村上氏率いるファンドがその引き金となったとはいえ、関西の大手民鉄である阪神と阪急が経営統合し、阪神を阪急HDの傘下におさめることが事実上決定しました。
僕は経営面、経済面での事は分かりかねますが、戦後初と言われる大手民鉄の経営統合がどのようなものであるかを考えていきたいと思います。
さて、大手民鉄の経営統合は本当に戦後初か・・
確かに、現在の大手民鉄16社と言う枠の中では始めてなのですが・・
大手民鉄の定義とはどんなものなのでしょうか?
一応、国土交通省などでも、他の民営鉄道とは分けて統計を取られていますが、明確な定義はないようです。
で、経営規模と輸送量、などで決められることになっているようです。
明確な定義のない大手民鉄と言うくくりですが、この枠に近い鉄道が過去において経営統合や他社の傘下になった事例はいくつか存在します。
戦後のことだけ抜き出してみますと、神戸電鉄が阪急傘下にはいったこと、京都と奈良を結んでいた「奈良電鉄」が近鉄、京阪双方からの激しい駆け引きの末、近鉄に吸収合併されたことくらいが上げられるでしょうか・・
神戸電鉄は山間部の鉄道であり、建設費、軌道の補修費、車両の保守などの経費が他社に比べると大きく、沿線は人里少なく、カネはかかるものの、儲からない電鉄でした。
しかし、高度経済成長時代、神戸都心に近く、格好の住宅地として脚光を浴び、この時期に兵庫県財界の勧めもあって、阪急がこの電鉄の事実上の親会社となり、積極的に投資、沿線の開発、鉄道の近代化を推し進めたことは良く知られています。
一方の奈良電鉄は、近鉄に吸収合併された後、近鉄京都線となり、小型規格を近鉄の他の路線に合わせる改良や、スピードアップ、近鉄特急の乗り入れと言った改善を次々に施され、今や近鉄の通勤幹線のひとつとなっています。
阪急HDによる阪神への資本参加は、そのいきさつを見る限り、会社が消えて線路が残った「奈良電鉄」型ではなく、より大きな資金を効果的に投入できる「神戸電鉄」型であることは明らかだと思います。
ただ、このブログでも、旧ブログの過去ログに残っているように、「阪神電鉄」や「投資ファンド」二は何度か触れてきました。
今回、村上ファンドによる阪神の株買い占めが起きた時点で、関西の方の中で少なくない方が、阪急との共闘に出る可能性を認識していたように思えます。
と言うのは、両社は営業的には強烈なライバル会社であり、社員教育でも相手方を徹底的にライバルとして叩き込まれると言うこともありながらも、反面、路線を接する鉄道同士と言うことで、かなりの部分で協力関係にあったことも事実です。
かつて、阪急がバブル期の過大な投資が裏目に出て苦しんでいたとき、阪急グループの保有する山陽電鉄などの株を阪神が買い取り、わずかでもこれを救ったと言う過去もありますし、神戸高速鉄道では両社列車が同じホームに発着し、ダイヤなどは山陽電鉄を含め、共同で組み上げています。
また、現在、高速神戸駅以西の山陽、神戸電鉄線から、両社の梅田までの定期であれば、それぞれの梅田駅どちらでも乗降が出来るようにもなっています。
今後、同じグループ内の路線と言うことになれば、利用者にとってはこれまでの垣根を越えたサービスが期待できるわけであり、またある意味では神戸高速鉄道、山陽電鉄、神戸電鉄、神戸市営地下鉄も含めた神戸市内の交通網の再編も具体的に話題に上るようになるでしょうね。
この点では昭和43年に神戸高速鉄道を開業させ、相互乗り入れをしながら、各社間の縄張り意識が強すぎ、いつまでも相互乗り入れが改善できなかった歴史的経過を省みるまでもなく、関東におけるまさに百花繚乱のような鉄道会社の垣根を越えたような相互直通運転は、関西の民鉄がこれまでなかなか実現できなかった分野でもあるだけに、期待はしたいところです。
すでに、阪急神戸線と神戸市営地下鉄西神山手線との直通化も話題に上っており、こういう事案の実現の可能性が少し高まってきたと言うところでしょうか・・
ただ、問題は、阪急が抱え込んでいる巨額の負債であり、はたして、利用者や鉄道ファンが思うような改善が可能かどうかは心もとない部分も確かに存在しています。
阪急が自社の価値を高める為だけに阪神の優良資産を使う・・そういう事になるとそれこそ、これまで阪神を支えてきた住民やファン、から見放されることになり兼ねません。
何と言っても、両社の間には強力なJRという路線が存在し、たいていの場所でJR駅までは徒歩、もしくは自転車で楽に行ける状態なのですから・・
しかし、考えても残念なのは、阪神として長期戦略としてこの経営統合を進めたわけではないことで、村上氏による企業買収を防衛するその時の渡りに船・・的発想であるように思えるのが情けないところではあります。
阪神経営陣には100年を越える同社の歴史も、先駆の技術者たちの思いも、反骨精神を貫いてきた歴代の経営者たちの苦労も見えなかったように思えてならないのです。
それはそれとして、実は阪急と阪神の合併は、今回が初めての話ではありません。
戦時に陸上交通事業統制法による統合の話も出ていましたし、戦前にも二度、そういう話が出ているのです。
一度目は阪急が箕面有馬電気軌道として開業した直後、すでに盛業中だった阪神に乗客が少なく苦労していた箕面有馬を合併してもらうと言うもの、もうひとつは、神戸線が開業し、すでに阪神と並ぶ企業となった阪急が、阪神と対等に合併しようとしたもの・・
いずれも、阪急創業者の小林一三が、その師匠とも言える岩下清周からの指示で、動いていますが、どうも、小林氏は、積極的と言うよりは消極的だったような気がします。
小林一三は手塩にかけた電鉄を手放したくなかったのでしょうね。
岩下清周と言う人物はかつて大阪で独特の地位を築いていた「北浜銀行」の頭取だった人物ですが、阪急、京阪、近鉄など関西の電鉄の創業に大きな関わりを持った人物です。
この人は、大鉄(今の近鉄奈良線)工事の際、過剰な融資したとして強く批判され、結局は失脚してしまうわけですが、この岩下氏の持論が「関西電鉄は一つ」でした。
今回の、阪急・阪神の合併と言う話には様々に複雑な思いがよぎりますが、阪急が阪神を吸収するとも言えること、ある面ではこれが関西電鉄の再編を促す可能性もあることを考えると、岩下清周、小林一三の両巨人の思いもあわせて実に・・感無量の部分も確かにあるのです。
