早いもので、転職してタクシードライバーになり、まもなく1年が来ます。
この1年でいろいろなことに遭遇し、いろいろな出会いがありました。
人間はともかくとして、深夜や明け方、神戸・明石を走っていると、狐や狸、イタチと言った動物にもよく出会います。
人間が征圧したと思われる都会の中、いわゆる丑三つ時には、実は人間の権力はまったく存在せず、動物たちが自由闊達に動き回っているように思います。
そういえば、何度か猫の集会にも出会いました。
猫たちは道路を占拠して集会を開いています。
彼らは人間の会議のように輪になり、向かい合うのですが・・だからといって、何かを議論しているわけでもなさそうです。
そんなときに、クルマを乗り入れてしまうと・・猫たちはてこでも動かず・・
時には車を降りて・・「そこ、どいてよ・・」と言いながら追い払うしぐさをすると・・
「仕方ないなぁ」とでも言うように・・
おもむろに動いてくれます。
さて、信じる信じないは別ですが・・
幽霊を何度か見かけました。
あの素晴しい時代をもう一度〜最近の就職活動に思う〜
最近の大学生は大変だ。
ある新聞の報道によると、大学2年生から就職活動をしているそうだ。
最近のご時世、一歩足を踏み外すと二度と浮かび上がれない。
そんな不安に駆られた焦りから、学生たちは必死なんだろう。
僕が学生だった20年近く前(もうそんなになるんだ!)を想い起こす。
一応、法学部だったけど、まともに法律の勉強はしなかったぁ。
よく寝て、友達とつるんで、とりあえず本は読んでおいて、
あとはあの有り余る時間を何に使っていたのか、ほとんど覚えていない。
改革開放が始まり、徐々に近代化されつつあった中国へ留学した。
まぁ、留学中もあんまり真面目な学生ではなかった。
いつも夜更かしして、ぎりぎりに授業に駆け込み、
テストの成績だって、ほめられたもんじゃなかった。
本を読んだり、その辺をプラプラ歩いたり、
あとはくだらぬ妄想に時間を費やしていた。
そうそう、酒を覚えたのも留学中だ。
毎夜、中国の「五星ビール」を傾け、
音楽を聴きながら本を読んで、いろんな空想にふけっていた。
学生最後の1年間は、就職が何とか決まってからは、
ハマリつつあったクラシック音楽に費やした。
バイト代はほとんどCDに変わっていった。
あの頃、フルトヴェングラー指揮のベートヴェンの交響曲を聴きながら、
自分が世の中を変えられると本気で信じていた。
こんな学生時代をすごした僕でも、
入社してからはいろいろあったけど、
たまたまいい人にめぐり合えたからかもしれないが、
一応、なんとかビジネスマンとして会社で働けているんだよ。
だから企業の採用の担当者は、もっとおおらかに今の若い人たちを見守ってあげてほしいな。
今、自分の学生時代を振り返って、本当にいい学生時代をすごせたと思っている。
利益だとか、やりがいだとか、そんなつまらないことから無縁で、
本当に自分自身と向き合える時間を持てていた。
あの頃の妄想や空想が今、自分の肥やしとなっているんだ。
あの素晴しい時代をもう一度。
就職活動で必死になっている学生たちを見ると、そう思えてならないな。
あまりに現実を見すぎた自分が世の中全てを変えられるとは思わないけど、
せめて自分が関わる部分だけでも、良くしたいと思う。
最近のプロ野球は、あまり面白くない。
まあ、楽しんでいる人も多くいるだろうが、
小さい頃からの野球ファンのシュベイクとしては、
どうも昔ほどは楽しめない。
昔の甲子園球場は、それは凄かった。
ゲートから入場し、グラウンドを見渡す観客席に出た途端、
あの一種独特の雰囲気に飲み込まれたもんだ。
あの雰囲気を、どう例えればよいだろうか。
野球が大好きな人もいれば、
ひいきのチームの勝利のために、それこそ命を賭けている人もいた。
会社でむしゃくしゃしたサラリーマンが、その憂さ晴らしとばかりに、
どぎつい(とてもここでは書けない)野次を飛ばしていた。
それは、「熱気」などという生易しいものじゃない。
それこそ5万にも及ぶ人々の5万個の「情念」とでもいうものが渦巻く
坩堝のようなものだった。
「甲子園には魔物がいる」と言った人がいたが、
その魔物の正体は、球場に足を運ぶ人々の心の底に蠢く「情念」だったかもしれない。
最近はどうもそれを感じない。
なぜだか理由は分からない。
最近の野球観戦とは、
どこかでチケットを購入してから、
お決まりのメガホンを手に球場に行き、
選手の打順になればお決まりの応援歌を歌い、
ヒーローインタビューに拍手し、
最後にまた歌を歌う。
こういう一種の流れに乗っかることになっている。
球場に足を運ぶということが、
野球というスポーツの面白さを楽しんだり、
生活上の憂さを晴らすという主体的行為ではなくなっている。
自分が娯楽するのではなく、
システム化された娯楽のルーティンに乗っかって、
楽しんでいる気になっている。
こういう娯楽がシステム化された社会を、どう言うのだろうか。
丸山眞男「自己内対話」の言葉を紹介しておこう。
余暇の組織化とルーティン化! →管理社会
洞爺湖サミットのテロ対策訓練をTVで見て、驚いた。
ほとんど有事である。
世の中、「環境、環境」の大合唱だが、
いくらCO2削減に取り組んでもエコバッグを持ち歩いても、
宇宙を軍事利用して戦争をしていたら、何にもならないではないか。
そういう根本の問題から目をそらしているところに、矛盾がある。
一方、食糧自給率4割などという国はないと、多くの人が怒っている。
食糧安全保障云々と演説している人もいる。
しかし、これは日本人自身が選び取ってきた道なのだ。
こうなることは40年前にわかっていた。
それでも皆で消費文化に溺れ、農業を軽んじてきたのである。
レタスが50円上がると「高い」と買わない。
一方、一粒300円のチョコレートなら買う。
農業軽視もいいところである。
物事の根本を見ていきたい。
根本を見るということは、自分の生き方を問うことでもあるから難しい。