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素朴な善意が生んだ国防婦人会
 昭和6年の12月13日の朝日新聞(大阪)・・『渡満の井上中尉婦人、紋服姿で端然自刃す 「死んで皆様をお守りします」と健げな遺書を残して』

 数え年21歳、新妻、井上千代子が、夫の出征前夜に「後顧の憂いなく、お国の為に働いて下さい」と自刃したのです。何ともやり切れぬ話ではあるのですが、これには別の意味も合ったろう・・(そう考えるのが自然)と思うのですが、しかし、一躍、英雄になった井上中尉は、予定通りそのまま満州へ出征していきます。(翌年夏には、この人は平頂山事件・・住民3000名虐殺事件の指揮官の1人となります)

 今の二十歳前後の女性が、いかに思いつめようとも、こういう行動をとるかどうか・・遺書にはこう書かれていたそうです。「私の御主人様、私嬉しくて嬉しくて胸が一杯で御座います。何とお喜び申しあげてよいやら、明日の御出征に先立ち嬉しくこの世を去ります。何卒、後のことを何一つ御心配下さいますな」

 この話は国民の意思統一を図ろうとしていた軍部にとっては非常に都合が良く、各新聞社は「美談」として報じたようです。また、2社から映画化されているそうです。

さて・・この事件に接した人の中に、安田せいと言う女性がありました。
彼女は、この夫婦の媒酌人でもあったわけですから、その驚きたるや普通ではなかったでしょう。ただ、自殺の真相は一切明らかにされることなく、軍国美談に人々が酔いしれている・・

 その中で、二人と近しい存在だった安田せいは、「千代子さんの尊い死をこのままにしてしまうわけにはいかない」と、強く感じたようです。実は、この話の舞台になっているのは、僕自身が少年期をすごした大阪市港区市岡、築港であり、ちょっとした縁のようなものを感じています)

 さて、この安田せいの夫は言わば軍国成り金でしたが、深い思いやりを持った庶民的な人柄だったようです。夫妻には一般の家庭よりも余裕もあり、大阪港・築港から次々に出征する兵士たちへの、せめてもの慰めにと、千人針や湯茶の接待をするようになります。

 けれども、まだ、日本国内では戦争への実感が涌かない人が多く、彼女たちが道端に立って千人針を勧めても、多くの婦人は無視をして通り過ぎたと言われています。「何とかしなければ・・」国家火急のおり、彼女には無関心が敵に見えたことでしょう。男たちが戦いに行くのに、女は何もしなくて良いのか・・そういう必死の思いだったことでしょう。

 安田せいは、婦人会で知り合った三谷英子、山中トミにその思いを語ります。3人は意気投合し、市岡周辺の婦人たちにも声を掛けていきます。さらには、大阪港で出征兵士の見送りをするときに親しくなった軍や警察関係者にまで、思いをぶつけていきます。

昭 和7年、3月、市岡第5小学校において「大阪国防婦人会」が結成されました。井上千代子自刃のわずか3ヶ月後のことです。「国防の完全を期するには、銃後の婦人が男子と一致協力しなければならない」と叫び、「国の守りに台所から家庭から奮い立て」と言う誓いを立てました。

 余談ですが、この日の参加者は50名ほどでしたが、翌日の大阪朝日新聞だけは「250名」が参集したと報じ、事実を報じた読売新聞とのきわどい立場の差を見せ付けています。。このあと、朝日新聞の重役が国防婦人会の相談役に据えられるようになり、朝日新聞はこと国防婦人会についてはわざと、好意的な報道をするようになります。

 ようやく世間の注目を集めるようになった彼女たちの活躍は、波に乗っていきます。高射砲型の募金箱を作り、人目を引くようにもなります。婦人たちの制服はかっぽう着とタスキがけでした。これは、台所から駆け出してきたイメージそのままで、当時の主婦たちにとっては、扱いやすい服装でもあったのでしょうね。また、出征する兵士や傷病兵からはお母さんのイメージに見えたことでしょう。

