Make Your Peace
日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


プロフィール

MYP2004

Author:MYP2004
日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



RSSリンクの表示



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


品川駅前に広がる「マトリックス」的光景
 私は先日、初めて再開発された品川駅前を見た。インターシティーができた港南口だ。いやぁ驚いたの何のって! まるで、映画「マトリックス」のような光景が広がっているのである。夜空を背景に高層ビルが林立。コンコースは天井が高く、あえて明るさを落としたシックな雰囲気。その下を、黒い服を来た人々の群れが歩きつづけるのである。

 高層ビル群と言えば、新宿西口がはしりだ。しかし、あの高層ビル街ができた頃は、まだそこは特別な非日常的空間だった。人々は驚きとまどい、居心地が悪そうにしていたものだ。しかし今や日本人は、そういう空間が似合うようになった。近未来的光景がどんどん広がり、日常の中に入ってきている。

 私は夜の渋谷ハチ公前交差点に立つ度に、こういう世界が現実になったことに驚嘆している。大小四つの液晶画面から、ひっきりなしに映像と音楽が降り注ぐ。人々はそれを当たり前のように浴びながら、ざわざわと歩きまわるのである。私はそれを見て、いつも映画「ブレ?ドランナー」を思い出す。あの映画が公開されてから二十年で、街の風景はすっかりSF的になった。

 こういう風景には、過剰な感情や表情は似合わない。システムに適応できるスマ?トな人間の方が似合う。一番似合わないのは恐らく、主張する人間である。一方で、発展から取り残された地域は荒廃していくのではないだろうか。高層ビルには、自分さえ良ければいいという発想が感じられる。今後、高層ビル化とスラム化とが併存していく可能性がある。

 それにしても、建築の思想は今どうなっているのだろう。私は以前、「デザイナーは具体的世界の護民官」という一文を読んで、目から鱗が落ちる思いがした。以後、デザインに関心を持つようになった。

 高層ビルの思想は上昇志向と威圧だ。周囲に溶け込むという発想は最初からない。地域文化の破壊が前提になっているのだ。都市にはそういう場所があってもいいのだろうが、それがどんどん拡大している。そしてどの街も似たり寄ったり。画一的とはこのことである。今、多様性はあらゆる意味で危機に瀕しているのではなかろうか。

 
スポンサーサイト

テーマ:つぶやき - ジャンル:日記


あのおおらかな時代を再び……

サブプライムローン問題から、アメリカ経済はさらなる冷え込みに突入したようで、市場は荒れています。1990年代からアメリカは証券などに関する情報公開の促進など、投資家から資金を呼び込む改革を続けてきましたが、結果といえば、日本の不良債権問題と似たような問題を抱え込み、投資家の含み損を増やし続けています。

日本の現状があまりにも悪いため、アメリカ経済を手本にしたい気持ちが日本人の心に生じてしまうのは無理もないことですが、そのアメリカで会社が保有する有価証券についての評価法に対して見直しの機運が生じています。アメリカ経済も困窮しています。

ここ20年ほどのアメリカ経済、そしてそれを追いかけてきたここ10年ほどの日本経済は、「ものをいう株主」「偉大な経営者」「卓越した発想」などの経営神話に凝り固まってきました。ものをいう株主が偉大な経営者に卓越した発想を求める、という図式が、十分に検証されることもなく、無自覚な思想となってしまいました。

しかし、株主がものをいうことが、会社の成長を促進させるかどうか、そして最終的にその株主にとっての利益を増すかどうか、市場で広範なデータ収集と検証が行われていない現状で、それは極めて疑わしい。偉大な経営者に率いられなければうまくいかない会社はいずれ倒れてしまいます。また、卓越した発想は後から見ればそうだったと思える発想があるというだけで、株主にとって耳触りのよい発想が卓越したものかどうかは、その発想を実践の場で試さなければわかりません。

例えば、ソニーの株主がものをいう株主ばかりであったならば、ソニーは一流会社になり得たでしょうか?

少なくとも、創業期の井深氏は、会社が何をやるべきかということについて、卓越した発想など示していません。当時、当時、ソニーには基本的な経営計画すらなかった。設立から数週間にわたって、社員たちは何をやるべきか話し合い、出てきた案の中には「和菓子」や「ミニゴルフ場」まで含まれています。試作品の炊飯器はまともに機能しませんでしたし、製品化にこぎつけたテープレコーダーはまったく売れませんでした。布に電線を縫い付けた粗雑な電気座布団がソニーの命綱だった時もあります。

ものをいう株主だったら、そのような会社の経営者を厳しくとがめたことでしょうし、大き過ぎる配当を要求し、会社の成長を著しく阻害したかもしれません。井深氏や盛田氏は疑いなく偉大な経営者として知られていますが、最初からそうだったのではない。そして、卓越した発想とともに設立された多くの競争相手がソニーに屈してきたことを思うと、卓越した発想は会社経営の絶対的な要素ではない。

