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日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004


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それぞれの15歳
あれは看護学校の実習病院でのこと。

身体全体に麻痺があり、言語障害、視覚障害(失明)のある15歳の男の子の看護(といっても、ほとんど見学)につきました。
彼は中途障害で、シンナー中毒によるものでした。
指導看護師からは『シンナーで脳がドロドロに溶けちゃったのよ』と聞かされました。

15歳で、身体は不自由、言葉も上手くしゃべれない、目は完全に光を失い、今、彼は何を思っているのだろう?
そんなことを思いました。

ロレツの回らないか細い声で何かを伝えようとするのですが、私は耳をそばだてても、彼が何を言っているのか理解できず聞き返すばかりでした。
『つ・ん・ぼ』
その言葉だけ理解できたなんて、何とも皮肉…

私は彼と真正面から向かい合いたかった。
『そうだよ?私はつんぼだよ?ごめんね』
と言いながら会話を続けようとしたのですが、彼の手がゆっくりと私の目の前を通り過ぎました。

いったい彼は何をしているのか?
すぐには理解できなかったんですが、彼の手はわずかに拳を握っていました。
(ああっ私を殴ろうとしていたのか!)
彼の手は脳の障害のため、本当にスローモーションのようにしか動かせなかったんです。

いわゆる不良だった彼。
怒りを表すにも、今はスローにしか表せない彼。
何とも悲しくなりました。

彼はなぜ、こんなことに…
彼のお母さんという人が面会に来ているのを見て、何となく察するものがありました。
綺麗にというか派手に着飾った女の人が面会に来て、少し言葉をかけただけですぐに帰ってしまい、親戚の人か誰かかと思っていたら、それが彼の母親だとのこと。

何だか他人行儀な、どこかよそよそしいなと思える態度で、とても彼の実母だとは思えませんでした。
(彼はきっと寂しかったんだな)と勝手に彼の気持ちをわかったような気になって、でも何ができたわけでもなく、短い実習期間は終わってしまいました。

『しにたい』と言って、食事を拒否することも度々だった彼でしたが、リハビリも病院スタッフから励まされながら頑張っていた彼。
今頃どうしているのかと、今でも時々思い出します。
彼の拳に殴られてあげれば良かったかなとか、そんなこともふと考えてみたり…


あれは勤務先の病院でのこと。

15歳の時に交通事故で脳にダメージを受け、今は植物状態の彼。
私が出会った頃はもう18歳になっていました。
人工呼吸器はもう外されていましたが、気管切開された喉元から息をしていました。

聞くところによると、彼は暴走族に入っていて、自宅に帰らない日が何日も続いていたとか。
そんな時、暴走族の走行中に事故に遭ったのだとか。

完全看護の病院ではなかったので、昼も夜もほとんど彼の母親が付き添って看護をしていました。
そのお母さんからいろいろお話を聞く機会があり、『事故にさえ遭わなければね…』というお話をしたところ、意外な答えが返ってきました。

『いや、この子が元気な頃はね、反抗ばかりして、ほんとどこで何をしているのかもわからなくて心配で心配でね。
でも今はこうやって、私のそばにいてイイ子でいてくれる。
こんなにイイ子はいない。
今の方が安心なのよ』
そう言って、本当に愛しそうに我が子の頬にスリスリ頬を寄せて微笑まれていました。

母親がほとんど付き添っているといっても、時々自宅に戻らなくてはいけない時もあって、そんな時は私たち看護師が彼の母親に代わって看護するんですが、そんな時は植物状態とはいえ、彼の表情は一変します。
『お母さんはどこ?』と言わんばかりに不安げな表情をします。

そしてお母さんが戻ってくると、喜怒哀楽の表情が出ないはずの彼の表情が、とても穏やかな、今にも微笑みそうな表情になります。
元気な頃は、親に反抗して暴走族だったかもしれないけど、今は親の愛情に包まれ、とても幸福そうに見えます。

まぁ?不幸な出来事ではあったかもしれないけど、これがこの子の人生なんだなと考えさせられました。


またまた実習病院でのこと。

産婦人科実習で陣痛室に見学に入りました。
ちょうど3人の産婦さんが頑張っていました。

その中に、なんと15歳の初産婦さんがいたんです!
助産師さんはバタバタと急がしそうで『学生さん、この子についといてあげて!』と言って、
私は15歳の産婦さんにつくことになりました。
体格は大きくて十分大人って感じだったけど、顔はあどけない15歳の女の子でした。

