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日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


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日本代表チームに見る社会の縮図
日本代表チームに同行した新聞記者が、やはりドイツに来たJ1監督の言葉を伝えている。
「日本代表チームの内部は幾つかのグループに分かれていて、
表面は仲良しでも、意見を言いあうことも主張することもない。
まるで今の学校みたいだ。教育から変えないといけない」。

すご?くわかるんですけど、私。
それって、今の日本社会そのものよ。
私の実感では、そういう感じになったのは70年代から。

全共闘が崩壊し、教育の場から社会的関心が駆逐され、偏差値体制が確立された70年代半ばにはそうなってた。
80年代には、社会に関心を持ったり意見を言ったりするのは「ダサい」行為になった。政治家が「教科書で『侵略』を『進出』と言い換えろ」と、盛んに圧力をかけていた頃だ。
朝日がそれを記事にした年にはそういう事実はなかったが、他の年にはあった。

この時期に、歴史意識は完全に崩壊した。
歴史意識というものがいかに重要かわかろうというものである。
思考力そのものを奪うのだ。

かくして体制の思惑どおり、生活文化の中から社会が消えた。
人とつながり、意見をいい、社会を築いていくことができなくなったのだ。

しかし、歪みは思いがけないところに出てくるもの。
これからもっと出てくるだろう。
根が深いからね。

この歪みを是正するのは容易なことではない。
しかも、是正する気が全くないし。
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テーマ:2006年FIFAワールドカップサッカー - ジャンル:スポーツ


映画「パッチギ!」と個人的な想い出

先日、ずっと観たかった映画「パッチギ」をDVDで観ました。


いい映画ですね。
「人類は平和であるべきだ」といったような声高なスローガンじゃなく、
主人公の康介を動かしていたのは、キョンジャへの愛情だった。
彼女への愛情がありながら、
しかし越えられないお互いを隔てている大きな川の存在を感じて悔し涙を流し、
そして最後に「パッチギ」、つまり突き抜けていくわけですね。


北朝鮮、と言うと僕に一つの想い出があります。
学生時代、中国の北京に留学していたのですが、
留学生宿舎の隣の部屋に北朝鮮からの留学生3人がいました。
留学生と言っても、もう十分なおじさん世代の人たちです。
めちゃくちゃ明るくて、歌が大好きで、そして酒飲みのおじさんたちでした。
面倒見が良くて、しょっちゅう宴会を開いていました。僕も時々参加していたのですが、
「勉強はちゃんとやってるのか」「中国語を勉強してどうするんだ」
などと少し説教なんかもされていました。
他にも、世話になっていた日本人の留学生も多くいたようです。


彼らの留学期限が来て、北京駅から鉄道で帰国する彼らを
僕たち日本人留学生数名で見送りに行きました。
彼らの胸には、留学中、一度もつけている所を見たことがない
「キムイルソン」のバッチがありました。
そして、列車に乗って行ってしまった。
本当にドラマそのものの光景を、今でも鮮明に覚えています。
彼らが別れる際にくれた飾りものを、今でも実家で母が大切に飾ってくれています。


僕にとってはの「北朝鮮」とは、
「キムジョンイル将軍様」でもなく、テポドンを向けている(らしい)国でもなく、
底抜けに明るくて、酒飲みで、面倒見の良い、あのおじさんたちなんです。


今、あのおじさんたちはどうしているんだろうか?


by 兵士シュベイク




体制と全体の安定とアラインメント ― 「愛国心」と「萌え」

参照 http://myp2004.blog66.fc2.com/blog-entry-5.html //

上記参照記事内で、私は

「愛国心」を唱えるおっさん(LA)も、「萌え ?」とつぶやくアニメオタク(CA)も歓迎する。

と述べた。

日本語での「愛国心」は英語の"statism", "nationalism", "patriotism"の全てを含んでいる。「国」が"state", "nation", "country"のいずれも意味しえるからだ。

ゆえに、日本で「愛国心」を唱える人々の間では、思想の相違点を、あまり速やかには認識できない。太平洋戦争に到った日本の社会には、体制を暴走させる可能性が高い構造が存在し、その構造に日本語における「愛国心」の曖昧さは少なからず寄与した。意味が曖昧な「愛国心」はNeutralsを巻き込みやすい。

さて、少なくとも私のように自由主義から平和主義を発想する個人にとって、今の日本の社会に体制の暴走を抑制できる構造があるかどうかは重要な関心事で、暴走抑制構造に寄与する社会現象として、「愛国心」に対抗できるのは「萌え」だと思われる。

「萌え」は何らかの対象への好意的な感情の高ぶりを表す俗語で、各個人にとっての「萌え」が意味するところの内容があまりに多様であるため、「萌え」を正確に定義することは難しいし、全体像を掴もうとする試みの結果はたいてい虚しい。これ以降、私が語る「萌え」は「萌え」の一局所である。