 日中戦争が激化の一途をたどり、出征兵士の見送りがどんどん多くなっていきます。本当は人間としての本能から、自分の子供を決して危ういところには出したくない筈の婦人たちは、こうして戦争に加担していきます。

 出征した人の中には、多くの同僚が、かっぽう着の今で言えば「見送り隊」に感謝しているのに対し、戦争が怖くて怖くて仕方のない方々もおられました。その方々の中には、彼女たちの機敏で手厚いもてなしを、「優しい顔しながら男を戦場へ送り付ける」と、苦笑していた人もあったようです。

 当時、銃後の女性の組織として愛国婦人会、大日本連合婦人会がありましたが、安田せいの作り上げた国防婦人会は会費も低廉であり、何より運動が地に足つく感じでしたので、爆発的に広がっていきます。軍部の推薦もあり、2年後の年末には全国で123万人もの巨大組織になっていきます。

 戦争は男がするもの・・女は家庭を守るもの・・それまではこういうイメージだったことでしょう。その枠を超えて、国防婦人会は多くの婦人を戦争へ加担させていきます。
女性の本能である命を守るこは捨て去り、国家主義の中へ取り込まれていきます。

 けれども、当事者たる女性たちには単純な使命感があっただけであり、彼女たちがしていたのは悪いことでもなんでもなく、現場を見る限りは人道的な見地に立ったものであったのでしょう。ただ、そうすることで、自分達が実は戦争を推進するエネルギーのひとつになってしまっていた・・

 家庭に縛られ、外に出ることのなかった女性たちが、軍事政権下、堂々と外を闊歩し始めた。その事は評価されても良いかも知れません。ただ、その事で、本来、女性が止めねばならない筈の、戦争への推進力になってしまった。

 大勢で何かをすることで、社会に役立っている安心感と、活動している充実感は得られるでしょう。でも、その先に何があるか・・国防婦人会の人たちを罪に問うのは時代性を考えると酷であるようにも感じますが、教訓としてこの事例を語り継がねばならない・・とも思うのです。

さて、その国防婦人会は、結局、軍部の傘下組織となり、軍により、「宣言6ヶ条」が作成されます。

1・・世界に比なき日本婦徳を基とし益々之を顕揚し悪風と不良思想に染まず国防の堅き礎    となり銃後の力となりましょう。
1・・心身ともに健全に子女を養育して皇国の御用に立てましょう。
1・・台所を整え如何なる非常時に際しても家庭より弱音を挙げない様に致しましょう。
1・・国防の第一線に立つ方々を慰めその後顧の憂いを除きましょう。
1・・母や姉妹同様の心を以って軍人及び傷痍軍人並びにその遺族、家族のお世話を致しましょう。
1・・一旦火急の場合慌てず迷わぬ様、常に用意を致しましょう。

 国防婦人会は大戦末期、すでにかっぽう着よりももんぺでなければ活動も出来なくなり、発足以前からの3団体と統合、軍の下に置かれましたが、やがて大都市の空襲、敗戦に至り、その活動は消えていきます。

 詳しくは第三文明社から反戦出版シリーズ、「かっぽう着の銃後」が出ていました。これをお読み下さればと思います。既に廃刊になっていますが、Amazonで購入することが出来ます。

また、復刊ドットコムでは復刊への投票も受け付けています。普通の主婦たちが、いかにして戦争に組み込まれていったかを知る重要な資料です。復刊ドットコムへの応援もよろしくお願いいたします。

僕が、何故、これをエントリーにしているか・・ごく普通の主婦たちが、充実感を持って、結果的に世論を大きく戦争へ加担させる力となったこと・・・彼女たちのしたことは、決して悪いことではない。彼女たちは、戦争に行く前の兵士の不安を取り除き、傷痍軍人を身を粉にして癒し、戦死した兵士の家では家族を慰めました。