実習だから、いろいろと情報収集できるわけですが(しないといけない)、お腹の子の父親も15歳の中学3年生。
同級生同士で交際していて、できちゃったようなのです。

彼女は産みたいと思ったのかどうだか、お腹が大きくなるまで誰にも話さず黙っていたようで、気づいた時にはもう子どもを下ろせない週数にまでなっていたのだとか。

彼女の家庭は複雑で、彼女の両親は離婚。
その後、母親は再婚、再婚相手の間に子どもが2人生まれました。
彼女は連れ子で母親と継父と父違いの兄弟たちと暮らしていました。

陣痛の最中、彼女の母親が面会に来ました。
地味でおとなしい感じの人で、どこかしらおどおどした感じのする人でした。
どうも夫に気を使っている様子で『すぐに帰らないといけないの、ほんとはここに来ることも内緒で…』と言って、すぐに帰ってしまいました。

彼女とお腹の子の運命は…
当初は、相手の彼の両親が引き取って面倒を見ることになっていたそうです。
それが、産まれる日が近づいてきて気が変わったようで、産まれてすぐに施設に預けられることが決まったそうです。

15歳の彼女が1人で育てられるわけもなく…

初めてのお産、15歳の女の子が陣痛の痛みに1人で耐えていました。
大人でも、初めてのお産なんて不安で不安で、痛くて痛くて、1人で耐えるなんて、精神的にもかなりキツイものがありますよ!
そして、産んでしまって退院したら、すぐにお別れなんて!
彼や彼の家族にも裏切られたような形になってしまって、彼女の心中を思うと、何ともやり切れない思いでした。

彼女は、ごくごく普通のどこにでもいる真面目そうな女の子でした。

無事産まれて、初めてのオッパイ(指導)の時。
不安げに痛みに耐えていた彼女が、我が子を抱く時はパッと表情が明るくなって、本当に嬉しそうに頬を紅潮させていました。
抱き方はまだぎこちなかったけど、大事そうにお人形さんを抱くみたいに…

いざ、オッパイという時…
まだ首の座らない赤ちゃんの頭をしっかり支えきれておらず、彼女の手から赤ちゃんは床にまっ逆さま!
あっと咄嗟に私が無事キャッチしました┗(-_-;)┛
目の前に私がいたからいいようなものの…

『赤ちゃんは首がまだ座ってないから、しっかり頭と首を支えて持ってあげなアカンよ!
お人形さんじゃないんだからね、しっかりね、お母さん!』

なんて偉そうに子どもを産んだこともない私が、一生懸命に指導したのでした(;^_^A

そのとき産まれた赤ちゃんが、自分を産んだ親の年齢に近づこうとしています。
元気で過ごしているだろうか?
あの時の親子は?

退院したら離れ離れになる運命の親子だったけど、産まれた我が子を抱く15歳の女の子は、しっかり母親の顔をしていて、愛しそうに我が子を眺めていたんですよね。

共に幸福に暮らしていたらいいなと、本当に願わずにはいられません。


それぞれの15歳。
いろんな人生があるもんですね。

皆、それなりに一生懸命に生きている。
これから15歳を迎える人も、とうに過ぎてしまった人も、今という時をかけがえのない時を大切に生きていきましょう……なんてね♪


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6年前なら、この子は助かっていたかも・・・
■7歳女児が刺され死亡、帰宅直後の玄関前で
…兵庫・加古川
            (2007年10月17日3時2分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071016i314.htm


私の知り合いの現役外科医が
上記の痛ましい事件の件で日記を公開されていました。
掲載の許可を頂きましたので紹介したいと思います。



******


6年前なら、この子は助かっていたかも・・・

明石に赴任していたときのことを思いだし
加古川から須磨までの距離を思った・・・
この子には絶望的な距離だっただろう。


もしかしたら6年前なら、この子は助かっていたかもしれない。

それほど、近年、救急の現場から 小児科の現場から
人はいなくなってしまった。。
それは、この6年間のあきらかな失政なのだ。

集約化・・・お役人の考えだ。
搬送時間というファクターを忘れている。
自分たちのお役所仕事とおなじ次元でかんがえている。
この子には とりあえず輸液、てきれば輸血でもたせれば
なんとか息があったまま高次施設の手術室に運べた。
また、失血で心臓が止まった場合は、通常は殆ど絶望だ。
そうなるまえになんとかしなければならないのだ。