盛田氏が21世紀を見ることなくあの世に旅立った後、ソニーの歩みはソニーらしさを失っていく過程でした。その象徴ともいえるのが、ソニーESP研究所の閉鎖です。

ESP研究所は少なくとも透視能力を実証できたといわれています。すぐに事業に結び付く研究成果ではなかったが、全くの無駄でもなかった。株主が合理化を求め、経営陣がそれに何らかの形で応えるのは当然かもしれませんが、既に大会社として電子産業の一翼を担っていたソニーが、年間たった3000万円の予算しか組まれていなかったESP研究所を閉鎖したのは、涙が出そうなほど世知辛い。人類の未知の領域に挑み、成果も上げつつあった研究所が、1株あたり1円にもならない近視眼的な利益追求の結果としてつぶされたのです。

それから4、5年後、ソニー製品が小売店で大安売りされるのを見かけるようになり、有機ELなどの技術力の回復を示す材料があるものの、今のソニーにかつての元気はない。

現在、株式会社の設立要件は緩和され、市場からの資金の調達もやりやすくなりました。しかしその反面、株主は利益を求めてぎすぎすしすぎており、会社がその会社らしさを醸成し、本当の会社になる前に、株主の過剰な干渉が会社をダメにしています。

株主には経営に口を出す権利があります。しかし、その権利の頻繁で強圧的な行使は、株主の利益を最大化しない。自分で経営するのが難しいから、株主は会社に投資するのです。つまり、経営陣は、たいてい、株主よりも賢い。株主が経営に干渉することで、ある年の株主利益を20%増やせるかもしれませんが、株主がしょっちゅうそんなことをやっていれば、その会社が100倍、1000倍に成長するなんてことは起こりそうもない。会社のやることが気に入らなければ、その会社の株を売り払い、別の会社を買えばいいではありませんか?

あのおおらかな時代を再び……危機的な時代だからこそ、株主がおおらかな発想を持たなければ、日本経済に本格的な回復はないのです。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済


戦争という狂気
先日、33ヶ国共同制作の「民主主義」の「米国?闇へ」が放送されていた。
9・11以後、アフガニスタンで捕えられた無実のアフガン人に対する拷問の問題を軸に、
アメリカの民主主義を考察した映画だ。

拷問を実行した兵士が登場する一方、
戦争という状況を作り出す意思決定を行った者たちがその責を問われないことに、
何とも言えない気持ちになった。
と同時に、日本で今なお問題となっている「従軍慰安婦」や沖縄の集団自決のことをふと考えた。

[READ MORE...]

憲法第9条

実は、憲法第9条は平和の理念を条文化したものではない。

1945年8月15日の終戦の玉音放送から程なく、日本軍は各部隊レベルで自主解散した。9月2日にGHQが日本軍に解散命令を出したときに、日本軍はもう存在していなかった。憲法第9条ができる以前に、日本は軍隊を持たない国になっていた。

憲法第9条で日本が軍隊のない国になったのではなく、軍隊のない国になった日本を憲法第9条が追認したのである。

日本国憲法の成立過程で、国会において憲法第9条に反対の意を示したのは日本共産党だけだった。

さて、平和運動寄りの人間としては稀なことだが、軍隊のみが国家主権を保証できる、と私は考えている。日本には軍隊がない。軍法会議や軍事裁判所を持たず、条件によっては隊員の脱走を効果的に防げない自衛隊は軍隊とは呼べない。自衛隊が命懸けで戦うことができることを期待できるのは、日本が侵略を受けた場合のみだ。

自衛隊の存在は日本の国家主権を主張しているが、保証はしていない。

国家主権を保証できないのは良くない、と考えていた高校生の頃、私は改憲論者だった。

ところが、成長と共にいろいろなものが見えるようになった。

軍隊を持っている国の方が、軍事的な理由で死ぬ国民の数が多い。

先進国を考えると、2001年9月11日に、世界最強軍隊を持つアメリカではテロ攻撃で数千人が死んだ。しかし、軍隊を持たない日本ではイスラム教徒のテロ攻撃がまだ起こっていない。

発展途上国が多い中米は長らく戦火が絶えなかったが、1949年以降軍隊を持たないコスタリカは例外的に平和だった。

アメリカが日本を守ってくれているということを否定はしない。それも軍隊をもたない日本の現実の一部だ。しかし、アメリカ軍は韓国にもいる。そして、軍隊を持つ韓国での北朝鮮による拉致問題は、日本のそれよりも遥かに深刻で、人数も多い。

仮に日本が軍隊を持つようなれば、日本に対する敵意も増すことになる。軍事も外交も相手があることなので、日本が一方的にウヨク化しても、日本の軍事的な安全確保は改善されない。

デーン・アーチャーとローズマリー・ガートナーは、『暴力と殺人の国際比較』(日本評論社、1996年)で、戦争を遂行する国の犯罪率が一般に上昇することをつまびらかにしている。日本を平和主義の国にしている憲法第9条は、日本の治安維持にも貢献している。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。