「萌え」という言葉は作中まったく出てこないが、綿矢りさの『蹴りたい背中』は萌え文学だ。内容は授業中に女性ファッション誌を堂々と読んでいるオタク少年にいつしか萌えることになる少女の話だ。この少女の台詞に「どうしてそんなに薄まりたがるんだろう。同じ溶液に浸かってぐったり安心して、他人と飽和することは、そんなに心地よいもんなんだろうか」とあり、彼女が自由を求める人間であることが示されている。

2chで有名になった「萌え」出来事をまとめた『電車男』が出版され、映画化、ドラマ化された。電車男はエルメスに萌えることになったのは、エルメスが電車内で酔っ払いに絡まれて困っていたからだ。その後、エルメスと交際しようとしていろいろ悩み困る電車男に対し、掲示板仲間たちが萌えていく。

三浦綾子の『氷点』に近い主題を、SFとロウファンタジーの世界観で展開した漫画『エルフェンリート』も典型的な「萌え」作品だ。幼少期の記憶を失った少年と多重人格の少女の命懸けの崖っぷち恋愛未満の関係を中心に、差別、迫害、救いを描いている。少年は寂しそうな少女を放っておけなかった。

広く話題になる「萌え」の根底には、自由な人間が自ら選び取った対象についての何らかの使命感がある。「愛国心」には「自ら選び取る」という前提はなく、日本人なら日本を愛して当然だというのが典型的なロジックだが、「萌え」と「愛国心」は使命感という根っこを共有している。

だからこそ、「萌え」は「愛国心」は心の同じ隙間を生めることができ、「萌え」は「愛国心」に対抗し、それを抑制できるはずだ。



阪急・阪神の経営統合に思う
村上氏率いるファンドがその引き金となったとはいえ、関西の大手民鉄である阪神と阪急が経営統合し、阪神を阪急HDの傘下におさめることが事実上決定しました。
僕は経営面、経済面での事は分かりかねますが、戦後初と言われる大手民鉄の経営統合がどのようなものであるかを考えていきたいと思います。

さて、大手民鉄の経営統合は本当に戦後初か・・
確かに、現在の大手民鉄16社と言う枠の中では始めてなのですが・・
大手民鉄の定義とはどんなものなのでしょうか?
一応、国土交通省などでも、他の民営鉄道とは分けて統計を取られていますが、明確な定義はないようです。
で、経営規模と輸送量、などで決められることになっているようです。

明確な定義のない大手民鉄と言うくくりですが、この枠に近い鉄道が過去において経営統合や他社の傘下になった事例はいくつか存在します。

戦後のことだけ抜き出してみますと、神戸電鉄が阪急傘下にはいったこと、京都と奈良を結んでいた「奈良電鉄」が近鉄、京阪双方からの激しい駆け引きの末、近鉄に吸収合併されたことくらいが上げられるでしょうか・・
神戸電鉄は山間部の鉄道であり、建設費、軌道の補修費、車両の保守などの経費が他社に比べると大きく、沿線は人里少なく、カネはかかるものの、儲からない電鉄でした。
しかし、高度経済成長時代、神戸都心に近く、格好の住宅地として脚光を浴び、この時期に兵庫県財界の勧めもあって、阪急がこの電鉄の事実上の親会社となり、積極的に投資、沿線の開発、鉄道の近代化を推し進めたことは良く知られています。
一方の奈良電鉄は、近鉄に吸収合併された後、近鉄京都線となり、小型規格を近鉄の他の路線に合わせる改良や、スピードアップ、近鉄特急の乗り入れと言った改善を次々に施され、今や近鉄の通勤幹線のひとつとなっています。

阪急HDによる阪神への資本参加は、そのいきさつを見る限り、会社が消えて線路が残った「奈良電鉄」型ではなく、より大きな資金を効果的に投入できる「神戸電鉄」型であることは明らかだと思います。

ただ、このブログでも、旧ブログの過去ログに残っているように、「阪神電鉄」や「投資ファンド」二は何度か触れてきました。
今回、村上ファンドによる阪神の株買い占めが起きた時点で、関西の方の中で少なくない方が、阪急との共闘に出る可能性を認識していたように思えます。
と言うのは、両社は営業的には強烈なライバル会社であり、社員教育でも相手方を徹底的にライバルとして叩き込まれると言うこともありながらも、反面、路線を接する鉄道同士と言うことで、かなりの部分で協力関係にあったことも事実です。

かつて、阪急がバブル期の過大な投資が裏目に出て苦しんでいたとき、阪急グループの保有する山陽電鉄などの株を阪神が買い取り、わずかでもこれを救ったと言う過去もありますし、神戸高速鉄道では両社列車が同じホームに発着し、ダイヤなどは山陽電鉄を含め、共同で組み上げています。
また、現在、高速神戸駅以西の山陽、神戸電鉄線から、両社の梅田までの定期であれば、それぞれの梅田駅どちらでも乗降が出来るようにもなっています。