6年前なら、手術できなくてもいいから、そこにたどり着くだけの命を繋ぐ仕事、使命感をもって、それだけの仕事を引き受ける施設はようけあった。

でも、もう駄目だ。研修医制度で人数が減ったのもそうだが、
助けようとして頑張っても、
結果が悪ければ業務上過失致死疑いで警察に逮捕される事例あったからだ。
あるいは、不起訴になっても、今尚 民事でマスコミから叩かれ 風評被害にさらされている医師もいる。

それがおかしいと、医療現場がどれだけ叫んでも
マスコミは、医師がわるいというばかり。

だから、皆、そういう現場からいなくなってしまった。
自分の信念に殉ずるのならまだよいが、
周囲まで風評被害で路頭にまよわせてしまう。

最初の輸液のスタートが早かったら・・・・っと指摘すると、おそらく、また、たらいまわし などといって医師を批判する論調がマスコミからでて、そういった記事が売れるだろう。

そして、さらに「駄目かもしれないけど、乾坤一擲の救命を試みる」医師はいなくなっていく。

(今 終わった手術も リスクの多いものだった。精神力使い果たした・・・休憩・・・)


・・・世の中は、いつになったら、その本当の理由に気付くのだろうと思う。
これから、どんどん状況は酷くなっていく。
もっと沢山の方々が亡くなっていく。

勿論、いかなる死もつらいものだが、外傷死はつらい。
いきなりである事もあるが、・・・若い命が多いのだ!!

ドクターヘリも、使える場所と時間(夜間 悪天候ではヘリは飛ばない)があり、救急医療現場の崩壊を補完するものには、実はなりえない。

袋小路に入ってしまった 救命の現場が そこにある。


******


私もこの事件のことをニュースで知った時、どうして助からなかったんだろうと思いました。
まだ息があって、犯人の様子も話せた柚希ちゃん。
失血死…間に合わなかったんだ…

私にも7歳になる娘がいます。
他人事ではありません。
残念で仕方ありません。




Dr.コトー増員!?
時事通信ニュースから

<医学部定員さらに増員=へき地勤務で奨学金返還免除?医師不足対策・厚労省など>

深刻な医師不足を解消するため、厚生労働、文部科学、総務の3省が、大学医学部の入学定員を増やすことに決めたらしい。
各都道府県の増員分(計245人)については、奨学金を支給し、卒業後に9年間へき地で勤務すれば返還を免除するという。


私はこのニュースを見て、ええ?と思ってしまいました。
9年間ですよ、しかもへき地、誰が行くんだよ?って。
看護師の御礼奉公(古い言い方だけど、まだシステムとしては残っている医療機関はあるでしょう)でも、2年看護学校の学費を出してもらったら、同じ年数だけその医療機関で働くというのがあります。

医師は、確かに看護師よりは卒業まで年数かかりますけど、9年も長いのではないでしょうか?
しかも、へき地でしょ?
へき地といえば、医師がいない地域だったり、医療施設も充実してるとは言えないですよね?
そんな所に、医師免許取立ての人が行って、何ができるのでしょう?
何か学んだりできるでしょうか?
それに、そういう新人ドクターに自分の命を任せられる?
これは大いに疑問です。
ただ医師を送り込めば良しというわけではないんですよ。
現場の意見はちゃんと聞いて決めてくれたのかしら?


これ実際にあった話なんですけど、私が以前勤務してた救急病院で、心肺停止の患者さんが運ばれてきました。
その日、当直していたのは医師になって2年目の新人ドクター。

すぐにでも気管内挿管をして気道を確保しないといけない状態。
そのドクター曰く 『僕、やったことないから出来ないよ』
ビックリしたのは、その日、救急担当のベテランナース。
『何言ってるの、先生!教えてあげるからしなさい!』
彼女は婦長経験者だったんです。

それでも、モタモタしてる状況じゃないんで
『もういいわ!私がするわ。先生は介助して!』
それでナースが挿管、ドクターは介助。
それで何とか一命をとり止めたのでした。

助かったので良かったという話なんですけど、これ法的には違反なんですよね。
バレたら、そのベテランナースは処分されます。
でもあの時、ナースが処置をしていないと、患者さんは死んでました。
これがリアルな現実といいますか…

まぁまぁ都会の病院でも、こんな感じですよ。
へき地…大丈夫か?
これから医師を目指そうと思う人が、夢を持てるような措置でしょうか?
なかに志高く 『へき地?大いに結構、やってやる!』という奇特な人がいたとしても、果たしてDr.コトーは生まれるでしょうか?う?ん…

テーマ:日記 - ジャンル:日記


沖縄ダイバー殺人未遂事件!?
米軍新基地建設計画の辺野古で、ダイバー殺人未遂事件か!?

