女40代の再就職マニュアル 知的で経験が生かせる資格・・・」
これは「プレジデントFamily」3月号の第二特集だ。
職場でこれが話題になった。
実際に仕事をしている立場から、全員が批判した。
「何が『輝く』よ。身を削って働いているのに」
「もう、ボロボロよ」
(元ネタは、http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=kouzou&dd=09&re=2227に書いたいくつかの投稿。この投稿はまとめと補完)
近代以降の教育における革命の1つは、子供に老成を強いることをやめ、子供を子供らしく育てるようになったことだ。そしてこの革命を受け入れた国々が、おおむね、世界人口の豊かな10%に重なる。
知能の高い動物ほど、子供時代が長い。
日本人の子供って、たいていは幼稚だ。国際交流の場に出ると、その幼稚さの露呈に引率者が赤面することも多々ある。けれど、その幼稚さこそが日本の強さだ、ってことに、引率者の方々には気が付いて欲しい。子供が老成してしっかりしている発展途上国と日本の経済格差は、まだまだ埋まらない。彼らはずっとずっとずっと貧しく、そしてこれからも長い間そうだろう。
さて、高校で社会奉仕が必修化されたようだが、私はそれに反対している。社会奉仕の必修化は子供に老成を強いることだ。これは良くない。
当人の意思に基づかない社会奉仕は意義希薄だ。自主性や自発性を阻害する危険性をも孕む。
それに、社会奉仕はたいてい正しいのだけれども、全員でいっせいにやるとまずい。個人レベルで正しいことでも、全員でいっせいにやるとたいていうまくいかない。たとえば、明日から日本人全員がいっせいに倹約熱心になったら、日本経済は間違いなく破綻する。
念のためにいっておくと、学校が子供をして社会奉仕に興味を持たせるために、さまざまな任意参加機会を提供することには大いに賛成している。老成を促すのはよろしいが、強いるのはよろしくない。
老成を強いるのは、強制的に型にはめることの一種だ。
人間は型を好む。型にはまることは成功への近道で、ほとんどの人間は型を求め続ける。型への需要はとても大きいので、書店には型の本がたくさん置いてある。株の短期売買のように、混沌とした市場を相手に勝負するためにも、型本は用意されている。恋愛にも型本が多く出ていて、よく売れる。人生全般について型を語る人には人気があり、細木数子の番組の視聴率は安定して高水準だ。
ちなみに、私は細木数子を嫌わない。彼女は保守的だけど、その保守性は直接的に個人の利益を志向している。彼女はかつて「日本人は明治維新で駄目になった」と語っていたことがあるし、子供たちに強制集団生活をさせるべきだと主張する熱血馬鹿教師には批判的だった。あなたが個人として単純で平凡な幸せを求めているんだったら、細木数子のいう通りにしていれば正解。(この投稿の主眼はもちろん、そんなところにはないけれど)
型にはまる人は常に余り、型破りな人は常に不足する。この不足が深刻化すると、社会は機能不全に陥る。型破りなことはリスクを引き受けることだ。誰かがリスクを引き受けなければ、社会全体が大きなリスクにさらされる。戦前戦中の日本は閉塞によるリスク増大の代表例の1つだ。
型破りな人の人生は波乱含みになり、苦労も多い。型にはまった失敗よりも型破りな失敗を遥かに手厳しく責めたてる悪癖 ― 横並び強制力 ― を、たぶん生まれながらに我々は持っているので、型破りさんにつらい思いをさせてしまいがちだ。
個人に型破りを強いるのは難しい。
だから、自らの意思で型を破ろうとする人がいればなるべく叩かないほうがいい。型破りな人は叩かれてもやっぱり型破りであり続けるだろうが、活躍の場を求めて外国に出て行かれてしまうと、国や社会にとっては損失じゃないかね?