今後、同じグループ内の路線と言うことになれば、利用者にとってはこれまでの垣根を越えたサービスが期待できるわけであり、またある意味では神戸高速鉄道、山陽電鉄、神戸電鉄、神戸市営地下鉄も含めた神戸市内の交通網の再編も具体的に話題に上るようになるでしょうね。
この点では昭和43年に神戸高速鉄道を開業させ、相互乗り入れをしながら、各社間の縄張り意識が強すぎ、いつまでも相互乗り入れが改善できなかった歴史的経過を省みるまでもなく、関東におけるまさに百花繚乱のような鉄道会社の垣根を越えたような相互直通運転は、関西の民鉄がこれまでなかなか実現できなかった分野でもあるだけに、期待はしたいところです。
すでに、阪急神戸線と神戸市営地下鉄西神山手線との直通化も話題に上っており、こういう事案の実現の可能性が少し高まってきたと言うところでしょうか・・

ただ、問題は、阪急が抱え込んでいる巨額の負債であり、はたして、利用者や鉄道ファンが思うような改善が可能かどうかは心もとない部分も確かに存在しています。
阪急が自社の価値を高める為だけに阪神の優良資産を使う・・そういう事になるとそれこそ、これまで阪神を支えてきた住民やファン、から見放されることになり兼ねません。
何と言っても、両社の間には強力なJRという路線が存在し、たいていの場所でJR駅までは徒歩、もしくは自転車で楽に行ける状態なのですから・・

しかし、考えても残念なのは、阪神として長期戦略としてこの経営統合を進めたわけではないことで、村上氏による企業買収を防衛するその時の渡りに船・・的発想であるように思えるのが情けないところではあります。
阪神経営陣には100年を越える同社の歴史も、先駆の技術者たちの思いも、反骨精神を貫いてきた歴代の経営者たちの苦労も見えなかったように思えてならないのです。

それはそれとして、実は阪急と阪神の合併は、今回が初めての話ではありません。
戦時に陸上交通事業統制法による統合の話も出ていましたし、戦前にも二度、そういう話が出ているのです。
一度目は阪急が箕面有馬電気軌道として開業した直後、すでに盛業中だった阪神に乗客が少なく苦労していた箕面有馬を合併してもらうと言うもの、もうひとつは、神戸線が開業し、すでに阪神と並ぶ企業となった阪急が、阪神と対等に合併しようとしたもの・・
いずれも、阪急創業者の小林一三が、その師匠とも言える岩下清周からの指示で、動いていますが、どうも、小林氏は、積極的と言うよりは消極的だったような気がします。
小林一三は手塩にかけた電鉄を手放したくなかったのでしょうね。

岩下清周と言う人物はかつて大阪で独特の地位を築いていた「北浜銀行」の頭取だった人物ですが、阪急、京阪、近鉄など関西の電鉄の創業に大きな関わりを持った人物です。
この人は、大鉄(今の近鉄奈良線)工事の際、過剰な融資したとして強く批判され、結局は失脚してしまうわけですが、この岩下氏の持論が「関西電鉄は一つ」でした。

今回の、阪急・阪神の合併と言う話には様々に複雑な思いがよぎりますが、阪急が阪神を吸収するとも言えること、ある面ではこれが関西電鉄の再編を促す可能性もあることを考えると、岩下清周、小林一三の両巨人の思いもあわせて実に・・感無量の部分も確かにあるのです。

阪神の誇る高加速電車


テーマ:社会ニュース - ジャンル:ニュース


村上世彰氏の逮捕と資本主義
逮捕を覚悟した村上氏が開いた記者会見で、こういう質問が出た。
「法を破らなければいくら金儲けをしてもいいという考えには、変わりありませんか」。 この質問に、私は違和感を感じた。
村上氏も「金儲けはいけないことですか」と聞き返した。

また、「私が負けて負けて負け続けていたら、 皆さんに嫌われなかったでしょう」と言った。 その通り。「出る杭は打たれる」のである。

村上氏が法に触れていないとは言わない。
好感を持っているわけでもない。
しかし、こうなってからの追い込み方には、
いつもながら嫌な感じがする。

手負いの動物をさらに追い詰める。
そして、お金儲けが得意でない多数派が溜飲を下げるのである。
しかも村上氏が言ってきたことは、論理的には資本主義の純粋形でもある。

私もお金儲けは全くだめで、お金が全てだとは思っていないが、
そもそも資本主義は利益の追求である。
どの企業も利益を追求している。
企業には許されて個人には許されないのか。
個人の顔が見えたとたん、いつもバッシングになる。

お金儲けを下品だと思うなら、
資本主義の改革に取り組むべきではないか。
資本主義それ自体には疑問を持たないのか。

私たちはどういう経済システムをつくりたいのか。
問題はそこだ。
個人へのバッシングで問題を曖昧にしないようにしたいものだ。by G2

テーマ:村上世彰 - ジャンル:ニュース