳(岩波文庫)
  「ポスト消費社会のゆくえ」辻井喬・上野千鶴子(文春新書)




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