基地建設阻止より緊急声明が出されました!

以下転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「辺野古新基地建設に伴うアセス法違反の事前調査(環境現況調査)受注業者による危険行為に対する抗議と謝罪を要求する声明」
 那覇防衛施設局は、2007年4月から新基地建設のための環境現況調査を開始した。これは2014年完成の方針の下、アセス法に依らない違法な事前調査である。
 政府は5月18日(金)、19日(土)、20日(日)に自衛隊をも投入し、未明から調査機器設置作業を強権的に実施した。6月9日(土)、10日(日)にも継続作業を実施した。
 それ以降、未設置の機器設置作業とそのメンテナンス、さらにサンゴのライン調査作業が継続されている。
 私たちは非暴力による新基地建設阻止、違法な事前調査阻止行動を進めている。
 7月21日(土)12時すぎ、辺野古の海で作業を止める行動の中、いであ(株)の作業員が海中で平良夏芽さんの空気ボンベのバルブを閉め、夏芽さんは窒息状態となり急浮上した。ボンベ内の空気は200(20MPs・メガパスカル)中50(5MPs)しか消費されておらず、明らかにバルブを故意に閉めた結果である。これは人命軽視の危険な暴力行為であり、絶対に許されるものではない。
 那覇防衛施設局は前回のボーリング調査と違い、今回は現場に責任者を配置せず、事業受注業者の暴力行為を放置して来た中での、故意による人命軽視の暴力的危険行為である。
 私たちは今回の危険行為に関し、いであ(株)と那覇防衛施設局に対し厳重に抗議し、謝罪を要求する。
 また、ここに改めて基地押しつけを糾弾し、辺野古への新基地建設計画の白紙撤回を要求する。

  2007年7月21日 ヘリ基地反対協・平和市民連絡会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
転載以上

水深3?4m付近で(水中ですよ)、作業ダイバーが阻止行動をする一般市民のダイバーを羽交い絞めにした上に、酸素ボンベのバルブを閉めるという(これ殺人やろ!)暴挙に出たそうです。
なんだってー!?

しかもこれ、国の命令で防衛施設局が実施している調査で、『美しい国づくり』を推し進めている安部さん、そして小池さんは、「私たち関係ありません、知りません」と言うのでしょうか!

そもそも、その事前調査というのが、『アセス法に依らない違法な事前調査である』とのこと。
しかも、作業主体であるはずの防衛施設局の職員が現場に居ないということ。
監督責任も果たしてないし、暴力行為は見て見ぬフリか!
防衛施設局が国の命令で違法行為をしているわけで、それに対しての抗議行動に出た人に対し、殺人未遂(ほんと危機一髪逃げたので助かったのであって、これ故意の殺人未遂やで)をしでかすとは!

小泉・安倍政権が作りたかった米軍基地を、こうやって一般市民の声を暴力でもって恐怖に陥れ封じ込め、『美しい国づくり』などと言って作ろうとしてるわけですね!
これは沖縄で起こったことだけど、果たして沖縄だけの問題でしょうか?

もうすぐ参議院選挙です(7月29日)
よ?く考えよう?命は大事だよ?♪
それぞれの意志で投票行動をしていきましょう!


テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース


ある映画監督の死:国籍とは・・・
『ある映画監督の静かな死』

私が以前勤務していた外科病棟に、映画監督が入院してくるということで、ちょっとした話題に。
でも名前を聞いてもちょっと知らない。
知る人ぞ知る有名な監督さんだということだったけど、
病棟の誰もその監督を知りませんでした。

入院の時にはお弟子さんという人が数人付き添い、
度々着替えやら差し入れやら持って来てはお世話をしていました。
ただちょっとしたミステリーが…

『事情は何も聞かないで、どうか”コレ”でよろしくお願いします』
そうお弟子さんは深々と頭を下げて、私たちに言うのです。
”コレ”というのは健康保険証を見せないのです。
『お金は必ず現金で払いますから、どうかよろしくお願いします』
こちらとしては自費で払うと言っている以上、それ以上介入することもできず…

(保険証持って来ないなんて変わってるなぁ?
映画監督というだけあって変人なのかしら?
どんだけお金かかると思ってんのかしら?
そんな無駄金があるなら、もっと有効に使ったらいいのに…)
なんて私は思ってました。
それに、そんななのに部屋は個室ではなく6人部屋に入院されたのです。

