勉強しない、本を読まない、レポートはコピペで済ませる、向上心がない、大学生がひらがなばかりの答案を書く…。
歎きの声は主に大学教授から出ている。
大学が学生をお客さん扱いしている、推薦入試が悪い、学生によるアンケート評価重視で簡単な授業しかできないなど、様々な声がある。
大学が学生確保に奔走している今、現実問題として入りにくくすることは難しいのだろう。
今年のセンター試験には、小学生の教科書レベルの文章が問題文として出されたそうだ。
こうなると、卒業のハ−ドルを高くするしかないということになる。
OECDの国際学力比較調査の結果が騒がれて久しいが、
記事によると、実は大人の学力が低下しているのではないかというのだ。
そこで今度は、社会人の学力比較調査が行われるらしい。
これからは社会人の学力アップが問題になり、リクルートやベネッセがまたビジネスを拡大するのだろうか。
それもまた、おかしな展開である。
そもそもこの、国際学力比較というものに私は疑問がある。
どうして誰もこれを疑わないのだろうか。
この比較調査の背景に、教育産業のグローバル化に絡む動きがあるという説もある。
だが教育は国家間競争の道具ではない。
問題の根本は、偏差値体制をつくったことにあると私は思う。
数字に依存し、数字を動機づけにした教育が空洞化しないわけがない。
韓国や中国、東南アジアの国々にも「勉強しない」とバカにされているというが、
もともと極東の島国が、競争を動機にしてきたこと自体が間違いである。
勉強するのは自分と周囲を幸福にし、コミュニティを形成していくためだ。
それに数字しか目標のないような勉強を、日本の子どもたちはもうしない。
日本社会はそういう段階に入ったのである。
少子高齢化に人口減少、中国の台頭などで国の在り方が問われている今こそ、
本当の教育改革を行うチャンスだ。
学ぶ意味を根本的に再構築しないといけない。
上昇志向が学習意欲を支える単純な時代は終わったのだ。
今のままでは本を読まない大人が増える一方だ。
たとえ勉強ができても、出た学校の比較ばかりしているような人間では意味がない。
「週刊朝日」や「AERA」を見ていると、いわゆる難関大学を出た人たちがつくっているとすぐわかる。
細かい序列を気にしている人向けの記事が多い。
しょせん、狭い島国の中の序列だが。






