参照 http://myp2004.blog66.fc2.com/blog-entry-5.html //
上記参照記事内で、私は
「愛国心」を唱えるおっさん(LA)も、「萌え ?」とつぶやくアニメオタク(CA)も歓迎する。
と述べた。
日本語での「愛国心」は英語の"statism", "nationalism", "patriotism"の全てを含んでいる。「国」が"state", "nation", "country"のいずれも意味しえるからだ。
ゆえに、日本で「愛国心」を唱える人々の間では、思想の相違点を、あまり速やかには認識できない。太平洋戦争に到った日本の社会には、体制を暴走させる可能性が高い構造が存在し、その構造に日本語における「愛国心」の曖昧さは少なからず寄与した。意味が曖昧な「愛国心」はNeutralsを巻き込みやすい。
さて、少なくとも私のように自由主義から平和主義を発想する個人にとって、今の日本の社会に体制の暴走を抑制できる構造があるかどうかは重要な関心事で、暴走抑制構造に寄与する社会現象として、「愛国心」に対抗できるのは「萌え」だと思われる。
「萌え」は何らかの対象への好意的な感情の高ぶりを表す俗語で、各個人にとっての「萌え」が意味するところの内容があまりに多様であるため、「萌え」を正確に定義することは難しいし、全体像を掴もうとする試みの結果はたいてい虚しい。これ以降、私が語る「萌え」は「萌え」の一局所である。
「萌え」という言葉は作中まったく出てこないが、綿矢りさの『蹴りたい背中』は萌え文学だ。内容は授業中に女性ファッション誌を堂々と読んでいるオタク少年にいつしか萌えることになる少女の話だ。この少女の台詞に「どうしてそんなに薄まりたがるんだろう。同じ溶液に浸かってぐったり安心して、他人と飽和することは、そんなに心地よいもんなんだろうか」とあり、彼女が自由を求める人間であることが示されている。
2chで有名になった「萌え」出来事をまとめた『電車男』が出版され、映画化、ドラマ化された。電車男はエルメスに萌えることになったのは、エルメスが電車内で酔っ払いに絡まれて困っていたからだ。その後、エルメスと交際しようとしていろいろ悩み困る電車男に対し、掲示板仲間たちが萌えていく。
三浦綾子の『氷点』に近い主題を、SFとロウファンタジーの世界観で展開した漫画『エルフェンリート』も典型的な「萌え」作品だ。幼少期の記憶を失った少年と多重人格の少女の命懸けの崖っぷち恋愛未満の関係を中心に、差別、迫害、救いを描いている。少年は寂しそうな少女を放っておけなかった。
広く話題になる「萌え」の根底には、自由な人間が自ら選び取った対象についての何らかの使命感がある。「愛国心」には「自ら選び取る」という前提はなく、日本人なら日本を愛して当然だというのが典型的なロジックだが、「萌え」と「愛国心」は使命感という根っこを共有している。
だからこそ、「萌え」は「愛国心」は心の同じ隙間を生めることができ、「萌え」は「愛国心」に対抗し、それを抑制できるはずだ。
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