Make Your Peace

日々の生活をする普通の人々が平和について考えるサイトです。本ブログは書き手によってカテゴリーを分けています。それぞれの違いもお楽しみください。 by MYP2004

情けない話

さて、プロとしては恥ずかしい話しですが、ここ1週間の間におこった身近な事件を二つ・・

一つ目は・・・
その日、最後のお客は酔っ払っているおじさん。

で・・お迎えに行ってもなかなかお店から出てこられない。
20分も待ったか・・

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四川大地震報道で感じること

 地震報道で感じる事。
中国、四川省での大地震は未だに被害の全容も掴めず、そのあまりのスケールにただ驚くばかりです。 阪神淡路大震災を遥かに上回るその被害状況の報道の中で、気になる事がいくつかあります。

 5月の連休を利用して、僕は家族を淡路島へ連れて行きました。 テーマパークに時間の大半を費やしたわけですが、楽しい遊園地での遊びの後、子供たちに是非見てもらいたいと思い、淡路市(旧北淡町)の阪神淡路大震災記念館へ家族を連れていったわけです。

 ここはかの大震災の震源地近くで、野島断層のずれがそのまま保管されています。 以前、仕事でここに立ち寄ったとき、そのあまりの生々しさに戦慄が走ったものでした。 数年ぶりに訪れた震災記念館は大きく様変わりしていました。 以前は断層とそのすぐわきに建っている民家だけの展示だったのですが、阪神淡路大震災の資料をこれでもか!と展示している凄まじいものに変わっていたのです。

 入り口のモニターに繰り返し流されるあの震災の映像・・
そして写真パネル・・
その先に断層の保存展示・・
それも、断層の一部を切り下げ、地下の様子も見れるようになっています。
さらに、きわめつけは実際のあの大震災の揺れを再現し、体験できるコーナー・・

 建物の外に出るとレストハウスや土産物店もあり、気分をリフレッシュできるようになっていますし、実際に子供たちも他の観光客も、そこで寛いでいるわけですが、僕には到底、そんな穏やかな心境を持てる状態ではなくなっていました。

 最初の映像からしてショッキングで、あの揺れの体験ではフラッシュバックのように震災の記憶が呼び起こされ、亡くなった友人たちや、つぶれた大好きだった町並みが頭の中に蘇り、涙が出て、身体の震えがしばらく止まりませんでした。 中国での震災被害をみても、ぺしゃんこ、粉々に崩壊した神戸のあの時の様子がまざまざと思い返されます。

 中国の地震報道で気になるのは「建物が弱かった」「手抜き工事だった」と言う事が強調されているように感じられますが、神戸での震災を身をもって体験した僕らから見れば、日本の建物も弱かったし、日本のインフラも弱かったし、救助はなかなかやってこず、被災した人たちへの安全な食糧や水も充分確保されていたとは思えなかったと言うのが実感です。

 当時の村山首相は震災を知っててもなお、ホテルオークラで財界人と朝飯を食っていた始末ですし、現地の責任者である筈の兵庫県知事も、県庁に到着したのは昼頃だったと言う有り様でした。 自衛隊への出動要請すら出せず、交通の規制も出来なかった神戸での震災から数日間・・

 神戸の震災で規模の割に犠牲者が少なかったのは、地震の発生時刻がまだ、夜明け前だった事が第一に挙げられるでしょう。 神戸市内でも学校の倒壊、オフィスビルの倒壊、地下鉄の崩壊、高架鉄道や高速道路の崩壊など、いたるところで起きていました。

 あの地震が、あと3時間ほど遅くに起きていれば・・
阪神・淡路での死者数は10万のレベルに達していたのではないでしょうか。
あの5時47分と言う時刻は最悪の事態を免れる幸運だったともいえるのです。

 けれど、国や自治体からの支援は遅れ、被災した市民はただ、自分達で生きる術を確保するしかなかったのが実状です。 さらに、被災者救助の邪魔をした東京からやってきた報道各社のヘリの轟音、震災後しばらくして大阪の夕刊紙が報じた「神戸でエイズパニック」の、全く何の裏付けもされていない無責任なニュース。

 中国の地震における批判めいた記事を書くマスコミ達には、阪神の反省などどこにもないと言う事なのでしょうか。 大災害で悲惨な目にあうのは常に庶民です。
そして、金持ちよりは貧乏人です。 それは日本でも中国でも同じ事でしょう。
被災された方々の一刻も早い生活の復興をお祈りすると同時に、亡くなられた多くの方々の冥福を祈ってやみません。

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東淵修さん逝く

在りし日の東淵師
かねてから懇意にしていただいた浪速の大詩人、東淵修さんが2月24日、帰らぬ人となりました。

僕は昨年末、大阪、難波へ仕事に出たその足で、東淵師の庵を訪ねました。

師は既に病床にあり・・
といっても、僕は師が病床にあって出会えた人間なのですが・・

その時の師は・・
僕が詩の世界の人間ではないことを知った上で、それでも僕に優しく、暖かでした。

ベッドの上から握ってくれた手のひらは思いの他厚みがあって、暖かでした。
でも、その時の師は「水を飲んだらあかんねや」と言われていました。

師が主催されていた「銀河・詩の手帖」223号にはこんな詩が掲載されています。




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一人の老人の死

先日、朝からお葬式で、僕は通夜にも参加しているのですが、自由業?の気侭さ故に、お葬式にも顔を出してきました。

亡くなられたのは、僕も何度かじっくり話しをした事のある方です。

思うままに生き、息子さんとも連絡を取らず・・
市営住宅の家賃を滞納したからと言って追い出されたそうです。
・・信じてはいけませんよ・・行政なんて・・

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あの日から13年

阪神淡路大震災から13年がたちました。

あの時、1歳9ヶ月だった娘は、今、高校受験勉強の最中。
あの日、どうにも絶望しかなかった神戸の町で、僕らは今、なにごともなかったかのような生活をしています。

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