 それは、裏を返せば傷痍軍人や戦死遺族という、軍部に不満を持ちやすい人たちを懐柔すると言う形で、軍事政権をより強固にしていった・・部分でもあります。ここで言いたいのは、良いことをしている筈の、普通の人が悪に加担することの怖さです。

 第二次大戦で誰が悪かと言う論争は、ここでは避けたいと思うのですが、しかし、命を奪う方向へ一国を持っていこうとするその思想を、単純に悪であると仮定した場合、まさに、国防婦人会が一生懸命につくした姿は、善人による悪への加担と言うことになると思うのです。(先にも書きましたが、だからと言って、彼女たちの責任を問うつもりはありません)

 こじ付けと思われるかもしれません。知らず知らずのうちに権力のシステムに組み込まれていた・・一人一人が考えながら進まねばなりません。
充実感や、横のつながりだけで運動を進めるとどういう事になるか・・

 世の中に正義なるものは存在しません。もしあるとすれば、他者の生命を奪う行為を押しとどめることだけでしょう。その正義の掛け声に躍らされ、いつしか自分達が描いていた方向性とまったく違う方向へ国の舵取りが成されていこうとするのに、それを声に出すことも出来ない民衆の城が・・結果的にどういう事を生むか・・

今一度、考えていかねばならないのです。
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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済


全体の安定とアラインメント ― 「わがままな彼ら」および終論

参照: http://myp2004.blog66.fc2.com/blog-entry-5.html //

小泉構造改革の間、道路公団の藤井当時総裁とライブドアの堀江社長がそれぞれ、代表責任者の地位を失った。

藤井はLawful Egoistの典型であり、堀江はChaotic Egoistの典型だった。

藤井は道路公団に巨額の赤字を負わせたこと、堀江は粉飾決算で株主に割高な株を買わせたことが問題視されているようだ。

それらの問題は容認されるべきではない。しかし、社会を構造という観点から捉えるならば、「わがままな彼ら」にも社会で果たした役割があった。

藤井が躓いたことで、官僚主導の政治を改革し、体制を縮小しようとする小泉純一郎にはより一層の支持が集まった。体制の肥大化に歯止めがかかった。

堀江が躓いたことで、行きすぎた規制緩和に社会は懸念を示すようになった。経済製作における過度な放任主義に歯止めがかかった。

社会で様々なアラインメントがそれぞれある程度の力を持ち、それらの力の均衡で社会全体が中道にある時、それぞれのアラインメントが社会の発展と繁栄に貢献する。「わがままな彼ら」もまた例外ではない。


戦前戦中の日本、ドイツ、イタリアが国際社会の鼻つまみ者であったこと、恐怖政治時代のソビエト連邦と文化大革命時代の中国がそうであったこと、そして現在の北朝鮮がそうであることには、アラインメント均衡の崩壊という共通点が見られる。

アラインメントの均衡が崩れた社会は、アラインメント均衡を取り戻すか、体制を壊して立ち直るか、戦争を始めるか、いずれかの道を辿ることになる。

主権者としての国民が平和維持を望むならば、まずは自国の、そして次に周辺国や同盟国のアラインメントの均衡や不均衡を意識するべきだ。アラインメント均衡に導く国内政策や外交政策は実りが大きい。

また、全体が中道にあるときでも、Neutralsが強すぎることによる中道は危うい。厚すぎる無党派層が現在の日本の懸念材料だ。政治家、市民運動家、そして一部の報道関係者には、自らが社会においてどのようなアラインメントやクラスを代表するのか、という政治の原点を見つめなおし、無党派層をこつこつとどこかに吸収して欲しい。

by Lexar, also known as Leoneed

(今回の一連のアラインメント論はこの記事で終わりとなる。Lawful-Chaotic軸、Altruist-Egoist軸しか詳しく取り上げなかったが、アラインメント軸にはPan-Pongo軸やCommunist-Capitalist軸など、他にも多数存在する。)