また、どうせ大人になればたいていの人は型にはまるものなので、子供のうちから型にはめようとしないほうがいい。
体制主義と個人主義って、このあたりで矛盾しなくなる。体制の繁栄の本質を理解するときに、体制主義者は同時に個人主義者ともなるだろう。
私は個人主義者なんだけど、最近、自分が体制主義者を兼ねていることに気が付くようになった。
震災の日に寄せて。
あの阪神淡路大震災からまもなく12年になります。
早いものだな・・と思う反面、僕自身の心に残った爪あとは今も時々疼くような気がします。
年末のルミナリエの会場で、あの音楽を聴くとやけに涙がでてしまうのも、やはり、そのせいでしょうか・・
あの震災をナマで体験した多くの方々が多分同じ思いだと思います。
いや、僕よりももっとダイレクトに震災を味わった方々の心の中にあるものは容易には溶け出さないでしょうね。
さて、あの震災のあったそのとき、雪の積もる北陸で1人の少年が心を痛めていました。
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地震の神戸
赤んぼうに、お湯もってったり
赤んぼうにミルクもってったり
俺のとこのも
今度な、
赤んぼうが生まれるねんや
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地震がたくさんおこるのは
おまえらいいかげんにせいと
地球が怒っとるんやと
思っとるねんな
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日本中のみんな、
悲しみでいっぱいやから
俺、勉強も ようできん
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これは、当時石川県に住んでおられた原田大助さんが書かれたものを、彼が通っていた養護学校の教諭、山元加津子先生が、彼の詩や絵に眠っている素晴らしさを世に知らしめるために共著の形で出版した「さびしいときは心のかぜです」(樹心社)という本の中にある作品からの引用です。
山元先生は、障害というのは実はただの違いであって、それは数学が得意であったり、体育が好きであったり、方向音痴であったり、背が高かったりするのと同じような「違い」あるいは「個性」のひとつであり、決して差別などされる云われも無いし、それぞれがみな、生きているということの素晴らしさを、本当は社会全体がしっかり見つめていくべきなんだというような・・運動を一生懸命にされておられる方です。
(山元先生と先生の仲間である「たんぽぽの仲間たち」についてはホームページご参照ください)
僕ら大人というものは時として単純な話を難しく、そしてわざと複雑に捉えてしまう癖があるのではないでしょうか・・
僕が原田大助さん(以下、大ちゃんとお呼びしますね)の作品を知ったのは、僕がどうにも行き詰まってしまって、本当に生きる気力すら無くしたそのときでした。
パソコンの検索欄に「さびしいとき」と打ち込んでいました。
今思えば、そのまま進めば簡単にネット詐欺にでも引っかかる状態だったと苦笑するしかないのですが、そのときの僕は幸運でした。
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さびしいときは 心のかぜです
せきして はなかんで
やさしくして ねてたら 一日でなおる
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大ちゃんのこの詩に出会ってしまったのです。
思わず、笑ってしまい、そして次の瞬間にはすごく楽になってしまいました。
この大ちゃんと言う人は・・
すごく端的に、すごく直感的に物事を捉え、そして見事にストライクゾーンに直球を投げこんでくるような気がしました。
(その後、僕は山元先生とネットを介してお付き合いさせていただくようになり、先生の活動の素晴らしさも目の当たりにすることになるわけです)
僕の心を癒してくれた大ちゃんですが、実際の大ちゃんはゲームに夢中になるようなごく普通の少年だったそうです。
さて、その大ちゃんは震災の悲しみに続けて、震災で破壊された神戸の町がまるで戦争にあったようにもみえたのでしょうか・・
戦争のことへと大ちゃんの詩は続いていきます。
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何でこんなに
心の中が地震や戦争で一杯になるんやろ
えらい人
なんとかしたり
(この詩を読んだときは、あの震災の報を受けながらホテルオークラで朝食会を平然と行っていた、あの、のんびりした首相の顔を思わず思い浮かべてしまいました)
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戦争は
地震じゃないから
やめられるはずやろ
(大ちゃんの怒り、すごくシンプルで、すごくストレートです)
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戦車と兵器と
ピストルと・・・・
いらんもん
何で つくるんやろ
(唸ってしまいます。僕らに欠けているのはこのシンプルさ・・)
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戦争に俺、行こうかな。
戦争に行ったらな
えらい人に
「みんな どうして戦争やるんや?」って
きいたるわ。
みんな きくの忘れとるみたいやから
(ドキッとしました。みんな忘れているのですよ。本当に屁理屈ばかりこねくり回して・・)
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戦争にいくと
かあちゃんと わかれなあかん
好きな人と 離れないかん。
自分のためとちがうのに
変な話や
(最近では「愛する人を守るため」というようなキャッチフレーズで戦争美化が進んでいますね・・変な話や)
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僕らは、本当はもう少しシンプルになった方が良いのではないでしょうか?
嫌なものは嫌、怖いものは怖い、変なことは変・・
そこに、分けのわからぬ屁理屈をこねくり回す必要がどこにあるのか・・
大ちゃんの詩を読むと、はっと我に帰る自分が、いつもあるように思います。
最後に大ちゃんの詩で僕の好きな句を・・
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やさしい心は
水色なんやで
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