そして、大きな手術をして、しばらく点滴による薬物治療もして、
それこそ毎月の入院費は100万円単位。
それでも毎回遅れることもなく、お弟子さんという人が医療費を払っていかれました。

『看護婦さん、いつもありがとうございます』
映画監督というから、どんだけ尊大ぶった人だろうと、実は警戒していた私ですが、
いやいやどうして、とても腰の低い、穏やかに話をされる、
とても瞳の奥に優しさを蓄えている人で、見た目も仙人のようです。

監督は何とか大手術を乗り切りましたが、すでに手遅れの状態で、
もう余命宣告を受けられていました。
本人への告知はなかったので、
早く病気を治して退院するんだということも話されていました。

痛みがだんだんきつくなってきて、モルヒネを使うようになっていたんですが、
我慢強い人で、よほどのことがない限りナースコールも押さなくて、
こちらが心配になって見に行くことも多かったです。
苦悶表情をしていて、『痛いんじゃないですか?大丈夫ですか?』と聞いても、
『ちょっと痛いですけど大丈夫です』と笑顔を必死につくろうとされます。
同室患者さんへの気配りもされる人で、同じ部屋の人からも慕われていました。

(いったいどんな映画を撮っている人なんだろう?どうして保険証を持って来ないのだろう?)
看護していく中でそんな疑問が湧いてきました。

食欲もだんだん落ちてきて、みるみる痩せてきて
『でも早く元気になるためには食べなくてはいけませんね。
頑張っているんだけど、なかなか食べれないんです』
監督、初めての弱音でした。

病気からして食べれないのは当然なんだけど、”治る”という希望を持って生きている人です。
人は希望がないと生きていけない。

『そうですね…別に病院食だけじゃなくてもいいんですよ。
何でも食べたい物を食べて下さい。
刺激物はいけないけど、差し入れしてもらってもいいから…
そうだ、お好み焼きとかどうですか?
あれなら栄養がありそうだし、柔らかくて食べやすいかも。
ソースの味が濃すぎると食べにくいかもしれないから、
そこは少し取って食べられたらいいですよ』

数日して監督のもとに行くと、差し入れされて食べた後のお好み焼きが残っていました。
『看護婦さん、ありがとうございました。
お好み焼きおいしかったです。
いつもよりもたくさん食べられました』
私は何もしてないのに、嬉しそうに私に感謝の言葉を何度も述べる監督。
本当に良かったと喜んでいた私ですが、それが監督の最期の晩餐になってしまいました。

それから数日ほとんど何も口にできず、点滴だけで栄養をつないでいて、
意識も混濁してくることが多くなってきて、そして私が夜勤の泊まりの夜。
意識が薄れ、本当にすぅ?っとロウソクの火が消えるみたいに静かに息を引き取りました。
延命処置はしないでほしいというのがご家族の希望でした。

監督の体をきれいにして、衣服を整え、死に化粧をして…
お弟子さんやご家族がドカドカ来て騒がしい…ということもなく、
本当に静かに亡くなられました。

看護師の私らが一仕事終えて、ほっとしているところに『困った…』
と主治医が頭を抱えていました。『死亡診断書が書かれへん』
聞くと戸籍がないとのこと!
ああー、だから保険証が持って来れなかったんだ、持っていなかったんだ!

ご家族とお弟子さんが来られ、事情を聞くと、
監督が若い頃に日本にやってきた中国難民であることがわかりました。
つまり不法滞在者。
数十年も不法滞在のまま、日本という国で映画を撮り活動していたんです!
私たちが聞いていた名前は日本名の偽名だったので、皆が知らなくて当然だったのです。
ちょっとビックリ!
お弟子さんも100人位いて、支援者も多いのだとか。

監督が主に撮っていた映画はドキュメント映画で、
アジアを中心にストリートチルドレンの支援活動をしているとのことでした。
映画で稼いだお金は、ほとんどそういった恵まれない子ども達のために使われました。
監督のそういった活動に共感した人々が、不法滞在であるにも関わらず、
監督の弟子になったり、お世話をしたり、公私に渡り支援を続けてきたんです。

(スゴイ!こんなことが、この日本であるんだ!
だからなのか、だから監督はあんなに穏やかな優しい目をして、
痛みに取り乱したりすることもなく、じっと耐え、
人への感謝をどんな時も忘れない人だったんだ!)

私は晴れ渡る空のようにスッキリした気持ちになり、
『看護婦さん、ありがとう』と言う監督の優しい笑顔を思い出していました。
そして私も心の中で、『監督、ありがとう』とつぶやいていました。
                 by ナウシカ




テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済




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