8・15 丸山眞男氏が亡くなり、10年経った
丸山眞男氏が亡くなって、今日で丁度10年になった。

今年はいくつか丸山眞男氏に関する書籍や文章が発表されたが、その中で、苅部直「丸山眞男―リベラリストの肖像」(岩波新書)と小熊英二「丸山眞男の神話と実像」(KAWADE道の手帳「丸山眞男 没後10年、民主主義の<神話>を越えて」所収)を読んだ。

丸山眞男氏は、高校3年生の時、治安維持法で検挙された。父の友人であった長谷川如是閑が弁士として名を連ねていた唯物論研究会の講演会にたまたま参加したからだ。
留置所で、「これで俺の一生はもうめちゃくちゃだ」と思い、不覚にも涙が流れたという。
後年、丸山眞男氏は回想する。「俺はだらしない人間だ。いざとなると、平常、読書力などを誇っていたのが、ちっとも自分の支えになっていない」と。

東京大学を卒業後、やがて東大の助教授として日本政治思想史の研究に着手。しかし、30歳で徴兵の命を受ける。東京大学の教授・助教授が徴兵されるのは極めて異例なことだった。恐らく、戦前に検挙されたことが影響したのだろう。
幹部候補生として志願すれば将校に任用される可能性もあったが、丸山眞男氏は「軍隊に加わったのは自分の意思ではないことを明らかにしたい」として、二等兵のまま朝鮮の平壌へ送られた。
そして、日本に帰国、広島で被爆する。被爆した事実を公表したのは戦後20年も過ぎたときのことだった。
戦後、結核で悩まされたのは、もしかしたら被爆の影響かもしれなかった。しかし丸山眞男氏は被爆者手帳の交付を申請することはなかった。
死去の時、「香典類は辞退する。もし、そういった性質のものが事実上残った場合には、原爆被災者に、あるいは原爆被災者法の制定運動に寄付する」との遺言をのこした。


戦後の1946年に「超国家主義の論理と心理」を発表する。
日本人の精神構造について、自身の軍隊で受けた「抑圧の委譲」の経験を踏まえ、凄まじいほどの問題意識で切り込んだ論文だ。

戦時中の軍部を始めとする政府指導者たちの主体性のなさ。
「天皇の臣下である」という思想を中心にすえたところで、全てが免責される。

『東条といふものは一個の草莽の臣である。あなた方と一つも変わりはない。ただ私は総理大臣といふ職責を与へられている。ここで違ふ。これは陛下の御光を受けてはじめて光る。陛下の御光がなかったら石ころにも等しいものだ。』(当時の総理大臣・東条英機の言葉、昭和18年2月6日)

ナチスドイツとの決定的な違いがここにある。
恐ろしいばかりの冷徹な思想を掲げて、ホロコーストを実行した、その責任の所在は明確だ。
しかし、日本では事情が異なる。当の天皇自体、神話という実態のない伝統の権威を背負っている。
ここに無責任体質が生まれる。肝心要の意思決定の責任が誰にあるのか、全くもって見えてこない。

『ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているに違いない。然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起しながら、我こそ戦争を起したという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何者かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するのか。我が国の不幸は寡頭勢力によって国政が左右されていただけでなく、寡頭勢力がまさにその事の意識なり自覚なりを持たなかったということに倍加されるのである。』

『政治は本質的に非道徳的なブルータルなものだという考えがドイツ人の中に潜んでいることをトーマス・マンは指摘しているが、こういうつきつめた認識は日本人には出来ない。ここには真理と正義にあくまでも忠実な理想主義的政治家が乏しいと同時に、チェザーレ・ボルジャの不敵さもまた見られない。慎ましやかな内面性もなければ、むき出しの権力性もない。全てが騒々しいが、同時に全てが小心翼翼としている。この意味に於て、東条英機氏は日本のシンボルと言い得る。』
『彼らに於ける権力的支配は心理的には強い自我意識に基づくのではなく、むしろ、国家権力との合一化に基づくのである。従ってそうした権威への依存性から放り出され、一個の人間にかえった時の彼らはなんと弱々しく哀れな存在であることよ。だから戦犯裁判に於て、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する。』


後年、丸山眞男氏は日本の精神史を解明するのに「執拗低音(バッソ・オスティナート)」という音楽用語を使用する。
「執拗低音」とは、簡単に言うと、
 『上声部はどんどん変化するのに、
  低音部は同じ旋律が繰り替えされている。
  その低音部の旋律は主旋律ではないのだが、
  常に上声部へ影響を与え、
  気づかないうちに上声部は
  その低音の旋律に同化してしまっている』
とでも言えようか。
日本に流入した儒教や仏教、西洋思想も気づかないうちに日本流に換骨奪胎されてしまう。戦後の民主主義も同様に。日本の精神風土を知るには、そうした「変化のパターン」を見ることが必要で、その中に、日本の精神の底流部分「執拗低音」が見えてくる。

では、その「執拗低音」とは具体的に何なのか。「歴史意識の古層」という著述では、記紀などを詳細に分析し、それを
 『つぎつぎになりゆくいきほひ』
という言葉で表現している。
 「なる」⇒自然発生的に生まれ生まれていく、作り手という主体への問いかけは一切ない、主体がない
 「いきほひ」⇒天下の大勢とかいうように世の中の流れ
そうしたものが、「つぎつぎ」に繰り返される。
これはさながら絵巻物のようなものだ。
絵巻物。
 読んだところ(いま)だけが見える。
 読み終わったところ(過去)は巻き取られ、
 これから読むところ(未来)はまだ巻かれていて見えない。
過去に学ぶこともなく、未来のビジョンを描くこともなく、ただ今の流れ、勢いに合わせて生きていくだけ。

こうした日本の精神風土を氏は鋭く指摘している。

丸山眞男氏がこの世を去り10年。
もう一度、氏の所説を学ぶ必要がある。
昨今の情勢を見るに就け、そう強く思えてならない。

それにしても、氏が今生きていたら、今の日本の状況をどう感じるだろうか?

by 兵士シュベイク


テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済


「ゲド戦記」に重なる、日本のいま
ジブリの「ゲド戦記」を観た。映像も音楽も美しく、楽しめる。
それに、ハイタカ(ゲド)がカッコいい(笑)
 
世界の均衡が崩れつつある時代。父王を刺し殺した少年アレンは、大賢人と呼ばれる魔法使いハイタカ(本当の名前はゲド)と出会う。ハイタカは世界の均衡が崩れている原因をさぐり、それを取り除くために旅をしている最中だった。一方アレンは、自分の心の闇が生んだ影におびえ、逃げ続けていた。
 
アレンの心の中そのままに、二人がたどり着いた街・ホートタウンはすさんでいた。そしてアレンは、世界の均衡を崩している張本人である魔法使いクモから、生きる不安から逃れる方法があると告げられる。生の危うさと生きていく不安に耐えられないアレンは、クモに惑わされてハイタカを裏切る。
 
アレンの姿に、今の日本人の姿が重なる。将来、老後、犯罪、事故、教育、災害。いま日本人の頭上には、あらゆるものが不安の連鎖となってのしかかっている。人々はおびえ、それを一瞬にして消し去ってくれるものを求めて右往左往している。そして強い指導者に依存しようとしている。
 
不安の正体と向き合うことは難しい。この世に絶対のものはないこと、自分もまた死すべき者であることを直視しなければならないからである。自分の安全を絶対に保証してくれるものがないことは、知りたくない現実だ。しかし、それが現実なのである。

ハイタカはアレンにこう語りかける。「我々が持っているものは全て、やがて失われるものばかりなのだ」。思わず涙が出てしまった。
 
長男・宮崎吾郎氏が監督ということで損をしているようだが、戦後日本の歩みを背景に社会性のあるアニメをつくるジブリは、日本の大切なブランドである。そのメッセージは、隣国・韓国の若者たちをも魅了してきた。私はジブリを応援している。表現する哲学を失った日本アニメは今、危機に瀕しているからだ。by G2

 

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